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母の故郷、人族の国スムズへ到着したアテナたちを待っていたのは、王女の来訪を歓迎する夜会だった。
王城の大広間には華やかな音楽が流れ、色とりどりのドレスに身を包んだ貴族たちが集まっている。
けれど、華やかな空気とは裏腹に、アテナはどこか落ち着かなかった。
視線を向ければ、こちらを窺うような目がいくつもある。
当然だろう。
ここは母リーナが生まれ育った国。
そして父が、母を奪った国でもある。
「アテナ姫と我が子たちは従兄弟に当たりますな。是非、仲良くしていただけると有難いです」
母の兄であるスムズ国王が、穏やかな笑顔を浮かべながらアテナに声を掛ける。
力で押し切る武の王である父とは違い、人族らしい優しげな笑顔には、その人柄が現れているようだ。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
当然、アテナも笑顔で応じた。
けれど、国王の瞳を見た瞬間、その笑顔の奥にあるものに気付いてしまった。
冷たい。
まるで、凍りついたような感情がそこにあった。
妹であるリーナの死。
その原因が何であったのか、国王はきっと知っている。
母は望んで獣人族へ嫁いだわけではない。
父がスムズ国を武力で脅し、無理矢理に婚姻を成立させたのだ。
スムズは国を守るために、姫であるリーナを差し出すしかなかった。
それが、この国にどれほど深い傷を残したのか。
アテナには想像することしかできない。
両国は婚姻によって縁を結んだ。
けれど、それは決して友好的なものではなかった。
ガート国の武力がスムズ国を上回っているからこそ、今は表立って逆らえないだけ。
もし両国の力関係が逆転すれば……
そのとき、スムズ国がガート国をどうするのか。
アテナには分からなかった。
歓迎の言葉を口にしながらも、国王の瞳はこう告げているように思えた。
『私は、あの男を許してはいない』
そして、その男の娘である自分を、完全に受け入れているわけでもない。
その事実が、胸に重くのしかかった。
母の故郷なのに。
母が愛した人々が暮らす国なのに。
そこには、母を奪われた者たちの悲しみが今も残っている。
「アテナ姫、宜しければ私とダンスをお願いいたします」
「もちろんです」
ノワールとの最初のダンスを終えると、アテナは次々と男性から声を掛けられた。
相手はスムズ国の大臣や武将たち。
他国から訪れた王女に対して、国の重鎮たちが挨拶を兼ねて踊りを申し込んでいる。
一見すれば、歓迎されているようにしか見えない。
けれどアテナには、その意図が分かっていた。
アテナもまた、「番探しの旅」でこの国を訪れている。
もし若い男性と親しくなり、その相手がアテナの番だと判明したら。
番だからという理由だけで、アテナが相手を連れ帰る可能性を、スムズ国は警戒しているのだ。
だからこそ、若者がほとんどいない。
夜会という華やかな場にもかかわらず、アテナと同年代の男性は驚くほど少なかった。
出会わなければいい。
番だと分からなければいい。
そんな国側の意思が、会場全体から伝わってくる。
歓迎されているはずなのに、どこか張り詰めた空気が漂っていて、アテナもまた、それを感じ取っていた。
「姫、私ともダンスをお願いできますでしょうか?」
「ええ、喜んで」
声を掛けてきた男性に、アテナは笑顔で手を差し出した。
父や母と同じくらいの年齢だろうか。
穏やかで優しそうな笑顔を浮かべた男性だった。
踊り始めてすぐ、アテナは気付いた。
この男性は、一般的な人族の男性よりも身体が大きい。
獣人族であるアテナは、人族の女性より背が高い。
けれど、この男性はアテナよりもさらに背が高く、鍛えられた身体つきをしていた。
騎士なのだろうか。
そんな疑問を抱きながら踊り、曲が終わると、男性が一礼した。
「私はこの国の騎士団長を務めております」
「やはり騎士の方だったのですね」
「ええ。そして……」
そこで騎士団長は一瞬だけ言葉を止め、アテナを見る。
「私は、リーナ様の元婚約者でもありました」
「……!」
アテナの胸が大きく跳ねた。
「貴方が……お母様の……」
何と言えばいいのか分からない。
謝るのも違う。
同情するのは、もっと違う。
父が母を奪った。
その被害者の一人が、目の前にいる。
けれど、アテナ自身に罪はない。
そう分かっていても、どんな顔をすればいいのか分からず、笑顔のまま固まってしまった。
そんなアテナを見て、騎士団長はふっと笑った。
「貴女は、お母上によく似ていらっしゃいますね」
「……そうでしょうか?」
アテナは戸惑いながら首を傾げる。
自分でも母に似ていないことは分かっている。
「私は父似だと、よく言われますが……」
獅子獣人である父によく似た黄褐色の髪。
金色の瞳。
見た目だけなら、どう考えても父親の血を濃く受け継いでいる。
だから、母に似ていると言われたことが不思議だった。
もしかしたら嫌みなのだろうか? そんな疑問さえ浮かぶ。
けれど騎士団長は、静かに首を横に振った。
「顔立ちの話ではありません」
「……?」
「貴女の立ち居振る舞いです。人の前ではいつも笑顔を作り、何かあれば自分一人で抱え込もうとする。そういうところが、リーナ様によく似ている」
「……お母様が?」
「ええ」
騎士団長の瞳が、懐かしむように細められた。
「そして、ガート国の国王陛下が何をしたとしても、それは貴女の罪ではありません」
「騎士団長様……」
「アテナ様、どうぞ、この国にいる間くらいは何も気にせず楽しんでください」
「……ありがとうございます」
アテナは深く頭を下げた。
胸の奥が、じんと熱くなる。
ああ……
やはり、母が選んだ人なのだ。
父とはまるで違う。
自分の婚約者を、獣人族という圧倒的な力によって奪われた人なのに。
本当なら、誰よりもガート国を憎んでいてもおかしくない。
それなのに……
騎士団長はアテナを責めることなく、むしろ居心地の悪そうな彼女を気遣ってくれた。
母がこの人と結婚していたら。
もし父ではなく、この人と人生を歩んでいたら。
きっと母は、もっと幸せだったのではないだろうか。
そんな考えが、頭から離れなかった。
すべての始まりは、「番」という存在なのかもしれない。
番だから。
運命だから。
抗えないから。
それを理由にすれば、どんな行為も許されるような空気が獣人族にはある。
番を見つけたことは素晴らしい。
運命の相手に出会えたことは幸せなこと。
誰もがそう信じている。
けれど、その運命によって誰かの人生が壊されることだってある。
母のように……
それはアテナ自身も同じで……
アテナは拳を強く握った。
王太子としての番探しの旅を終えたら、必ず、番制度そのものを見直そう。
番という運命に振り回される者が、二度と生まれないように……
それが、母の娘として自分にできることなのだと、アテナは固く誓った。
そして数日後。
ついに、アテナは運命の相手と出会った。
相手は一人の騎士だった。
王城に仕える、まだ若い青年。
ただ、それだけだった。
アテナに付けられている護衛は、皆既婚者か、年齢の高い者ばかりだった。
だから、その青年と会ったのはほんの一瞬。
廊下で、すれ違っただけだった。
それなのに……
その瞬間、全身を雷に打たれたような衝撃が走った。
心臓が大きく跳ねる。
息が苦しくなる。
目の前の青年から、一瞬たりとも目を離したくなくなる。
もっと近くへ。
声を聞きたい。
触れたい。
この人が欲しい。
そんな感情が、頭の中を一瞬で埋め尽くした。
これが『番』の力。
運命の力なのだ。
アテナは震えた。
自分にとって何より大切な人は、ノワールだ。
一緒に国を変えたいと思う相手もノワール。
これからの人生を共に歩みたいと願う相手も、ノワールだったはずなのに。
目の前の青年と出会った瞬間、それらすべてがどうでもいいことのように思えてしまった。
もし、抑制薬を飲んでいなかったら、きっと自分は、彼に駆け寄っていただろう。
愛を囁き、触れ、そして父と同じように彼を自分のものにしようとしていた。
薬を飲んでいても、この有様なのだ。
番という存在が、これほどまでに恐ろしいものだったとは……
アテナは震える手を握り締めた。
番を前にして父のようにはならない。
そう足掻き続けていた兄リアム。
その苦しみが、初めて理解できた気がした。
「青年の名はイアン。騎士団長の息子で、近衛騎士を務めている」
ノワールが調べてくれた情報を、淡々と口にする。
その声を聞いた瞬間、アテナは小さく息を吐いた。
なぜか、ほっとした。
番が現れても、ノワールは変わらない。
アテナなら心を奪われることなどない。
そう言ってくれているような気がした。
けれど、それでも、番の名前を知っただけで心が浮つく。
まだ一言も話したことがない。
目すら合わせていない。
それなのに、会いたい。
声を聞きたい。
もっと知りたい。
恋しい。
そんな感情が勝手に湧き上がってくる。
自分の意思とは関係なく。
頭でどれほど否定しても、心だけが番を求めてしまう。
分かっていた。
番とは、そういうものなのだ。
けれど実際に体験してみれば、その恐ろしさは想像以上だった。
母をどうしても欲しいと願った父の気持ち。
番というだけで、すべてを捨ててしまった者たちの気持ち。
今なら分かる。
分かってしまう。
そして、それが何よりも恐ろしかった。
自分も父と同じ獣人なのだと、嫌でも思い知らされる。
アテナは、自分という存在そのものが気持ち悪くて仕方なかった。
それから数日後。
アテナは騎士団長の屋敷を、秘密裏に訪れていた。
息子であるイアンがアテナの番だ。
その事実をノワールから聞かされた騎士団長は、顔を強張らせたという。
身体にも力が入り、まるで何かに耐えるような姿だったらしい。
「これも……運命なのでしょうか……」
騎士団長はノワールの前で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
イアンには、すでに婚約者がいる。
しかも結婚は間近。
その話を聞いたとき、騎士団長はきっと、遠い過去を思い出したのだろう。
自分もかつて、同じように運命によって婚約者を奪われた。
だからこそ、思わずそんな言葉が口から零れたのだ。
けれど、ノワールは迷うことなく言い切った。
「運命は、自分で変えるものです」
その言葉に、騎士団長が顔を上げる。
「アテナ様も、それを望んでおります」
アテナからの訪問願い。
騎士団長は、てっきり息子への求婚だと思っていたのだろう。
けれどノワールの揺るぎない態度を見て、それが間違いだったことを悟った。
そして、訪問当日。
アテナは騎士団長とイアンを前に、一枚の紙を差し出した。
「運命の番を解消する魔法……?」
騎士団長が驚いたように目を見開く。
「ええ。スムズ国へ来る前、私たちはエルフの国へ行きました。そこで、番を解消する魔法陣を書いていただいたのです」
アテナが差し出した紙には、複雑な魔法陣が描かれていた。
「番を解消するには、お互いの血が必要だと聞いております」
「……そうですか」
騎士団長は魔法陣を見つめた。
そして、ゆっくりとアテナを見る。
「私は王太子であり、未来の女王です」
アテナはまっすぐに騎士団長を見つめた。
「国のために選ぶ伴侶は、番ではなく、私自身が選んだ人であってほしいのです」
イアンを見る。
彼が劣っていると言いたいわけではない。
むしろ、彼もまた番という運命に巻き込まれた被害者なのだ。
「イアン様が劣ると言っているのではありません。これは、獣人族の王女としての私の意向です」
そして、隣に立つノワールへ視線を向ける。
「私を理解し、支えてくれるのは、いつだってノワールでした」
アテナの声は揺れなかった。
「たとえ私の番がどれほど素晴らしい方であったとしても、私は王女の伴侶にはノワールを選びます」
それは、アテナ自身が選んだ答えだった。
「ですから……番解消のお手伝いをしていただきたいのです」
番を感知する能力のない人族にとっては、一方的な申し出に聞こえるかもしれない。
けれどアテナには分かっている。
このまま自分の番がイアンであることが知られてしまえば、ガート国の父たちが何をするか分からない。
番という理由だけで、イアンを奪おうとするかもしれない。
そうなる前に、番という繋がりそのものを断ち切る必要がある。
その意味を、イアンも理解していた。
「……分かりました」
イアンは静かに頷いた。
彼にも婚約者がいる。
アテナが自分の番だと知った今、彼もまた婚約者を守るために番の解消を望んでいた。
「では、番解消の魔法を執行いたします」
エルフの国から授かった魔法石を置き、魔法陣を床へ広げる。
アテナとイアンは、その中心に立った。
ナイフで指先を傷つけ、ほんの一滴の血を魔法陣へ落とす。
次の瞬間。
魔法陣が眩い光を放った。
光は二人を包み込み、まるで運命そのものを示すかのように、二人の周囲へ大きな円を描いていく。
「……っ」
アテナの心臓が激しく鼓動した。
ドクン、ドクン、と耳元で聞こえるほど大きな音を立てる。
イアンの姿が目に入る。
その瞬間、身体が勝手に動きそうになった。
傍へ行きたい。
抱き締めたい。
触れたい。
愛しい。
この人こそ、自分の半身なのだと、そう本能が叫んでいる。
けれど、次の瞬間だった。
光が弾けた。
それと同時に、胸の奥を満たしていた感情が、嘘のように消えた。
「……あ」
アテナは小さく声を漏らした。
何も感じない。
先ほどまであれほど恋しかったイアンを見ても、心は静かなままだ。
愛しいとも思わない。
触れたいとも思わない。
隣にいてほしいとも思わない。
ただ、一人の人間としてそこにいる。
それだけだった。
けれど、アテナの瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。
自分から望んだことなのに。
番を解消したかったのは自分なのに。
それなのに、胸の奥にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。
大切な何かを失った。
自分の半身を失った。
そんな悲しみだけが、静かに心を包んでいく。
それでもアテナは、王女として顔を上げた。
「これで……番は解消されましたわね」
獣人族の王女として、笑顔を作る。
父とは違う道を選択したのはアテナ自身。
自分で選んだ道だ。
後悔などしない。
国のため。
自分の未来のため。
そして、運命という言葉に誰かの人生を奪わせないため。
これで良かったのだと、胸を張って言える。
そうでなければならない。
けれど、その夜。
アテナは眠ることができなかった。
目を閉じても、胸の奥に開いた穴が消えてくれない。
何かを失ったという感覚だけが残り続けている。
番を解消すれば、すべてが終わると思っていた。
自由になれると思っていた。
けれど、運命の繋がりを断ち切った心は、そう簡単には元には戻らない。
暗い部屋の中、アテナは胸元を押さえた。
そこには、もう誰かを求める本能はない。
それなのに、涙だけが止まらなかった。
自分で選んだ道なのだから。
これで良かったのだ。
何度そう言い聞かせても、胸の奥に空いた穴は、朝になっても埋まることはなかった。
おはようございます、夢子です。
早いもので四話目です。
今日の夜には完結できるかなと思っております。
少しでも面白いと思って頂けたら、☆などの応援をしていただけると有難いです。
ノワールみたいに寄り添ってくれる男性っていいですよね。
ウチの長男猫がまさにそれ!w




