36 記憶
俺の涙を見て不安そうなユーキに、適当な言葉をかけられなかった。
ケータの視線が痛い。
「イチロー、お前」
眉を寄せて訝しむケータに、顔が強張った。
もう駄目だ。もう、一緒にいられない。
ケータには後日気付かれないようにケルンを渡そう。戦闘範囲を満たせばケルンを渡すことは簡単だ。勝手に戦闘開始させて、負けを宣言すればいい。ケータは条件を摂取できないだろうし、気付いても追いかけては来れない。
腕を掴もうとする手を振り払い、全力で逃げた。
「イチロー!」
ケータの声が痛かった。
ケルンを4個手に入れて、記憶を取り戻した。
ケータにクリーガーについて教えてもらって戦って得た1個。ヨウスケに俺が戦う理由を説明して貰った1個。ユウジに勝って得た1個。
そして、ケータには秘密にしていたユーキから貰った1個。
ユウジに勝った時、記憶の空白部分が埋まった気がした。何を忘れていたのか、全部わかった。
昔のことから最近のことまで全部。忘れてはいけなかったのに。
小学校に入学する前、引っ越しで遠くに行ってしまったヨースケ。楽しかった思い出と共にヨースケのことを忘れた。幼馴染みは4人ではなく3人だったと、記憶を改変させていた。
家に帰らない両親。世間体のために離婚しない夫婦だった。それぞれ別の相手がいるから、家に帰ってくることはない。俺がクリーガーになった日に母親が帰ってきたのは偶然で、衣替えのためだった。あの人にとって、家は倉庫代わりなんだ。でも、「自分の家だから勝手なことはさせない」と、誰かを泊めるときにはメールするように言われていた。それだけは覚えていて、ケータの時も、ユーキの時も連絡はしていた。
そして、一番忘れてはいけなかった記憶。
目の前の交差点で信号が青に変わるのを待っている小学生。女の子で黒のランドセルが印象的だった。
この交差点は交通量が多く、交通事故が多発している場所だった。狭い歩道なのに自転車も通行可能で、すれ違うのにも注意が必要だった。
前から歩いてくる男性とすれ違うために道の端に寄った。ドラムバッグが邪魔にならないように前で抱え、通り過ぎるのを待った。
そのまますれ違うと思っていたのに。
男の手が、小学生のランドセルを押した。
「え……」
少女が道路に向かって倒れ込む。
信号は変わっていない。
迫ってくる車。
少女に向かって手を伸ばしたけど、何も掴めなかった。
少女の体が浮いた。
浮いて、落ちた。
誰かが俺の肩を掴んで何かを言っていたけど、何を言われているのかわからなかった。
伸ばした手を、引き戻すことができなかった。
「ケータの妹だったんだ」
ケータの取り戻したい妹が、俺が助けられなかった少女だった。




