36 お先にサンバ、失礼します
翌週。月曜日。七月最後の月曜日。
夏休みに突入しているので、学校は無く。なので昼過ぎに寝ぐせで朝ご飯と洒落込んだ長江恭平は、出しっぱなしの炬燵に陣取って、甲子園出場を掛けた全国高校野球選手権地方大会の中継を眺めていた。
私立の有名校同士の争いとなった決勝戦。スタンドを埋め尽くした両校の生徒とたくさんの高校野球ファン。実況解説付きのテレビから響き渡るブラスバンドと黄色い声援。
その中に、一年生が一人だけいた。それも八番ライトでスタメンの。
なんとなくお兄さん達の大会だと思っていた高校野球に年齢が追いついたのだと思うと、少し不思議だった。
凄いな、と思う。あの子、勝ったら甲子園なんだと。
試合は一対三で三回裏。ツーアウト三塁で彼の打順。打ってみやがれとばかりに相手のピッチャーが投じた高めのストレートを弾き返した打球が、セカンドの頭上を越えて、歓声と共に外野を転がっていく。
雄叫びを上げるベンチの仲間達、手を叩きながらランナーが帰って、一点差。滑り込んだ二塁の上で、拳を掲げて応える一年生。
おお、すげえ。
やるじゃん一年生。と思って嬉しくなった恭平は、次の瞬間、スタンドで大喜びする可愛い女子がアップになったテレビを消した。
…………クソが。
もちろん彼に言ったわけじゃ無く、己の妄想に吐き捨てたんですよと頭の中でフォローしつつ、コーヒー牛乳をぐいっと煽って立ち上がる。
いったん部屋に戻ってバッグを背負ってリビングに顔を出すと、掃除機をかけていた母が振り向いた。
「あれ? どこか行くの?」
「ラジオ。せっかくだから、世織さんのを見ようと思って」
先週囚われの身となっていた長江愛ちゃん(●十五歳)は、ああ、と頷き自慢の掃除機のヒュイーンと言う音をBGMに。
「坂上の商店会の会長さんなんだっけ? あの人のは面白いのよね~。あ、じゃあ私も見にいこっかな?」
「……えぇ?」
思わず振り向いた恭平の渋い顔に、彼女は『うそよ、うそうそ』と笑いながら手を振って。
「お母さん、あんた達のは何が面白いのか分かんない時もあるんだけど、割と好きよ。家の子が楽しそうで何よりよ」
屈託のない母の笑顔に『そうですかぃ』と無言のまま曖昧いた恭平は、『行ってきます』と呟いて逃げる様に家を出た。
自転車に乗り、夏の街中をのんびりと。あえて一番下から坂を上る道を選んで、やっぱりきついなと社交ダンススタイルで愛車を押しながら。
伝統ある茶屋やコンビニ、チェーン店からゲームセンター果てはパチンコまでが混在する坂下から、飲食店が多くなる坂の中腹をえっちらおっちらと。ところどころシャッターが下りたままの個人商店の間には、右や左に伸びる小道が高校生にはちょっと縁の無いお洒落なバーや居酒屋・雀荘等が並ぶディープな世界へと誘う不思議な街。
見慣れた神社とスーパーの間を通り、肉まん屋の湯気を潜り抜けた辺りで坂の勾配が落ち着くと、いつも尾張ユリカと別れる交差点が見えてくる。
この信号を渡れば、『坂上』と呼ばれる商店街。
いつもとは反対側から、いつもと景色の違う真昼の坂を見上げつつ。
少しだけ、想像した。
いつか、ここに。自分達のラジオを聞いたリスナーが、連動したキャンペーン的な奴のキーワードなどを口にして――。
そして、少しだけ笑った。
何だか、九回裏二百対ゼロで負けている試合のベンチで、甲子園の想像をしてる奴みたいだ。
一人ベンチでニヤつく阿呆の姿に笑った顔を伏せ気味に、青に変わった信号を自転車を押して歩き出す。
賭けても良い。その試合、お前は負ける。
その試合でボロボロに負けて、お前は世間の笑いものか良くて熱血悲劇の脇役だ。どんなに他人が慰めてくれたって、その悔しさは拭えないんだ。
賭けても良い。俺達の教室と人生に、拍手喝さいの大逆転なんて存在しない。
でも、例えば、ラジオなら。
そんな馬鹿な妄想を、惨めなお前を、敗色濃厚なベンチで考えてしまった下らない事を、きっとどこかで誰かが笑ってくれる。
少なくとも、俺達はめちゃくちゃ笑うから。
もしも一緒に泣いて欲しいなら、そうすることもやぶさかじゃあない。話を聞いて欲しいだけならそうするし。こっちだって、毎回そうしてるから。
だから、番組、聴いてくれ。母さんは聴かなくていいけども。
二百対ゼロの試合が終わるまで、ベンチで優勝パレードしてるから。
「……俺達、ラジオ、やってます」
上り詰めた頂上から坂を見下ろし、熱さにやられた人だと思われない程度にこっそり笑った恭平は、自転車に乗って人気のない脇道へそれて行く。
あの古臭い小劇場で待つ、年齢も性別も、きっと生き方だってバラバラな、ラジオで繋がった仲間の元へ。二通くらいはメールが来てると良いなと思いながら。




