57.アトリエ
黒井守さんたちのアトリエは商店街に入って3店舗ほど進んだところにあった。コンビニ帰りなのかそれっぽい人が入るのを見つけて、月緋さんはなつめさんに会いに来たというていで話しかける。私と土田さんも後ろからついていく。
月緋さんを誰だと不思議そうに観察しつつ、話を聞いていた黒髪長髪の男性は「残念ですけど」と分かり切っていた返答をしてきた。
「なつめは今出かけていまして。すみませんね」
顔をよく見るとパーティーに出席していた人のようだ。師匠と同じようなキラキラネームだったけど、全然覚えていない。頭上には「4m」としゃぼん色の文字が浮かんでいた。基本の時間だ。
「わあそうなんですね、ざんねーん」
しらこい演技は苦手らしい。営業スマイルによって相手から怪しまれた月緋さんは一歩引き、私はバトンタッチを食らう。
「昨日深由さんのお誕生日会で挨拶させていただいた糸端です。なつめさんにアトリエを紹介してもらったので作品が見たかったのですが」
名乗ってみると思い出してくれたようだ。「華里奈さんのお友達でしたよね」と低姿勢で話しかけられた。
土田さんを後ろに控えさせているからか、どこかのお金持ちだと勘違いされたらしい。事実じゃないから否定しておきたいけど、じゃあ誰やと言われても困るので勘違いは利用させてもらう。
「こちらは?」
純粋な疑問なのかわざとなのか、月緋さんを指して質問された。ノースリーブにだぼっとしたダメージジーンズ。昨日のスーツ姿とは似ても似つかないようだ。マイルドヤンキーな見た目の月緋さんはワンピースを着た私を一度見てから、妙に納得したように頷いた。
「佐野です。今この格好だけど昨日いました。なつめさんの兄弟子さんですよね」
兄弟子、と呼ばれた人は数秒黙り込んだ後、「ああ!」と納得と驚きの声を上げた。
「すみません気づかずに!いい服の趣味してますね!」
どうやら本当に分からなかったようだ。和装の兄弟子に服を褒められて「京言葉か?」と身構える月緋さんに、「俺も今こんなですけど古着好きなんすよー」と笑顔で言い、「なつめの作品なら見せられると思うんでついてきてください」と中まで案内してくれた。
ファインプレーな月緋さんと死角でグータッチをする。2階建ての建物をまるまるアトリエにしているらしく、「師匠は2階にいると思うんで用があったら言ってください」と教えてもらった。
1階は展示スペースだ。主に師匠の作品とか、兄弟子の作品もいくつか展示されているらしい。その場で購入可能らしく、レジがあった。その奥にはスタッフ以外立ち入り禁止のシールが張られたドアがあり、兄弟子はそこに通してくれる。キッチンやダイニングテーブルなどがあり、狭いが寝るところがあれば生活できそうだ。
2階に続く階段を、兄弟子を先頭に上っていく。
兄弟子は「俺もなつめの作品あんまり見たことないんすよねー。部屋は隣なんですけど」とか「部屋は師匠が無償で貸してくれてます。基本作業部屋なんすけど俺は住んでます」とか歩きながらいろいろな情報を喋ってくれる。
「お風呂はどうしてんすか」
「ちょっと遠いけど銭湯があります。そこに行ったり、あとはダチがたまに貸してくれたりっすね」
月緋さんは「面白そうっすね」と興味ありげに話を聞いた。どうやら気が合うらしい。兄弟子に続いてずっと話している。
2階は各作業部屋のようだ。この階の真ん中に廊下が一本通り、左右に二部屋ずつ、合計四部屋あると兄弟子が教えてくれた。廊下には大量の使い捨てスリッパが入った段ボール箱があり、兄弟子は一人一足スリッパをくれる。
「師匠呼んでくるので俺の部屋で待っててください、ちょっとタバコ臭いけど」
兄弟子は右奥の自分の部屋を開け、コンビニの袋を床に置く。だいぶタバコ臭いと思っていると、土田さんが兄弟子に向けて「お嬢様は体が弱くて」とか冗談を抜かした。
ただの庶民に儚げお嬢さま設定が加えられ、私は怪しまれないように振る舞うしかない。月緋さんは兄弟子の横で笑いをこらえている。
兄弟子は親切にも「やっぱ臭いですよね、すみません」と窓を開けて換気してくれる。月緋さんが視線で促すので、偽物の儚げお嬢さまは「ありがとうございます」と演技することになった。
師匠を連れてくる、と兄弟子が部屋を出ていくと、月緋さんは静かに笑い出した。私は忠実に執事役を務める土田さんに小声で文句を言う。
「土田さんなんてこと言うんですか」
「まじでナイス」
笑うんじゃない。土田さんはほほ、と昼の公園を犬と散歩するおじいちゃんみたいに笑った。
「少々臭いがきつかったもので。お洋服に移るのは避けたいでしょう?」
真っ当な意見を言われ、「たしかに」と納得する。「さすがー」と月緋さんも感心した。
私は兄弟子の部屋をぐるりと見まわす。
兄弟子が「住んでいる」、と言ったように、左端にはベッドが置いてあった。粘土が飛び散らないようにか、蚊帳で仕切られている。押し入れはないようで、ベッドの下にはいくつかケースが入っていた。
ベッドの反対側には家にあるような冷蔵庫があり、その手前でいつも作業しているようで、たたまれたブルーシートと道具箱が置いてある。
「時間は?」
唐突に月緋さんが訊いてきた。兄弟子の、とは言うまでもない。土田さんは自分に関係のないことだと思っているみたいで黙っている。私は金髪の反応を窺いつつ、「4分」と言いかけたとこでやめた。ミニッツの方ではなかったらしい。
「4か月です、基本の時間でした」
「なんで一回嘘つくの」
「ちょっと表記がややこしくて」
私がどういう風に時間が見えているか、月緋さんは知らない。「monthかminuteかで分からないんです」と言うと、「そういう感じね」と頷かれた。
「月緋さんは色どうでした?」
「えーなんか、てりてり」
なんだてりてりって。悪い意味ではなさそう。
すると、「お話し中すみません」と兄弟子が戸を開けて言った。
「師匠がこっち来るように言うんで来てくれますか?」
突然で軽く驚くが、何事もなかったように頷き、移動することにした。




