ハムスター 2
一週間後。
刑事として捜査一課に戻ってきたのは、三日間の謹慎処分が終わった朝だった。
久しぶりに袖を通したスーツは少し窮屈で、課の扉を開けた瞬間、懐かしい空気が鼻をくすぐる。
「来たか……斎藤」
デスクの奥から上司の中村が低い声で言った。
「お久しぶりです、中村さん」
俺が軽く頭を下げると、隣の席にいた金田が椅子をくるりと回してこちらを向いた。
「僕が休んでる間に…三日間の謹慎って、なーにやらかしたの?斎藤くん」
答える前に、中村が深いため息をつく。
「最近飼い始めたハムスターを制服のポケットに入れて出勤してきたんだ、こいつは」
一瞬の静寂。
そして――。
「ぶはっ!」
金田が腹を抱えて笑い始めた。
「ハムスター!?警察署に!?はははは!」
「笑い事じゃない」
中村は額を押さえながら続ける。
「ハムスターを持ち込むなと何度注意しても聞く耳を持たん。だから謹慎処分にして、実家へ預けるよう命じたんだ」
金田は笑いをこらえながら俺の肩をぽんと叩いた。
「家で飼えばいいだけの話でしょ、それ」
「家に置いておくのは不安なんです」
俺は真面目な顔で答えた。
呆れる二人をよそに、俺は話を続ける。
「ここに連れてくるにあたって、ちゃんと役に立つよう訓練もさせたのに…全て無駄になりました」
「訓練?」
金田が首をかしげる。
「ええ。麻薬探知犬のように、薬物の匂いを覚えさせたんです。これで――」
言い終わる前だった。
「待て!!!!」
中村の声が捜査一課中に響き渡る。
「まさか、お前、証拠品保管庫から麻薬の袋を取ったんじゃないだろうな!」
課内の刑事たちが一斉にこちらを振り向く。
俺は慌てる様子もなく、スーツの内ポケットから小さな袋を取り出した。
「中村さん、安心してください」
そう言って、中村の手に白い粉の入った袋をそっと乗せる。
「証拠品は、お返しします」
中村の顔がみるみる青ざめていく。
「お、お前……本当に持ち出したのか……!」
「もちろん無断ではありません」
「いや、無断だろう!」
「ハムスターの訓練のために、一時的に借りただけです」
「借りるなぁぁぁ!」
捜査一課に、再び中村の絶叫が響き渡った。
中村の手に乗せられた白い粉入りの袋を見て、課内の空気は凍りついていた。
誰も口を開かない。
俺は数秒その空気を楽しんでから、小さく肩をすくめた。
「冗談です」
「……なにぃ!?」
中村の眉がぴくりと動く。
「白い粉は麻薬じゃありません。ホットケーキミックスです」
そう言って袋を軽く振って見せた、その瞬間だった。
「あっ」
指先から袋がすっぽ抜ける。
弧を描いた袋は、まるで狙い澄ましたように中村の顔へ一直線に飛んでいき――。
パフッ。
乾いた音とともに袋が破れ、白い粉が中村の顔中に舞い散った。
「……」
捜査一課が静まり返る。
誰一人として息をしようとしない。
真っ白になった中村だけが、ゆっくりとこちらを向いた。
「あー……中村さん、大丈夫ですか?」
金田が恐る恐る声をかける。
「大丈夫に見えるか?」
低く響く声に、課内の全員が背筋を伸ばした。
俺は真剣な表情で中村の顔を見つめる。
「味、どうです? ホットケーキミックスでしょう?」
「黙れい!」
中村は勢いよく俺の頭を叩いた。
「始末書を書いておけ」
そう言い残し、粉を払いながら給湯室のほうへ歩いていく。
その背中を見送りながら、俺は素直にデスクへ座り、始末書を書き始めた。
『ハムスターを警察署内に持ち込み、誠に申し訳ありませんでした』
そこまで書いたところで、後ろから金田が紙を覗き込む。
「いや、今回はそこじゃないんじゃない?」
そう言うと、俺の手からペンを取り上げ、一番下にさらさらと書き足した。
『その他、色々すみませんでした』
「……その他、色々」
俺はその一文を眺める。
「便利な言葉ですね」
金田は笑いながらペンを返した。
「覚えておいて損はないよ」
「…覚えておきます」
俺は素直にうなずいた。




