天才少女
「えっ?拓海君のものではないんですか?」
京極家の玄関先で須田巡査は困惑していた。
京極家は代々茶道の家元の家系で、広大な敷地を持つ、和風建築の立派なお屋敷である。因みにこの玄関先だけでも8畳を超える広さがある。
「はい、先ほどお電話頂いた時にも拓海は家の鍵を落としてないと言っておりまして」
京極家の若奥様も困惑した表情である。
「でもこの辺りでは京極家はうち1軒だけですし、しかも下の名前が拓海となるとうちの息子のものとしか考えられませんでしょう? でもこの財布も息子のものと違いますし、鍵もうちのと形が全く違うんですの」
そう言って若奥様は手の内にある自宅の鍵を差し出した。
たしかに京極家の鍵は電子錠で、巡査が持参したキーホルダーの鍵は昔からある普通の鍵で全く形状が異なっている。
「ほら拓海、この財布と鍵に見覚えある?」
拓海君が若奥様の後ろからこわごわと顔を出した。
「なにこの財布……」
ちょっと引き気味に財布を見ていた拓海君だったが、ふとキーホルダーを手に取った。
「これ、僕の名前だけど、僕のじゃない。僕の筆跡じゃない」
そしてキーホルダーを裏返した途端、叫んだ。
「これ、ロマ!」
「ロマ?」
「うん、津島くんちのロマ」
拓海君によるとその犬のシールはクラスメイトの津島翔君の家で飼っている「ロマ」という名のコーギー犬らしい。そして自分を含め、クラスメートの10人ほどが同じシールを津島君からもらっていると教えてくれた。そして以前自分が津島君から貰ったシールを自分の部屋から持ってきて見せてくれたのである。それは確かに同じものだった。
「君は津島翔君と同じクラスなんだね」
須田巡査の勤務する派出署にも津島翔君の行方不明の連絡は入っていた。須田にはこの財布が翔君の行方を示す重大な証拠のように感じられた。
大知と楓はタブレットから顔を上げた。
「そしてこの巡査が津島家に行き、翔君の母親に落し物を確認してもらったところ、犬の写真は間違いなく飼い犬のロマで、自分が息子に頼まれてシールに印刷したものだという証言を得たんだ」
「そうだったのか」
「ただ財布と鍵は翔君のものではなく、キーホルダーに書かれた字も翔君の筆跡ではなかったらしい」
「財布とキーホルダーが教団本部付近に落ちていたのなら、美空さんの物の可能性が高いな」
楓はテーブルに左肘をつき、指でこめかみをリズミカルに叩きながらそう呟いた。
「ああ。京極君に確認したところ、翔君から犬のシールをもらったクラスメート十人の中に美空さんの名前もあったから間違いないだろう」
大知が頷くと楓は指の動きを止め、顎の前で両手の指を絡めながら続けた。
「おそらく彼女がわざと落としたものだろうな。だとすると彼女は行動を制限されている可能性がある」
「ああ、捜査本部でも彼女が監禁されている教団本部の窓から財布を投げたものではないかと考えている。でもなぜ、彼女はキーホルダーに京極君の名前を書いたんだろう?」
「その答えはきっと二つある」
楓は少しの間考えてゆっくり口を開いた。
「一つ目は、彼女は自分の名前も翔君の名前も書けなかった。もし教団の人間に拾われたら握りつぶされる可能性があるからだ」
「そうだな。彼女自身の身も危ない」
楓は同調する大知にチラリと目線を送りながら続けた。
「もう一つは京極君に充てたメッセージがあるという事だろう」
「メッセージって京極君の名前しか書いてないけど……もしかして犬のシールか?」
「そうだ。彼女は京極君が翔君から犬のシールをもらっていたことを知っていた。だから京極君に落し物が届いて、シールを一目見たらきっと翔君の事を話すにちがいないと思ったのだろう」
「そうか、確かに彼女の想像通りになったな」
「ああ」
楓がどこか上の空の返事をした。
「どうした? 何か気になることがあるのか?」
「この京極という苗字、かなり珍しいと思わないか? この珍しい苗字のおかげで巡査はすぐ自宅を特定し、落し物を届けることができた」
楓はキーホルダーの写真を指さしながら言った。
「たしかに普通落し物は、落とし主の個人を特定できず、ほとんど交番に保管扱いになる。今回巡査が直接届けられたのは、京極家が町内で一軒だけだったからだ」
大知も答えながら、そこは不思議に思っていた。数時間前に届けられた落し物がこんなに早く翔くんに関連するものだとわかるなんて。
楓はキーホルダーの写真を再度確認しながらゆっくりと口を開いた。
「彼女はシールをもらった数あるクラスメートの中で、出来るだけ珍しい苗字の子を選んでその名前をキーホルダーに書いた。巡査に直接自宅まで届けさせるために」
「小学生がそんなこと思いつくか?」
大知が眉をひそめると楓は小さく頷いた。
「きっと頭のいい子なんだろう。警察の動きを予想したんじゃないかな。交番に届いた財布を巡査が京極家に届ける。そして京極君の話から津島翔君との関連が浮上し、今回の行方不明と関連づけられる、そこまで」
「はぁ、すごいな。だが、楓の予想どおりかもしれない。今回担任から聞いたところによると、彼女IQ160の頭脳の持ち主だそうだ。津島翔君と並んで学校創立以来の天才児だともてはやされているらしい」
「そうか、ではきっと財布本体にも何かありそうだな。翔君の居場所のヒントが隠されているかもしれない」
楓はタブレットから目を上げ、大知の目をまっすぐに見た。
「そうなんだ。楓に協力を頼みたいのもその件なんだ」
「分かった。その前にちょっと……」
「分かってる。あれがないと楓、調子出ないもんな。ちょっと休憩にしよう」
「お前もいるか?」
「ああ、俺もダージリンを頼む」
大知が首を回しながら答えた。
「あ、あれは……」
タブレットの画面から顔を上げた楓が門の前でうろうろしている明日香に気づき声をあげた。楓の目線を追い、振り向いた大知が驚いたような声を上げた。
「何、あの可愛い子……お前の知り合いか?」
「ああ、この間話した横浜東署の……」
「ああ、例の……こっちに呼ぼうよ」
「いいのか?」
「この件はまだ秘密。まあ俺に任せてよ」




