そして家路へ
新幹線改札口近くのカフェに落ち着いたのも束の間、終電に間に合わないと駆け足で改札を抜け、発車ぎりぎりで乗車した中継駅行きの電車が走り出した車内、扉の近く。乗客の視線を浴びながら、揺れる車内で私と友人は片手で金属製のポールを握り、片手で荷物を抱き、しゃがみ込んでいた。
2人の額からは汗が流れ落ち、息が上がって両肩が上下に動いている。周りの乗客の目線を気にしつつ、乱れに乱れた呼吸を整える。
「大丈夫?」荷物を抱えながら、私は言う。
「大丈夫、大丈夫」汗を流しつつ友人は答える。吹き出した汗は額から顎まで伝っている。
「すまなかった、俺のミスだ。A駅発の終電、こっちを1本早く出ないと間に合わないのを忘れていたよ」深呼吸をしながら私は言った。
「あのさ、そのことなんだけどね……」呼吸を整えながら友人は言う。「君、家まで電車で帰ろうとしてないかい?」友人は続けて質問を投げてくる。
「え? うん、電車で来たんだもの、電車で帰るのは当たり前じゃないのさ」と私。
「あの……A駅まで俺の車で移動したの、覚えてる?」言って友人は額と顎の汗を手の甲で拭った。
「あ……」私は友人に聞こえるか聞こえないかのボリュームで言う。
「いや、もう乗っちゃったからいいんだけどさ、カフェでそのことを話そうとしたんだけど、君、よほど焦っていたんだねぇ、まるで聞いてくれる雰囲気じゃなかったし、ははは……」力なく友人は言う。
「すまない……忘れていた、いつも俺、1人だったもんだから……」言って目頭が熱くなってきた。他の乗客がいるというのに、泣いてしまいそうだ。
「大丈夫、大丈夫、もう気にするなよ」友人が私の左肩を叩きながら言った。激痛が走ったが、私は何も言えなかった。
──指定都市駅を出発して20分後。
座席の埋まった電車内、会話らしい会話もなく立ち乗りする我々は、荷物を足元に置き、それぞれポールと吊革につかまって電車に揺られていた。車窓から眺める街並みに暗さが広がっている。そろそろ陽が落ちる時間だ。
中継駅へと近づくにつれ、乗客は少しずつ減ってきている。2人分の空きが出るやいなや、我々は座席に腰を下ろした。
「俺のせいでとんだ騒動になってしまって、すまない」平謝りする私。我ながら元気がない。
「だから気にするなって、貴重な経験をさせてもらったし」友人は言って、ふくらはぎを揉んでいる。
この2日間で随分と歩いたのだ。疲労が出てきてもおかしくはない。私の足も、重りをつけたかのような感覚である。
罪悪感はなかなか去ってくれないが、あまり謝り過ぎても良くないだろう。リュックの中から文庫本を出して、中継駅まで読書をすることにする。友人も倣って、往路で読んでいたハードカバーの新書をボストンバッグから取り出した。その数分後──私の右肩に何か重たいものが乗ってきた。驚いて視線を横にやると、膝の上に開いたままの新書を置き、私の肩の上で寝息を立てる友人がいた。
──中継駅。
到着のアナウンスでも眼を覚まさない友人の肩を軽く叩き、起こす。
「うん? 寝てた?」と友人。
「うん、疲れていたんだろ? 中継駅、着いたよ」
「そうか、寝ていたか……」言って友人は首を回した。
荷物を持ち、降車して中継駅のホームに立つ。すっかり暗くなって、気温もぐっと下がっていた。冷えた空気を吸い込む。私は中継駅のキオスクに入り、チョコレート菓子を2袋購入した。それを友人に渡す。
「これ、俺が砕いちゃったやつ」
「お、すまんね」友人は笑みを浮かべてチョコレート菓子を受け取った。
中継駅の待合室で2人仲良く並び、A駅行きの電車が来るのを待つ。友人は束の間の睡眠と、チョコレート菓子の糖分のおかげか、随分と元気になったようだ。友人と私の共通の趣味である、映画の話で盛り上がる。友人が"作中の効果音と映像インパクトの相互関連性とその歴史"について力説し始めたあたりで、ホームにA駅行きの電車が滑り込んできた。助かった。大学で歴史研究部に所属していただけあってこの友人、研究者肌である。語り始めると長くなる。まともに耳を傾けるのは面倒くさ……私はそこで自分の思考回路を切断した。
トイレを済ませ、荷物を持ち、電車に乗り込む。
「ところでね、さっきの話の続きなんだが、君の場合海外のアクション映画が好きだろう? アクション映画というのは得てして"音"の良し悪しが作品に反映されるわけで、いくら映像のインパクトが強くても効果音が安っぽいと……なぁ、聞いてる?」熱くなり始めた友人。これは無理矢理にでも流れを変えてしまわないと、厄介なことになる。
「うん、聞いてるよ、勿論。だけどほら、ここは電車の中だし、いくら小声でも隣とか向かいの乗客がね、俺たちが好きな映画が大嫌いだったとしたら喧嘩になっちゃうよ。続きは君の車の中でしようぜ。俺、もう少しで小説を読み終わりそうなんだ。読書してもいいかい?」私は言う。
「あ、そうか、すまん。俺は映画の話となると、声がでかくなるもんな。よし、俺も本を読もう」言って友人はボストンバッグからハードカバーの新書を出してページを開く。
そういえば私、友人の本のタイトルをよく見ていなかったことに気付く。横目で窺うと、近代日本史の学術書のようだった。歴史好きは健在か……思って、私も読みかけの推理小説のページを開いた。
──10分後
我々を乗せた中継駅発、A駅行きの電車が走り出した。文庫本に視線を落とした私の体に異変が起きたのは電車に揺られ始めて間もなくのこと。小説の内容が頭に入ってこない。それに、何だか眼が霞む。えぇと、今ここに私がいて、隣には友人がいて。行き先はA駅。それで、その後友人の自動車に乗って帰る。その道中は何をするんだったっけ?何だろう、このふわふわして、不思議な感覚──。
私はそこで記憶を失った。
──声が聞こえる。誰の声だろう?眩しいなぁ、えっと……ここはどこだっけ?
「うぐっ」声が漏れた。眼を開けた私の視界に電車内の中吊り広告が入ってくる。乗客と思しき人が荷物を持って立ち上がっている。あ、そうか、ここは電車の中だ。中継駅を出発して、途中から何だか意識が朦朧としてきて。それに、脇腹が重苦しく痛い。
「起きたか?」友人の声がする。
声の聞こえた方向を向くと、足元のボストンバッグを座席に持ち上げる友人の姿。
「えっと、俺、どうしたんだ? うんと、ここはどこの駅?」私は友人に質問する。
「A駅だよ。声をかけても起きないし、揺すっても起きないし。困ったんで、すまんがここを使わせてもらった」言って友人は自分の肘を指さしている。
──成る程、寝てしまったのか。さっきの衝撃はそうか、友人が私の脇腹に肘鉄を食らわせて起こしてくれたのか。にしても、手加減してほしい。友人、自分の力の強さを自覚しているのだろうか。まったく……思いながら私も急いで降車準備にかかる。
我らが地元A駅。見慣れたホーム。中継駅よりも空気が冷たく感じる。そうか、戻ってきてしまったんだな。友人の肘鉄のおかげですっかり覚醒した私は、この2日間のことを思い出しながら構内へと続く階段を上る。後ろにはボストンバッグと書籍、お土産の入った袋を下げた友人の姿。
改札口に切符を通し、待合室を抜け、A駅の外に出る。2人並んで冷えた空気を吸い込み、自動販売機からコーヒーを買って、有料駐車場に停めた友人の自動車へ向かって歩く。自動車に悪戯はされていないようだった。
友人はトランクを開けて、背負っていたリュックと重量級のボストンバッグ、書籍の入った袋2つとお土産の入った紙袋を入れる。私の荷物は後部座席に置かせてもらう。トランクを閉め、友人は運転席に座る。私は助手席に座る。
「貴重な経験もできたし、楽しかったな」ハンドルを握って友人は言う。
「うん、楽しかった。色々あったけど、楽しかった」私が言う。
友人はエンジンをかける。
「じゃ、家に帰ろう」友人が言う。
「うん、帰ろう、ドライバー、頼んだよ」私が言う。
いつもの親指を立てたサイン。「任せろ」と言っているのだろう。
山、田んぼ、畑、河川に囲まれた我らが地元の国道。道は空いている。ライトを点けた友人の自動車は、軽快なエンジン音を立て、走り出した。
(了)
電車内で寝てしまったことは多々ありますが、どんな寝顔なんだろうか……考えないようにしています。




