第46話 奇跡
ヘルの取り調べが続く中、奥の檻でイズンはまたシルフを呼び出していた。
「もう彼女のことはあきらめたみたいね。何があったんだい、ミスター・オード」
「あいつには勝てないとはっきり分かった、それだけだ」
イズンは不思議そうな顔をしてから、にやりと微笑んだ。
「そう、それだよ。昔、あんたはいつだってその顔をしてた。最初から何もかもをあきらめているくせに、子どもみたいな好奇心を隠してる、その顔よ」
「は?」
「そりゃ、自分じゃ分からないさ。だけどね、あたしはいつだってあんたを見てたんだよ」
「どういうことだ?」
するとイズンは今まで見せたことのない穏やかな表情を浮かべて言った。
「あんたとなら、結婚してやってもいいってこと」
シルフはとっさに頭が働かなくなり、その意味を理解するのに時間がかかった。だんだんと理解するにつれ、シルフは微妙な表情を見せてしまう。
「えっと……その、何だ。からかうのはよせ」
照れたように視線をそらす彼を見て、イズンが年頃の女性のようにふふっと笑う。
「その気になったら、あんたのコネと財産で、あたしをここから出してくれたっていいんだよ。それくらい、簡単に出来るでしょう?」
「出来るわけないだろう。出来たとしても、そんなことはしない。……もう戻ってもいいか?」
すっかり機嫌を損ねたシルフにイズンは言った。
「まだ駄目よ、最後にいいことを教えてあげる」
「何だ、早く言え」
シルフは顔をそらしたままぶっきらぼうに言う。
イズンは彼に背を向けると、ぽつぽつと語り始めた。
「あたしらはね、それぞれにこの世界を恨んでたんだよ。ハティは生まれつきあの白髪だし、ヘル様は大事な人を亡くしてる。あたしだってこんな能力、なければいいって昔から思ってた」
シルフは何も言わずに彼女を見下ろした。
口ではそう言っていても、彼女が――彼女たちが闇に手を染めた事実は変わらない。
「町へ出れば、いろんな人の心が読めて気持ち悪くなる。誰と居ても、その本心にはあたしに対する思いやりのかけらもない。
そんな時にね、ヘル様はあたしを救ってくれたんだよ。あの人の気持ちはいつも正直だった。自分の目指していることに少しも疑心を持っていなかった。だからついて行こうと思えたの。だけど、間違ってた」
「話はそれだけか?」
イズンはシルフを見上げると、泣き笑いの顔で告げた。
「本当はあたし、ヘル様じゃなくてあんたに救い出してもらいたかったのよ。優しいあんたなら……って、心のどこかでずっと思ってた」
生きているのか死んでいるのか、その境界に立たされた彼の手は冷たかった。
「……ギュスター」
呼びかけたって反応がないのは分かっていた。視界が涙でぼやけそうになり、慌てて指で拭う。
「ユーティア、そろそろ部屋に戻りましょう」
メイリアスがそう言って肩に手を触れる。
椅子から腰を上げて、ユーティアは眠ったままの彼へ背を向ける。
メイリアスの哀れむような視線が怖かった。もしかしたら、彼はもう目を覚まさないんじゃないか……嫌なことを考えたくなくて、両目をぎゅっとつむる。
「大丈夫よ、ユーティア」
と、メイリアスはその手を取った。
扉の前まで歩いてゆくと、メイリアスが扉を開けてくれた。ユーティアはふとうしろを振り返って彼を見つめる。
メイリアスがそんな彼女をうながそうとして口を開くと、ユーティアは突然ベッドへと駆けて行った。
「どうしたの、ユーティア」
かけた言葉は彼女の耳には届かなかった。
「ギュスター、気づいたのね! ギュスター!」
慌ててそちらへ向かうと、先ほどまで閉じられたままだった目がうつろに開いていた。――まさかと疑う前に、メイリアスは奇跡が起こったことを知る。
「ギュスター、わたしが分かる? ねぇ、ギュスター」
ユーティアは何度も彼の名前を呼びながら、冷えた手を両手で握った。
「……ユーティア」
と、小さな声が彼の口から漏れ、ユーティアはさらに顔を明るくする。
「よかった、本当によかった。わたしね、ずっとあなたを待っていたのよ。あなたの意識が戻るのを、ずっと」
ギュスターは理解できないという顔をした。自分の置かれている状況をまだ把握していないのだろう。
「ありがとう、ユーティア」
それでも彼は、そう言って微笑んだ。
「メイリアス、みんなを呼んできて」
と、ユーティアが振り向く。
メイリアスはすぐにうなずき、部屋を飛び出して行った。




