58.師匠の部屋
「冷蔵庫は全員の部屋にあるんすか?」
廊下で月緋さんが何気なく尋ねる。兄弟子は「さあ」と首をかしげた。
「住んでるの俺だけですし、今ここは師匠と俺となつめの部屋しかないんで分からないです。しかも弟子同士、部屋は覗かないルールで。こっちの向かいの二部屋は師匠が使ってます。弟子は他にもいるんですけど、アトリエは他にもあるのでそっちにいる感じですね」
「他のお弟子さんたちはお師匠さんと一緒に活動はしていないんですか?」
私が訊くと、兄弟子は教えてくれた。
「いえ、今日は師匠たまたまいるだけです。師匠は普段アトリエを回ってます」
私たちは運が良かったようだ。兄弟子はノックをしてから戸を開ける。
部屋の中で、昨日挨拶した通りの師匠が、和服で椅子に座っていた。私は師匠の時間に疑問を持ちつつ、お辞儀をした。
扉は二つあったが、壁はなく、大きな一つの部屋となっている。代わりについたてで仕切られていて、師匠は奥の空間でいつも作業しているようだ。
兄弟子のように住んではいないようでベッドはない。人数分の丸椅子が用意されており、座るように促されたので従う。
「昨日ぶりですね。糸端さん」
名前を覚えられていることに驚く。私は師匠の下の名前が思い出せないまま「突然押しかけてしまいすみません」と挨拶してみる。
「こちらこそ。なつめが紹介していたのは知っていたので呼び止めておけば良かったですね」
そして月緋さんを見て、自信のなさそうに言った。
「間違えていたらすみませんが、昨日糸端さんのお隣にいらっしゃった……?」
「佐野です」
なぜこんなにも月緋さんを覚えている人がいないのか。雰囲気が変わりすぎなんだろう、という理由で私は着地した。見た目マイルドヤンキーは、兄弟子の件で慣れたのか気にしていなさそうにしている。
「ところで、なつめさんはどこに行ったんすか」
月緋さんは師匠に尋ねた。既に白々しさはなく、ここに来たからには存分に手がかりの収穫をして帰るつもりのようだ。師匠はそんなことも知らず笑顔で対応してくれる。
「なつめはね、華里奈さんのところに行きましたよ」
二人が交際していることを知っているらしい。付け加えるように「糸端さんは華里奈さんと同じ高校だとか」と私に話を振ってきた。「やはり雰囲気も似ていますね」とか自分じゃ認識してないことを言ってくる。なつめさんも似たようなことを言っていたような。どうすればいいか分からない私は曖昧に笑ってごまかした。
「なつめは午後には帰ってくると思いますけど、お待ちになりますか?」
師匠は言った。午後は華里奈さんに会う必要がある。待たないということを伝えた。
話題は土田さんがうまく話を振ってくれたおかげで、師匠が専門としている粘土作品の話に移る。
「私は基本的にモチーフを決めて表現していきます。花から動物まで何でも。彼は人を中心に」
「人?」
月緋さんが首をかしげた。彼、と指をさされた兄弟子は「人形です」と訂正する。
「今は『どこまでが人であるか』をテーマに制作しています。指や顔、脚を骨から作ります」
「骨からですか?すごいですね」
あまりに事件に関わりそうな言葉が出てきてひやっとする。言葉だけ聞けば兄弟子が最も怪しいが、時間はそうではない。兄弟子は嬉しそうに頭をかいた。
「骨とか筋肉とか、本屋で解剖の本を買い漁っています。最近はレントゲン取りに行ったりとかして」
なんでも、自分とそっくりな人形を作りたい、のだそうだ。人を作るために自分を観察していくスタイルに、師匠も感心している。
隣に座る月緋さんも「めちゃ努力家じゃないですか」と褒めている。笑顔をそのまま師匠に向けた。
「なつめさんは動物中心に作ってるらしいですね」
月緋さんの言葉に対して、師匠は少し驚いた表情を浮かべた。まるで想定外だ、とでも言うようだ。
「……そうですね。彼は会った時からそんな感じで。猫とかすずめとか」
兄弟子は「最近は俺の本とか借りていくんで人形にも興味あるかもしんないですねっ」と横から嬉しそうに話す。
私たちにとっては、興味があると困るのだ。厳しい顔をしなかったのは褒められてもいいはず。月緋さんも「いいですねー」と笑顔を崩さなかったことはよかった。というか、師匠の部屋に入ってからこの人は貼り付けたような表情をしている。
問題は、師匠の方。
その顔を見た私たちは互いに目を見合わせる。これは、何か隠している。けど、今詮索しては意味がない。
月緋さんがお暇の言葉を口にしようとすると、タイミングを読んでいたのか、土田さんがわざとらしく腕時計を見て「お嬢様、佐野様、お時間が」と言ってくれた。
私は土田さんに頷き、立ち上がって師匠たちにお辞儀をした。
「すみません。そろそろ移動しないと。今度作品を見に来ますね。短い間ですがありがとうございました」
いかにも外せない用事があるようにふるまう。本当は時間的に全然いても良かったんだけど、それよりも葉賀さんに伝えなければいけないことができた。
動揺を隠せたと思っている師匠に別れを告げ、部屋を出た。兄弟子が外まで送ると言ってついてきてくれる。
師匠だけを部屋に残して、階段を下りる。スリッパは階段を下りる前に兄弟子が回収してくれた。
3人のなかで最も仲良くなれている月緋さんは兄弟子と話している。
「お師匠さんのとこにも冷蔵庫ありましたね」
兄弟子は「ああ、あれのことですね」とポンと手を打った。私は師匠の部屋で見た業務用冷蔵庫を思い出す。
「粘土を保存しておくんです。俺も自分の冷蔵庫に入れてたんですけど、ご飯と一緒に入れとくもんだから怒られちゃって。師匠のとこに入れさしてもらってます」
月緋さんの言う冷蔵庫は生活用のものだと思っていたらしい。月緋さんも勘違いを利用して「どうりででかいなって思いました」と相槌を打つ。
すると、兄弟子は思い出したかのように「冷蔵庫と言えば」と重要なことを教えてくれた。
「なつめの部屋にはアイスクリーム屋でみるでかい冷蔵庫?冷凍庫?がありますよ。買ったときに運ぶの手伝ったんです」
「それ買ったのいつですか?」
つい質問してしまうが、兄弟子は「1年前くらいだったと思います」と答えてくれた。
なるほど。だんだんつながってきた。残酷な推理が、現実味を帯びてくる。
私たちは展示スペースを進み、兄弟子が出入り口のドアを開けてくれる。改めてお礼を伝え、駐車場に戻ろうとすると、隣で月緋さんが立ち止まった。振り返って、「兄弟子さんは、」と呼びかける。名前覚えてないんかい、と人のこと言えないようなことを考えていると、月緋さんは続けて言った。
「なんで人形作ろうと思ったんすか?」
兄弟子はきょとんとした後、にっこり笑って言った。
「顔色窺わなくていいからですかね。それと、人は会ったときから生きてるけど、俺は人形に命吹き込めるってのも、やりがいです」
なんか恥ずかしい、と手で顔を覆う兄弟子に、月緋さんは「めちゃめちゃいいですね」と言い、そのまま手を振って別れた。
顔色。兄弟子の過去は知らない。昔は周りの機嫌を取ることに必死だったのかもしれない。今はそうは見えないけど。あえて機嫌取りを放棄しているのかもしれない。
もしかしたら、と思い、首を振った。
人の機嫌が分かってしまう能力なんて、あっても困るだろう。
そんなことを考えながら、車に戻った。




