翌朝の来訪者
朝、掃除機をかけ終えた楓は一息をついた。少しの体のだるさは残っているが、もう大丈夫そうだ。今日は大知と明日香が来ることになっている。何か用意しておくものがないか考えていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
てっきり大知か明日香だと思いドアを開けると、そこには森谷の姿があった。
「森谷さん……」
「朝からごめんなさい。立花さんの事がどうしても気になって」
「えっと、体調はごらんの通り元に戻りましたので大丈夫です」
「それだけじゃなくて。あの……この間、うわ言で言ってたりょうこさんって、立花さんの恋人ですか?」
楓は言葉につまった。
「あの、間違えて呼んでしまって申し訳ありません。でも詳しくは……大事な人だとしか……」
「そうですか。そういう方がいらっしゃるんですね。何度も来てごめんなさい」
「明日香ちゃん、何で入らないの?」
土曜日の朝、楓宅の門の前で立ちすくんでいる明日香を見て大知が声をかけた。
「楓さんが女の人と話してる」
「えっ」
「楓さん、彼女ができたのかもしれない」
「そんな訳……あっ」
その時、門扉からその女性が出てきて驚いたように大知と明日香を見た。三十歳前後の知的な感じの長い髪の女性だ。彼女は頭を下げて一旦立ち去りかけたが、引き返してきて明日香に声をかけてきた。
「ごめんなさい。もしかしてあなたりょうこさん?」
「いえ、違いますけど」
「そう。変なこと聞いてごめんなさいね」
彼女はそう言って足早に帰っていった。
明日香と大知が言葉を失っていると、楓が突然声をかけてきた。
「二人とも何やってるんだ?」
「わっ」
「楓さん、今の人楓さんの恋人ですか?」
思いつめたような明日香の言葉に楓は呆れたように言った。
「何言ってるんだ。そんな訳ないだろ」
楓は二人に庭に入るように促し、小径を歩きながら続けた。
「彼女は俺がこの間まで行ってた小暮駅の公園の造成工事の現場監督さんだ」
楓はその仕事中に倒れて彼女とその部下に車で家に送ってもらった件を話した。
「楓さん倒れたんですか?」
明日香はびっくりして立ち止まった。
「倒れたと言っても寝不足からの眩暈でもうすっかり治った」
楓は飄々とした様子で一歩先を歩いている。
「どうして連絡してくれなかったんですか!」
明日香の剣幕に楓がびっくりした様子で振り返った。明日香は後ろの大知を振り向いて尋ねた。
「大知さんは知ってたんですか?」
「いや、今初めて知った。明日香ちゃんの言う通り俺達には何でも相談してくれ」
「ありがとう。今度からそうする」
楓は申し訳なさそうな少し嬉しそうな複雑な表情を浮かべ、テラスの椅子に腰かけた。
「でもよかったです。私てっきり楓さんに彼女ができたかと心臓が止まりそうになっちゃって」
明日香も椅子に腰かけながら胸をなでおろした。もう気持ちがダダ洩れである。
「明日香ちゃん泣きそうな顔してたもんね」
大知がここぞとばかりに冷やかしてくる。
「そんなこと……。そうだ、それとあの人私に向かってりょうこさんですかって」
明日香が赤くなりながら楓に伝えると、楓は複雑な表情を浮かべた。
「そうか」
「涼子さんって楓まさか」
「ああ」
「楓、お前まだ涼子さんの事……」
「もう大丈夫だと思ったんだが、小暮駅に行ったら思い出してしまって……眠れなくなった」
楓が左手で髪の毛を鷲掴みにしてうなだれている。大知は心配そうに楓の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? お前さっきの人に涼子さんの事話したのか?」
「いや、運ばれて寝てた時に俺がうわ言で名前を呼んでしまって。それで気になったんだろう」
「その人が楓さんの好きだった人なんですね」
明日香は黙っていられず聞いてしまった。
「ああ、涼子は七年前に亡くなった俺の恋人だ」
楓はやっと顔をあげてそう言った。
「楓、大丈夫なのか? 彼女の事話しても」
大知がまだ心配している。
「ああ、明日香にはいつか話しておきたいと思ってたんだ。ただ俺、最後までちゃんと話せるかどうか……」
楓はまだ迷っている。明日香は楓の目をまっすぐに見て頷いた。
「聞かせてください。私、楓さんの事ならどんな過去も未来も受け止めますから」
その気持ちに噓はない。楓さんの事をもっと知りたい。近づこうとしても透明のガラスのような壁に阻まれていつももどかしかった。私にもっと心を開いて欲しい。口にできない想いを視線に込めた。
楓は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて少しはにかんだように笑った。
「ありがとう」
「あの~、俺おじゃまみたいだから帰った方が……」
腰を浮かせた大知を楓が引き留めた。
「いや、お前にも聞いてほしいんだ」
「そうか。分かった」
楓は深く息を吸ってから話し出した。
「明日香は小暮駅の北側に最近商業施設と公園ができたのを知ってるか?」
「ええ、知ってます。行ったことはありませんが、若い子に人気のスポットらしいですね」
「そうか。ここ数年間あそこは空き地のままになっていた。でも七年前まではあの場所には工場があったんだ」




