宿とエレベータ、そして流れる泡
──「あ!」
宿へと向かって歩き出して数分、友人は何事か思い出したのか、突然声をあげた。
「しまった、駅のロッカーにバッグを入れっぱなしだ……」
そういえば。何かが足りないと違和感は覚えていた。そうだ、あのボストンバッグが今は友人の肩から下げられていない。別行動前に、半ば強引にロッカーに押し込んだ、あのぱんぱんに膨らんで、ずっしりと重い、ボストンバッグ。中に何が入っているのか、訊いてはいけないと思っていたあのボストンバッグ。押し込んだとき、何かが折れるような音がしたっけ。
「取りに戻ろうか?」
私の問いに、友人は迷うことなくYESと答える。
来た道を戻り、再び駅構内へと戻る。時刻は19時を少し回ったところ。到着した昼前に比べると、構内の人混みはやや解消されたようだ。皆、街へ繰り出したのだろうか。
ロッカーの鍵を開け、押し込まれたボストンバッグを2人でほとんど力任せに引っ張る。ショッピングセンター騒動で疲労した私(全面的に非は自分にあるのだけれど)、腕に力が入らない。
3分ほど格闘し、取り出されたボストンバッグ。そして友人が買った書籍の入った2つの袋に、私が買ったジャケットとTシャツが入った包み。さすがにこれら全てを持って移動したのでは、機動面に支障が出る。
「あぁ、バッグの代わりに君が買った服と俺が買った本を入れておけば、移動に困らないね」
友人が提案した。ここ数時間で"旅のノウハウ"を学習したのか、早いとこ夕食にありつきたいのか、それとも夜型なのか、友人、頭が回っている。それは良案、私は友人の提案に乗り、今日の収穫をロッカーに入れ、指定都市駅に到着した時点と同じ装備に戻して、再び宿のある方角へと歩き出した。
宿となるビジネスホテルまでは指定都市駅から徒歩約20分と少し。駅前からやや離れていて、アクセスが若干不便なのか、それとも建物が古いからなのか、駅前のビジネスホテルが宿泊する1ヵ月前には予約しておかなければ部屋が確保できないのに対して、我々が今向かっている宿は宿泊予定日が割りに近くても、満室となっていることが滅多にない"穴場"である。
2人並んでてくてくと歩く。飲食店が並ぶ通りを抜け、さらにてくてくと歩く。友人はずり落ちそうになるボストンバッグを何度か肩にかけ直しながら歩く。私は痛む肩をさすりながら歩く。
「あ、ここを曲がるのですよ」
友人に言う。空腹と、肩の痛みと、発汗で今度は私が脱水気味になっていたのか、言葉遣いが変だな……と自覚しつつ、友人を促す。
角を折れて100メートルほど進むと、今宵我々が夜を共にする(繰り返しになるが我々はストレートである)宿に到着である。
「ここです、到着です」
友人の先に立ち、あまりスムーズとは言えない自動扉を抜けると、フロントである。
「いらっしゃいませ」
スーツに身を包んだホテルマンが笑顔を向けてくる。この宿、私は"行きつけ"なので、向こうは気付いているのかは不明だが、ホテルマン氏、朝でも夜でも、同じ笑顔である。ちょっと怖い。
「えぇと、1泊で予約した者ですが……」
名前を告げると、ホテルマンは部屋の鍵2つと住所氏名を記入する用紙を取り出す。慣れたことさ。私はすらすらと記入事項を埋め、宿泊料を支払う。当然であるが、宿泊料は割り勘である。しかしここは先輩の私が先に支払う。友人よ、どうだ?これがスムーズなチェックインの仕方さ、先輩から学びたまえ。
友人に責任転嫁したことはキオスク合流前に猛反省したのだ、もう普段通りでよかろう。私の脳味噌はそう告げていた。なんと自分勝手なことよ。
背後にいた友人を振り返ると、私の華麗なチェックイン動作を見たのか見なかったのか、友人は宿の内装を興味深げに見回している。
まぁいい、見学も大事な勉強だし。鍵を受け取り、客室のある階へ収容人数は多くて平均的な成人男性3人が限界であろう、エレベータに乗る。ギシギシと不安な音をたてながら上昇するエレベータ内で友人はこう言いかけた。
「ここ、結構な値段の割には随分とボロ……」
「みなまで言うな」
私は友人が言いきる前に言葉を制した。
部屋のある階でまたもや不安な音をたてながら停まったエレベータを降り、友人に部屋の鍵を渡す。私は背負ったリュックから小銭入れを出して、廊下に設置してある自動販売機からスポーツドリンクを買おうとした。すると友人、スポーツドリンクなら自分が持っていると言う。
ありがたい話だった。宿泊施設やアミューズメント施設は得てして自動販売機の飲料が高めに設定してある。それならばありがたく頂戴できるならそれにこしたことはないし、料金を請求されたら、友人が買った際の料金を支払えばいい。私はお金に関してはシビアなのである。
それならば一旦、夕食に出る前に小休止、の運びとなった。
鍵を開けて自分の部屋に入る。入って右手に洗面所兼風呂場、正面にシングルベッドが鎮座していて、部屋の左手に申し訳程度にテーブルと椅子。テーブルの上に小さな液晶テレビと電気ポットがあるおかげで、テーブルの上で何か作業しようものなら、ポットを床によけて、テレビの角度を変えて、やっとノートパソコン1台が置ける程度の面積になる。配置は私が知る限り、シングルはどの階のどの部屋も同じのようだ。
とどのつまり、非常に狭いわけである。
以前この宿に研修で3泊した際、床に置いたキャリーバッグに躓いて派手に転倒し、壁に額を打ち付け悶絶した。友人は"結構な値段"と言ったが、駅から徒歩30分圏内の宿では、ここが最安値である。もしかしたら、この狭さのおかげで、比較的空いているという状況が生まれるのかも。などと、いらぬ宿事情をぼんやりと考えながら、洗面所の蛇口からポットに水を入れていると、ドアをノックする音が聞こえた。
ドアを開けると、リュックは自分の部屋に置いてきたらしい。中身不明、存在感たっぷりのボストンバッグを肩から下げ、ドアの向こうに立っている友人がいた。どうぞどうぞ、と招き入れる私。しかし、この狭い部屋にこのサイズのボストンバッグを足元に置いたのでは、歩くことも不便だろうに。私は思いながらベッドの端に腰掛けた。実際、どすんと床に置かれたボストンバッグは我々の機動性を奪った。椅子が出せない。仕方がないので、ベッドに隣り合って座る私と友人。妙な気分になる。これじゃまるで、カップルじゃないか。旅先。客室という密室。隣同士。ベッドの上。嗚呼……
しつこいけれど、私も友人も、ストレートである。
あらぬ妄想に意識を飛ばしている私を知ってか知らずか、友人は、膨れ上がったボストンバッグのサイドポケットから、2本、スポーツドリンクを取り出した。500mlが2本。これで1キロ。そりゃあ重たくもなるって。
つっこみながらも、ありがたく頂戴し、半分ほどボトルを空ける。水分を失った体に染み渡るのを実感する。うまい。
礼を言い、代金を払おうとする私を、友人は制した。いらないって?なんだよ、優しいなコイツ。2人仲良く並んで水分補給をする。そして、2人仲良く、これから向かおうとする定食屋をマップで確認する。予想通り、先ほど通ってきた飲食店街に目当ての定食屋があるもよう。
「では、行きますか」
私の号令に似た台詞で、我々は仲良く立ち上がった。
──30分後。
私は焼肉丼を、友人はカツ丼とワンタンをがっついていた。トラブルはあれど、初日の目的を果たし、宿に着き、緊張が緩むと途端に腹は減ってくる。それにしてもこの友人、大食いである。デリケートな胃腸の私、焼肉丼だけでもチャレンジだというのに。
セルフサービスの麦茶を飲みつつ、食休みをしている最中、私はこの旅が始まって以来ずっと気になっていた疑問を思い切ってぶつけてみた。
「あのさ……あのボストンバッグ、随分重そうだったけど(実際重たかったけれど)……何を持ってきたんだい?たかだか1泊だろ?」
意外とも思わぬ表情で友人はあっさりと私の問いに答えた。
「ん?あぁ、着替えと寝間着と、本と、雑誌。それにシャンプーとコンディショナーとワックスに、髭剃りと歯磨き粉に歯ブラシと、あ、あとポータブルDVDプレイヤーと枕」
………。
声が出なかった。確かに私も旅先で枕が変われば熟睡できるタイプじゃないけれど、本当に枕を持参してくる人がいるとは。まさかその第1号が友人とは。そりゃあボストンバッグもぱんぱんに膨れるわけだ。加えてさっき消費した飲料2本。納得した。
「何、どうしたの?」
「い、いや、なんでもない、準備万端だったわけだ、備えあれば憂いなしって……ね」
頷きながら返答し、再び私は黙ってしまった。麦茶を流し込みながら思う。枕まではまぁ納得するとして、DVDプレイヤーとは。旅慣れしていない。それにしても……アンタ、そりゃ持ちすぎでしょうよ。
別々に会計を済ませ、定食屋を出る。腹は満たされた。後は宿に帰って、明日の行動プランを話し合って……。あぁ、昼間は随分と汗をかいたのだ、シャワーを浴びたい。横を歩く友人は、好物を腹に収めて満足したらしい。出発した時の車内と同じく、鼻歌を歌っていた。実際の歌声は聴いたことがないけれど、きっと上手くはない……と思う。
──再び宿。
友人は私の部屋に置いたままになっていたボストンバッグを自分の部屋へと持ち帰り、次は友人の部屋で明日の日程会議を開くことで案は可決され、シャワーを浴びるためそれぞれ部屋へと引っ込んだ。
頭からシャワーを浴びながら、備え付けのシャンプーで髪を洗う。やはりここは指定都市。大都会なのだ。シャンプーの匂いに、排気ガスだろうか、刺激臭と埃っぽい臭いが混ざる。洗髪という小さなことでも、人口密度も高くない自然豊かな我が地元と、人口密度も高く、ビルとコンクリートに囲まれた指定都市の空気の違いがはっきりとわかる。
髪を洗い、体を洗い、ドライヤーで髪を乾かす。新しいTシャツに着替える。持参したジャージのズボンを穿く。シャワーを浴び、新しい衣類に着替えただけで、何だか身が清められた気分になる。
鍵を掛け、部屋を出る。
昼間に着用していたTシャツ、下着、タオル、ちょっと迷ったが、友人から借りたTシャツをまとめてコインランドリーの洗濯機に放り込んで、私は友人の部屋の前に立ち、ドアを2回、ノックした。
(7話に続く)
今回は少し長めのお話です。ゆるっと読んで頂ければと思いますm(__)m
旅の持参物、慣れてはいても、迷いますよね?




