楓の庭で
春子は広島から朝一番の新幹線で横浜に戻ってきた。
(あの人、きちんと食べてたかしら?)
些細な喧嘩で家を飛び出し、娘の元に二日間居候してしまった。まあ娘婿が出張中だったからできたことであったが。
何度か自宅に電話しようと思ったが、少しは頭を冷やせばいいと思い直し、丸二日一度も連絡しなかった。まあお土産に正史の好きな牡蠣のオイル漬を買ってきたのでいいだろう。
自宅前に到着した春子は唖然とした。十数人の警察官が自宅の玄関から引き揚げている。中には刑事ドラマでよく見る鑑識の服装をしている警察官もいる。立ちすくむ春子を見て近所の人だと思ったのか皆『お騒がせしてます』と声をかけて捜査車両に乗り込んでいく。
春子は眩暈がした。正史になにかあったのだろうか? 気が付くと夫の携帯電話に電話をかけていた。あの人はもうこの世にいないかもしれないのに……。数回目のコールで正史が出た。
「あんた、今何やってるのよ!」
「ひっ、今楓君に代わるから」
「春子さん、落ち着いて。話せば長くなりますが……」
楓が事情を話すと、春子は驚きながらも事の成り行きを大筋で理解したようだった。だが夫を迎えに来た彼女が一番怒ったのは正史が楓の家で朝まで爆睡しており、犯人確保の成り行きを何一つ知らないことだった。春子は何度も頭を下げ、固辞する楓に牡蠣のオイル漬を強引に押し付けた。そして毒づきながら叱られた犬のような表情の正史の耳を引っ張るようにして連れて帰った。
事件が終わった週の週末、明日香はいつものように楓の庭で紅茶を飲んでいた。今回の事件の大知の采配は県警本部でも噂になり、次期の県警本部長候補の筆頭とまで言われている。
明日香は手土産のフロランタンをつまみながら楓に話しかけた。
「今回の衛星からの映像、アメリカのスペースグレイブ社からの提供だったらしいですね。びっくりしました」
「ああ、大知が社長のマークに電話して頼んでくれたんだ」
「えっ? 大知さん、あんな有名人とも知り合いなんですか?」
明日香はびっくりして二つ目を食べようと伸ばしていた手を引っ込めた。スペースグレイブ社はゲーム、IT関連、宇宙事業と多岐に渡る事業を手掛ける世界的な企業であり、その社長のマークはテレビやネットニュースで見かけない日はないというくらいの有名人である。
楓はしばらく迷っていたようだが、明日香と目が合うとカップを置き、ここだけの話にしてくれと前置きしてから口を開いた。
「実は彼、ソフィアだったんだ」
「え? ソフィアってあのゲームの二十代女子って言ってた?」
「ああ」
「おじさんじゃないですか!」
明日香はのけぞり、思わず叫んだ。
「性別も年齢も違うし、IT企業勤務ってところしか合ってないじゃないですか」
驚く明日香に対し楓は冷静な口調で続けた。
「少し前にソフィアから素性を告白されて、さすがに大知も怒ったらしいよ。どうも大知のゲームの腕に惚れこんで、自分の会社にスカウトするために身分を偽って接触していたらしい。大知は怒ってしばらくはゲームもやめてたらしいけど、事件解決のために利用するっていうか、手を組むのはさすがだな」
「……えっと、どこから突っ込んだらいいのか」
明日香の動きがロボットのようにぎこちなくなっている。楓はフロランタンに手を伸ばしながら話を続けた。
「マークにまた一緒にゲームをしたいなら協力してくれと言ったら、喜んで映像を提供してくれることになったらしい。そのテロリストを捕まえる事はアメリカの国益にもなるからって」
「え~」
もう凄すぎてついていけない。私のツッコミ機能停止中……。明日香は天を仰いだ。




