夏美
夏美は前みたいに笑わなくなった。
「二号店の再建諦めるらしいんだ。保険も出て助成金も出たけど、やっぱり少し借金が残るみたいで。だから本店の営業頑張らないと」
そんな時、頼みの本店が食中毒を出した。
夏美は明日香の前でぽろぽろと涙をこぼした。
「お父さんのお店が食中毒を出すなんて信じられない。あんなに衛生管理に気を付けて営業していたのに」
明日香は夏美の話を聞いてあげることしかできなかった。
そしてある日衝撃的な事件が起こる。夏美の父親が特殊詐欺事件の受け子として逮捕されたのだ。
駅前のATM付近で高齢の男性から現金を手渡されていたところを、別件で張り込んでいた刑事に職務質問され、逃げ出そうとしたところを現行犯逮捕された。その時見張り役として近くにいた特殊詐欺メンバーの一人も逮捕されたと全国ニュースで報道された。
ニュースでは報じられなかったが、夏美の父親を逮捕した刑事は明日香の父親だった。狭い町に噂はすぐに広まった。
夏美の父親は二号店の借金や本店の運転資金に行き詰まり、手軽に現金を借りられる闇金融から借金をしていた。
最初は小さな金額だったが、利息や追加の借金であっという間に借入金は雪だるま式に膨れ上がった。返済不能になった彼は闇金融から特殊詐欺の仕事を強要された。断ると妻と子供がどうなるか分かっているのか。脅された彼は従うしかなかった。
何度か特殊詐欺に手を染めた後、やはりこのままではいけないと思った彼は警察官である明日香の父に自分を逮捕してくれと頼んだ。
『署で一緒に事情を説明するから』そう言い自首を勧めた明日香の父に彼は言った。
「私が自首をしたら、裏切り者として妻と娘は奴らの報復にあうでしょう。だから私を逮捕してほしいんです」
涙を流す夏美の父を見てもう何も言えなかった。
父親が逮捕された夏美は手首を切り自殺を図った。幸い母親が早期に発見して命に別状はなかったが、その後夏美が学校に戻ってくることはなかった。明日香は夏美の家の前に何度も行ったが、呼び鈴を押す勇気がどうしても出ず、ポストに手紙を忍ばせるしかなかった。夏美からの返事はなかった。そしてある夜、夏美一家の行方は突如分からなくなった。
中学3年生の夏、明日香は教室でクラスメート達がひそひそと話しているのを聞いてしまった。
「夏美のお父さんを逮捕したの、明日香のお父さんでしょ。娘の友達の父親なら見逃してあげればよかったのに」
「夏美が手首切ったの、明日香のお父さんのせいだよね」
本当は違うって言い返したかった。逮捕してくれって頼んできたのは夏美のお父さんだって。でもそれは絶対言ってはいけない。私は警察官の家族だから。
次の日から明日香は学校に行けなくなった。
無理矢理に行こうとすると、食べたものを戻すようになってしまった。
「お父さんごめんね。お父さんの事は尊敬してるし、刑事の仕事も理解してるつもり。でも私学校に行きたくない。転校したい」
明日香は泣きながら言った。父は明日香をそっと抱きしめた。
「明日香につらい思いをさせてすまない。明日香の好きなようにしていいよ」
「私の事誰も知らないところに行きたいの。横浜のおばあちゃんの所に行ってもいい?」
「それで私は中学校三年生の夏から横浜で暮らすようになったんです」
「そうだったのか」
明日香がこんなつらい過去を背負ってるなんて知らなかった。いつも笑顔で明るい彼女が。
「でも、警察官の仕事嫌にならなかったのか? そんな思いをしているならなおさら」
楓は不思議に思って明日香に尋ねた。
「警察官ではなくて自分が嫌になりました」
明日香は伏し目がちに言葉を選ぶように言った。
「私は父が正しいことをしたと知っていました。そして優しさから夏美の父を逮捕したことも知っていました。私の心さえ折れなかったら家族三人でそのまま暮らして、父の運命も変わっていたかもしれない。私が刑事になったのは、父に対する贖罪の気持ちもあるのかもしれません」
「それは違う。明日香は何も悪くない。お父さんは全部分かってたと思う」
きっと誰も悪くない。楓はそう思った。
ありがとうと小さな声で言い、明日香は話を続けた。
「父は殉職した時も強盗から人質の親子を助けようとしていたんです」
明日香は顔を上げて言った。
「ほんと最後まで馬鹿みたいにまっすぐで、優しい人でした。でもわたしもそんな人になりたいんです」
「ごめんなさい、話が長くなって。私そろそろ帰ります」
明日香は我に返ったように言った。
「つい楓さんには話しすぎちゃって」
照れ隠しのように笑い、お土産買ってきますからと逃げるように帰ってしまった。
送って行くって言えばよかった。そう思ったが体が動かなかった。
明日香はつらい経験も乗り越えて、どんどん強くなっていく。それに比べて俺はどうだ。
楓はそう思わずにはいられなかった。
翌週末の朝、楓が庭で樹木の手入れをしているところに明日香が駆け寄ってきた。
今日はいつもよりさらに元気な気がする。
「おはよう、久しぶりだな」
「楓さん、これ見てください」
明日香は声を弾ませて楓を見上げ、バッグから手紙を出した。
「何かいいことがあったのか?」
「この間話した夏美から手紙が来たんです」
「えっ、すごい偶然だな」
楓はびっくりした。
「先週父の墓参りに行った時、たまたま中学の担任の先生に会って住所を教えたんです」
その後先生が父の墓参りに来てくれた夏美に会い、明日香の住所を教えてくれるように頼まれたが、許可をもらってないからと手紙を預かって送ってくれた事を早口で説明する。
明日香の笑顔につられて楓も笑いながら尋ねた。
「何て書いてあったんだ?」
「出所したお父さんが私の父のおかげで、あれ以上罪を重ねなくてすんだって感謝してるって。夏美、自分が急にいなくなって、私を傷つけたんじゃないかとずっと気になってたって」
明日香の顔が涙にゆがんだ。明日香は震える声で言葉を続けた。
「夏美、今は栄養士になって病院で働いてるって。とても幸せだって」
「よかったな」
「……」
明日香は立ったまま声を出さずに泣いている。楓は明日香の背中をそっとさすった。




