第43話 地獄に落とされた乙女
窓ガラスが割れた。唐突な出来事に驚いた二人は、次に壁が壊される音を聞いた。
「闇魔法、まさか……っ」
立ち上がったダリウスがユーティアの前へ立ち、やがて現れた敵に弓矢を向ける。
「まあ、運がいいわね」
それは女性だった。月夜を背景にした妖しく美しい姿、整った顔立ちの鋭い両瞳がそれを普通の人間でないと分からせる。
「な、何だお前!」
ダリウスは自分一人じゃ相手に勝てないことを本能的に察知していた。ユーティアを立ち上がらせ、じりじりと壁際へ距離をとる。
「あたしはヘル、神話で地獄に落とされた乙女と同じ名前よ。素敵でしょう?」
と、ヘルは微笑んだ。
弓を引く手に力を入れたダリウスは、一刻も早く――この状況からすると無理かもしれないと分かっていたが――仲間たちが来てくれるのを願う。
そしてヘルは笑顔を崩し、真面目な顔で言った。
「そんなことよりも、あたしはさっさと用を済ませたいの。ちょっとどいててくれるかしら? ウル・グレイプニル!」
ダリウスが矢を放つのと同時だった。しかし数秒早くヘルの魔法が勝り、黒い鎖がダリウスを直撃する。
「っ、ダリウスさん!?」
ユーティアが悲鳴に似た声を上げると、ダリウスは痛みをこらえて再び弓を構えた。
「まだやるつもり? あなた、なかなか手強そうね」
ふいに部屋の扉が開き、慌てた様子でメイリアスが戻ってくる。すぐにユーティアの方へ目を向けたメイリアスだが、ヘルににらまれて立ちすくんだ。
ヘルはメイリアスを見て不敵に笑う。
「あら、まだ生きてたの? 裏切り者のくせに――ベルカナ・ラーグ!」
「ウル・ヨルズ!」
ダリウスのとっさに唱えた魔法は冷たい水流に飲み込まれてしまう。床に倒れたメイリアスはすっかり意識を失っていた。
悔しくて再び矢を放つダリウスだが、無意味だった。
「あなたに力はないわ、いい加減に認めてそこをどきなさい」
と、ヘルはそれを避けてこちらへ歩み寄ってくる。
「オレだって、やる時はやるんだ!」
そう言いながらダリウスは弓矢を構えたが、矢を放つタイミングを完全に見失っていた。
やがてヘルが目の前に立つ。
「その子の命まで奪う気はないわ。あたしはただ最高神を蘇らせたいだけ。スヴィティ」
ダリウスは一歩も動かないで、その攻撃を真正面から受けた。
圧迫するような苦しさが身体全体を包み、バランスを崩して倒れ込んでしまう。身体が鉛のように重くなって動かない。
「嫌、来ないで……!」
ヘルが一歩一歩とこちらへ近づいてくる。ユーティアは恐怖に震えながら後ずさり、あらためて自分の無力さを呪った。
「怖がらなくていいのよ、フリーアの娘。あたしは最高神を呼び出したいだけなんだから」
鋭い瞳が笑みにゆがむ。ユーティアの背が壁に当たり、ヘルはさらに笑顔になる。
「さあ、あきらめて大人しくなさい」
ヘルの白い手がその頬へ伸ばされると、ユーティアは腰を抜かして床へ座りこんでしまった。片膝をついたヘルがユーティアの顔を無理矢理上げさせる。
「大丈夫、あなたは死なないわ」
一体どういうことだろうかと思った直後、ヘルはユーティアの唇に唇を重ねた。
――ダリウスはヘルが何故、やすやすと彼女に近づけたのか考えていた。闇魔法の首領であるなら、自身も闇に染まっているはずだ。それなのに、何故ペンダントに跳ね返されなかった?
「まさか……っ」
ようやく身体を起こしたダリウスは、ヘルの手が証のあざに触れているのを見た。そして唇を離したヘルは口を開く。
「ガンダールヴ・グローイ、ギューフ・アルファ――」
「ベルカナ・カーリ!」
騒々しく扉が開き、突風がヘルをユーティアから遠ざけた。虚ろな状態のユーティアを守るようにシルフが立ちはだかる。
「もう少しだったのに……ウル・ヨルズ!」
「アウストリ・パース! 行け、ダリウス!」
ヘルの出現させた砂の固まりはダリウスの構えた弓矢に吸い寄せられ、土属性を付与された矢がヘルに向けて放たれる。
「っ、なるほどね」
それを交わしたヘルは怯む様子もなく、にやりと微笑む。
「ベルカナ・ラーグ、ウル・ラティ!」
「ベルカナ・ロギ」
飛んできた水と石をシルフの炎が燃やす。その隙にダリウスが矢を放つと、ヘルはまたそれを避けながら言った。
「これがあなたたちの本気? 弱すぎるわね。ウル・ゲルギヤ!」
逃げる隙もなかった。身体が拘束されたように動かなくなり、半透明の鎖によってシルフとダリウスは床へと倒された。
「ベルカナ・グングニル!」
「エイワズ」
不意打ちの魔法すら防御壁に跳ねられ、遅れて来たノーアはヘルをにらんだ。
「ただの魔法使いなんですね」
ヘルがふっと笑う。
「ベルカナ・スヴィティ」
ノーアはすぐに横へ逃げると、伏せているシルフとダリウスへ駆け寄った。
「ベルカナ・イス」
と、二人を鎖から解放してやり、再びヘルへ向き合う。
「誰が来たって無駄よ、最後の一人が来ない限りね。ウル・ラティ!」
それぞれを狙って飛んでくる黒い影。シルフとノーアは魔法でそれを相殺したが、まだ体力の回復しきっていないダリウスは足を取られてしまった。床に腰を落とした状態から足掻くように弓矢を放ち、二人がそれぞれに魔法を唱える。
「ベルカナ・ミスティル、スズリ」
「ギューフ・フェンリル、ベルカナ・エオー」
火をまとった矢が飛んでいくと、その後を追い風と共に白狼が駆けていく。
ヘルは姿勢を低くすると、素早い動きですべての攻撃を回避した。唸る白狼を「ハガル」と、かき消す。――ついに本領発揮、というところらしい。
ヘルと目が合ったシルフは、視線をそらさずに大蛇のような紐を出現させた。
「ベルカナ・グレイプニル」
「アウストリ・パース」
そしてノーアがダリウスへ土の属性付加魔法を唱えると、直後に弓矢がまっすぐヘルへ向かった。




