水色と怒号、痛みと謝罪、そして就寝
長い付き合いの友人でも、知らないことはたくさんあるものです。
コンコン。友人の部屋の扉をノックする。
……。
応答がない。
コンコン。再び友人の部屋の扉をノックする。
………。
応答がない。
それぞれの部屋に引き上げてから30分以上経過している。まさか部屋で倒れてたりしないよな……?若干の不安がよぎる。
少し部屋の前で待ち、再びノックすると、ゆっくりと、少しだけ扉が開き、友人が顔を出してくる。
「来たよ、風呂入ってた?」
「あぁ、うん、ちょっと手間取った。どうぞ」
少しだけ開けられたドアが大きく開く。友人の姿を捉えた私は──爆笑してしまった。他の宿泊客がいることは頭では理解している。しかし、私は脳味噌から発せられた"笑え"の命令にあっさりと従ってしまった。狭い廊下に響き渡る私の笑い声。腹がよじれてその場にしゃがみ込んでしまう。
いけない、他の宿泊客の怒号が飛んでくるとまずい。友人を両手で部屋に押し込み、私も友人の部屋の中に入る。同じ間取り、同じ設備のはずの友人の部屋が視界に入る。
部屋に視線をやると、笑いを制御する脳味噌のボルトがすべて吹っ飛んだ。部屋に響く私の笑い声。これを笑わずして何を笑えと言うのか。
眼前にいる友人。その格好。その部屋のベッドの上。
「何だよ……何笑ってんだよ」
友人が私に言う。若干怒りの感情が聞いて取れるし、目つきに鋭さがある。
「す、すまない、い、いや、あまりにも、その、意外と言うか、いや、すまん、ごめん、ごめん」
呼吸が乱れる。汗を流したばかりの体に再び汗が滲んでくる。
腹を両手で押さえながら、乱れた呼吸を整える努力をするが笑いの波はなかなか去ってくれない。笑い過ぎの副作用だろうか、痛みの引いていた肩がずきずきし始める。
怒りの表情を見せられたのにも関わらず、それでも私が笑いを収めることがなかなかできない理由。それは友人の服装である。ついさっき定食屋から帰ってくるまでは、ストリートファッションブランドの黒いパーカーに迷彩柄のパンツ、というワイルドな服装だったのに対し、今はこれだ。
水色のパジャマとおぼしき上下なのだが、上衣の胸の部分には、大きな可愛らしい熊がプリントされていて、熊の顔の周りにはチューリップが咲いている。ズボンはおそらく7分丈なのだろうが、上背のある友人がそれを穿くと、完全につんつるてんで、滅茶苦茶バランスが悪い。ベッドに視線をやると、同じ柄のクッションが置いてある。たぶんこれが枕なのだろう。
まさかこんなファンシーな趣味があるとは思っていなかった。
できるだけ友人と視線を合わさないようにして、笑いを止めようとする私。訝しむ友人。
「何なのさ、さっきからさ……」
友人の声に強い怒気がこもる。これはまずい。
「いや、ごめん、申し訳ない、君のその、パジャマ? があんまりにも可愛かったものだから、つい……ギャップに驚いてしまって」
「だからってあんなに笑うか?」
友人の声が低くなる。非常にまずい流れだ。
「予想外の出来事に遭遇すると俺は笑っちゃうんだよ!だって、君、水色に熊さんにチューリップだよ?予想できたと思う?!」
半分笑って半分逆切れする私。滅茶苦茶である。
「これは母さんが誕生日に買ってくれたんだ、使わないと悪いだろう!馬鹿にするな!」
ますます怒気を増した声に加え、友人の鍛え上げられた上腕が私の胸ぐらに伸びてくる。
──ゴン!ゴンゴン!!壁を叩く音。
「やかましい!」
隣の部屋の宿泊客が壁越しにメッセージを送ってくる。
"大人が大人に叱られる"これは効果覿面だった。
「申し訳なかった……ギャップに笑ってしまっただけで、親御さんを笑ったわけでは……」
「……それはもうわかった、ただ、もう笑わないように。これでも、愛用しているんだ」
「わかった、すまなかった……」
小声で話す。修羅場と化す前に叱ってくれた隣の宿泊客に、私は謝罪とお礼を心の中で述べた。
友人に背を向け、深呼吸をする。修羅場という最低最悪の事態は、隣の部屋の宿泊客のおかげで免れた。しかし、水色の熊さんパジャマを爆笑されたという事実はもしかしたら、友人の心を傷つけてしまったかもしれない。傷が深くならないうちに、何とかしなければ。私は考えた。
──そうだ、話題を変えてしまおう。
「あ、あのう……今日の昼間にさ、俺、ショッピングセンターで転んだって話したじゃない? まさか怪我をするとは思ってなくてですね、ちょっと肩が痛いのですよ。まさか湿布とか持ってたり、します? 痛み止めの飲み薬は持って来てるのですけれど……」
妙な敬語になってしまう私。後ろめたさの表れである。
「あぁ、あるよ。湿布じゃなくて、塗り薬で良ければ」
あの大荷物である。ひょっとしたらとは思っていたが、やはりである。常備薬は私より品揃えが豊富とみた。友人は狭い部屋を更に狭くしているボストンバッグに手を突っ込み、ごそごそやっている。
「効能は筋肉痛って書いてあるけど、打撲でも効くと思う。容器を振ってから使って」
友人はそう言って、塗り薬の容器を渡してくれる。声から怒気は失せているようだ。長い付き合いだし、喧嘩は学生時代から何度かしたが、胸ぐらを掴まんばかりのバイオレンスな勢いは出会った最初の日以来の経験である。本気で怒った友人は恐ろしいし、体の大きさとパワーが違う。それでも、私にとっては貴重な友人である。言葉と行動には気をつけないといけないな。頭の中で自己反省会をしつつ、私はTシャツを脱いだ。
「ちょ、ちょっと……それ、本当に大丈夫なの?」友人は驚きの声と表情を隠さずに言った。
「へ?」何のことなのかわからない私、間抜けな声で応じる。
「肩、肩。色が……変」友人は私の左肩を指さしながら言う。
さっきシャワーを浴びた時はさして気にもしなかったし、湯気でよく見えなかった左肩。さっきの爆笑で痛みがぶり返したんだっけ。視線を左肩に落とすと、そこには紫色に変色し、普段の倍ほどに膨れ上がった左肩があった。シャワーと爆笑で血流が良くなったのかも。うん、これだけ腫れりゃあ痛いわな。
「あぁ、こりゃあヒビ入ったかもなぁ……ま、酷そうなら帰ってから病院行くし」私は痛み止めを塗りながら言う。
……ぼすん。友人は音を立ててベッドに座り込んだ。血の気が引いた顔をしている。
「参ったなぁ……」か弱い声で友人が言う。どうしたというのだ?「俺、怪我とか血とか駄目……、眩暈が……」
「いやいや、そんな大したことじゃなし、ほら、肩、上がるから大丈夫だって」左肩を上げて見せる。
「わかった、わかった、早く服を着てくれ」視界を遮るように掌を前に出して言う。
まさか友人にこんな弱点があるとは思わなかった。付き合いは長いけれど、お互い知らないことの方が多いんだな……。大都会の古びた宿の狭い部屋で、私はまたしてもセンチメンタルになる。
「ところで明日の予定を話し合おうじゃないか、ほら、服は着たから」声のトーンを上げる私。
「その件なのだが……ちょっと希望があってだな、是非行きたいところがある」友人、何だかかしこまっている。
「ん?どこ?リクエストには応えたいし、遠慮しないで言ってごらんよ」
ごほん、といかにもな咳払いをして友人はこう言った。
「遊園地」
──遊園地。何年行っていないだろう。最後に行ったのは中学校の修学旅行。その最終日以来だと思う。絶叫マシンに乗って大いに騒いで、お化け屋敷で失神しかけた班のメンバーがいて。マスコットキャラクターと一緒に写真なんか撮ったりして。パレードに感動したなぁ、イルミネーションが綺麗だったなぁ……、楽しかったなぁ……。勢いで買ったキャラ物のグッズ、帰りの新幹線の中で交換会なんかしたっけ。懐かしいなぁ……。頭の中で思い出が再生される。
「行きましょう」
私はほぼ条件反射に近い感覚で、遊園地へのGOサインを出していた。あの楽しかった日よ、もう1度。却下されると思っていたのだろう、可決された遊園地行きに友人の眼は輝いていた。色気がなくたって、男子2人だっていいじゃない。楽しもうじゃないのさ、遊園地。何だか私もわくわくしてきた。
「あ、ところでね」眩暈から回復した友人が笑顔で言う。
「うん?」私も笑顔で応じる。
「お菓子が粉々になっていたから、明日新しいのを買ってくれよな。ほら、駅のロッカーに無理やりバッグを押し込んだでしょう? 多分あの時に押しつぶされたんだよ、ほら、これ」
友人はテーブルの下からゴミ箱を引っ張り出して私に見せる。ゴミ箱の中には、潰れたチョコレート菓子の袋が放り込まれていた。そうだ、あの時何かが折れる音がした。それはこのチョコレート菓子が粉砕される音だったのか。気になっていたが、これで解決である。
「あ、ごめんな、了解」
私が謝罪すると、友人は口元に笑みを浮かべながら気にするな、買い直してくれればOK。のサインを送ってくる。
明日の日程も無事に決まり、水色熊さんパジャマ爆笑事件も修羅場と化さずに済み、眩暈も回復して、終わり良ければすべて良しである。
明日のために今日は休息を取ろう、で会議は終了。私は自分の部屋に戻りがてら、コインランドリーに寄って洗濯物を回収し、持参した鎮痛剤を飲み下して、お世辞にも寝心地が良いとは言えないシングルベッドにもぐり込んだ。
今日の収穫、友人はファンシーが好き。怪我や血を見ると眩暈を起こす。甘党。
今日の出来事を回想しているうちに、私は眠りに就いていた。
(8話に続く)
親友たる条件は、広い心を持つことだと思うのです。
寛容な心を持つ友人への感謝をこの章に込めて。




