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32 変わった想い。変わらない事

 一時の熱が通り過ぎ、祭りの後の様に静かな放送ブース。普段なら真っ先に片付け始めるダメ大人達も今は音響担当のヨイトだけだった。


「帰って、いいんですよね?」


 搬入口から見て手前側にあるいつもの天空パイプ椅子。そこからしばらくぼんやりと劇場を見回した後、鞄を掴んで立ち上がった恭平に、小窓の向こうでコードをまとめていた行き過ぎ茶髪のもじゃもじゃ頭がひょいと上がった。


「ん? ああ、いいんじゃね? アスカか慎さんに会ったら早く来いって言っといて」


 頷いて、階段に足を踏みだす。


「キョーヘー」


 呼ばれて振り向けば、小窓から身を乗り出した橙パーマのヨイトさんが笑っていて。


「いい……土下座だったぜ」

「なんの物真似ですか? それ」


 渋い笑みで親指をぐっと立ててきたオレンジ髪と声も無く笑い合い、搬入口から地上に上がる。すると、薄暗いプレハブ小屋の入り口で煙草を咥えていたアスカさんが振り向いた。


「おう、来たか」

「はい。ヨイトさんが早く来いって」


 地下を指差した恭平に、まるでカフェオレみたいに優しく甘い苦笑いを夜闇に浮かべた自称『波多野飛鳥』は。


「おっけ。んじゃ、キョーヘー、ユリカちゃん送ってやってくれ」


 一瞬小屋の中に視線を送ってから、すたすたと咥え煙草で歩み寄り。百八十センチの高みから軽くウインクなどを打ち下ろすと。


「バトンタ~ッチ。ふぅ、女子高生はたまんねえな」


 すれ違いざまパチンと恭平の右手に右手をぶつけて、疲れた素振りで首を曲げ曲げ、汚れたビラに彩られた地下階段へと消えていった。


「……」


 まさかと思いつつ、恐る恐る暗いプレハブ小屋を覗き込む。


 ――と。


「いたっ」

「ぬあっ」


 突如闇から出現し、胸にごすりとめり込んだきのこ頭が可愛げのない悲鳴を上げて。


「……いった~。人の頭に乳首を押し付けるなよな、キョーヘー」


 俯いたまま意外と細かいキューティクルヘアーを撫でつつ文句を垂れる女子高生。見た所半袖の着衣に乱れは無く、あの髭面に掛けられた未成年淫行の疑惑は無事晴れた。


 が。


「……ええっと」


 じろりとその顔が上がった途端、気の利いた返しも出来ずに恭平が目を逸らしたのは。


「……何だよ」


 多分、プレハブ小屋の入り口を照らす安物ライトがあたったその瞳に、かすかにキラリと涙残りがあったからで。


「いや、泣いてんなあと思って」


「……うっさい。言っとくが、これはそう言うのとは違うからな」


 目元を擦りつつ犬歯を剥くユリカを改めて見る。彼女の言う『そう言うの』とはきっと『番組が終わって悲しい』からとか、『何も言い返せなくて悔しい』からとか、他人が想像しうる状況とか感情の名前についてなのだろう。


 わかる。と思った。


 十五年ちょい人の間で生きて来て、そこにはきっと一定方向の矢印を持たない感情があることも、それが一定のラインを越えてしまうと意味の無い叫びや涙が溢れてしまう事も。

 そして、多分そういうタイプの人間にとって、半端な同情や共感こそが最も嫌悪するべき敵なのだという事も。


 きっとそんな名前すら無い感情の塊で瞳と頬を紅く濡らしたまま『おうおう兄ちゃん分かってんのかボケぇ』と威嚇してくる相方に、それでもやっぱり相方らしく何か相応しい言葉を掛けようかと思ってご尊顔を見た瞬間。


「……はは……あははは」


 長江恭平は、堪え切れずに笑っていた。


「なっ、わ、笑うなっ!」

「あはははは! 泣き顔あはは、ぶっ細工だなあははは」


 多分、自分と同じで違う気持ちを剥き出しにしてくれた相方を。目尻に涙が滲むまで。


「なっ!? だ、誰が不細工じゃっ! 『ユリちゃんはべっぴんもべっぴんだぎゃあ』ってお婆ちゃんが絶賛してたぞ! 生前に!」


「あははは! お婆ちゃん、お婆ちゃん死んでる!」


「お婆ちゃんは死ぬだろうがっ! 死なないお婆ちゃんはいませんっ!」


「あはは、あ~、尾張さんはいちいち面白いなあ」


 心が痙攣したみたいに笑い倒して。


「バーカバーカ! 寿命縮め! お前なんか転んで寿命が縮んでしまえっ!」


 ムキになって鞄で殴って来る相方と追いかけっこをする様に神社まで続く路地を走り、いつもの様に提灯色に染まった蒸し暑い七月の夜の雑楽坂をだらだらと。多分、こんな夜には、自転車なんて置き去りでいい。



 帰り道。仏頂面の尾張ユリカは言い、長江恭平は答えた。


「……しかしあれだな。嫌いな奴にお願いをするとはロックじゃなくなったな、私も」


「いいんじゃない? 自分の好きな事しか見ないで誰にもこびないってのが格好いいってのもわかるけど。大切な物の為に頭を下げられるってのは、それはそれで悪く無いと思うんだ」


 ――いつかその愚痴でリスナーを笑い転がしたら、立派なラジオスターだぜなどとおどけながら。


「ったく。お前はいつでもふざけているな」

「顔がね」

「顔がな」


 もう随分前にぼんやりと憧れていた『かんざしさん』と二人、事実無根のめちゃくちゃなプロデューサーの空想生活から飛び火した下らない話でケラケラと笑いつつ、相方の不細工な泣き顔がご家庭用に戻るまで、芋虫みたいにのんびりと坂の街の細い夜空の下を降りて行った。


 そして。いつもなら別れる交差点で。


「……あのさ、キョーヘーさ」

「へい、なんですか、姫」


 恭平の誘いを、俯き気味の尾張ユリカは無視をして。


「何て言うか……その……私、面白いか?」


 いつか恭平が百本のバラの花束を抱えてラジオへと誘った辺りをみやりつつ。


「……私は、ちゃんと面白い奴に見えてるか?」


「まあ、変な奴だなあとは思ってるけど。初めて会った時から」


「……そうか」


 間髪入れずにとぼけてみせた恭平に、相方はふんと鼻を鳴らして顔を上げた。



 そして、二人黙ったまましばらく下り。目に映る全部が坂を照らす提灯色の灯りから駅の入り口へと続く白色灯へと変わる辺り。


「尾張さんさ」

「あぁん?」


 突然キレるという相方のボケを完全に無視しつつ、恭平は。


「俺、かんざしさんみたいなネタ、書いたことあったんだよね」

「んだとこるぁ?」


 最後の信号を待ちながら。


「かんざしさんのネタ、好きでさ。真似して書いて、送ってみた。その週、かんざしさんはもっとずっと面白くて、俺はやっぱり採用されなかった」


「おうおうあたぼうじゃボケェ」


 多分、その時くらいから。顔すら知らないその人に憧れ、少し嫌いで、尊敬してた。

 溜息みたいな恭平の独り言が終わるのを待つことも無く、駅へと渡る坂下の信号が、青に変わった。


「今は、多分、尾張ユリカの方がロックだと思ってる。あとファンキーだなって」


 高1男子にとっての最上級の褒め言葉、それに覚えたてのファンキーを添えて。


「じゃかわしいわっ! ワシに惚れるとケツかちこむぞワレェ」

「それは無い」


 ボケの収め処が見つからないまま肩で風切る相方と、横断歩道を渡りつつ。


「なんばしょっと! わしゃこげんロックでファンキーでキュートで可愛いかろうもんっ!」


「俺、尾張さんよりプチトマトの方が可愛いと思ってるから」


「おぅ待て! そこはせめてイチゴだろ!」


「んじゃ」


「おいこらキョーヘー! 考え直せ! イチゴにしてくれっ!」


「また来週」

「おー」


 また来週。多分、明日も学校で会うだろうけど。



 恭平の中では、初めて尾張ユリカと話して以来、彼女と会うのはいつだってまた来週なのだ。

 そして、その時の自分は少しでもあの人に面白い奴だと思われたい。ラジオを聞いてくれる人にも、面白い奴らだなって。


 ふと思う。もしかして最初から面白い人ってキャラ付けされてる分、尾張さんの方が大変なのかもなあ、と。


 それから、くすりと笑った。


 うん。やっぱり尾張さんとは週一で良いや。多分、お互い週二はきついと思うし。


 だから、もっと。もっと長く。

 週に一度限りのクレイジーなこの時間が、ずっと続けばいいのにと思った。



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