朝一番の来客
楓の一日は一杯の紅茶から始まる。
(今日はディンブラにしてみようか)
スリランカ産のこの紅茶は味、香りともにすばらしく楓の好きな紅茶の中の一つだ。淹れた紅茶の色は綺麗なオレンジ系の赤色をしており、ストレートティーで飲むのももちろん、ミルクティーとして飲むにも適している美味しい紅茶である。
楓は石畳のテラスへと続く開き戸を開け、庭を見渡した。爽やかな秋の朝の空気を頬に感じながら、テラスにカップを運びティーポットからそっと紅茶を注ぐとバラのようなフレッシュな香りが漂った。
赤色に染まっていくカップを眺めていると、一緒に暮らした祖母のことを思い出す。交通事故で亡くなった楓の両親の代わりに女手一つで楓を育ててくれた。
晴れた日はここから庭を眺めながら二人で朝食をとるのが日課だった。ベーコンエッグにトースト、そして時にはお手製のスコーンも焼いてくれて、それに季節の果物のジャムをつけてほおばるのが楓の大好きな時間だった。祖母は亡くなってしまったが、その大好きな時間はずっと変わっていない。
木漏れ日越しの朝日を浴びて物想いにふけっていると、門の外である人物が立ち尽くしているのが見えた。
(どうしたんだろう?)
しばらく様子を見ていたが、その人物は門扉に手をかけたり離したり、入ろうかどうか迷っている様子だ。このままだと見ているこちらが気になってしょうがない。
楓は立ち上がって門扉まで行き声をかけた。
「正史さん、おはようございます。どうかされましたか?」
「楓くん、見つかったか」
正史は恥ずかしそうに頭をかいている。
「ちょっと楓くんに話を聞いてもらいたくてね」
楓は門扉を開け、彼を庭に招き入れた。
正史は近所に住む酒屋のご隠居だ。昭和の時代に父親が始めた小さな酒屋を引き継ぎ、それから約四十年奥さんと一緒に地域に根ざした愛される酒屋としてその地位を守ってきた。
彼はすべてのお得意さんの好みを覚えていて、いつも勧めてくれる日本酒は外れたことがないと評判だ。今は楓と同級生の息子が酒屋と所有するアパートの管理を引き継いでいるため、自分は昔からのお得意様の酒の配達と週一のゴルフにいそしむ優雅なご隠居様だ。
「こちらにどうぞ」
楓はテラスの椅子をすすめると、お茶の用意をするためキッチンへ戻った。
薬缶を火にかけ、温めたティーポットに茶葉を入れ熱湯を勢いよく注ぎ入れる。用意した紅茶のセットをテラスに運び、正史の前に客用のカップをセットしてティーポットから熱い紅茶を注ぐ。
「正史さんのところはこの秋、鉢の植え替えをされましたか?」
話しかけながら向かいに座る。
この正史、楓とは庭友でもある。庭友とはいっても、正史の家は立派な日本庭園で枝ぶりの見事な松の木や、小さいながら池までもあり、数匹の錦鯉が優雅に泳いでいる。
庭の種類は違えど正史とは植物の剪定や花など共通の話題で盛り上がり、時々この庭にもやってきては草抜きなど手伝ってくれる。
「うーん、いや……」
(庭の話ではないのかな……)
正史は何か言いにくそうにしている。
楓は紅茶を味わいながらのんびり待つことにした。風が気持ちよく楓の髪をなびかせていく。今日シーツを洗濯したら気持ちよく乾きそうだな。そうだ、この後ベッドシーツと客用布団のシーツを外して洗濯しよう。週末、毎週のように大知が泊まっていくからな。
うん、そうしようと決めたところで正史がようやく重い口を開いた。
「どうも、ワシ命狙われてるような気がする」
楓は唖然とした。
「は? 誰に?」
「分からん。でももしかしたら嫁かも……」
楓は正史の嫁の春子の顔を思い浮かべた。いつも夫と夫婦漫才のような掛け合いをしているおしどり夫婦だ。多少夫に対して高圧的なところはあるが、いつもよく笑う明るい女性でご近所からの人気も絶大である。あの春子が夫を殺すなど絶対にありえない。
「なんで奥さんに殺されるなんて思ったんですか?」
楓は半ば呆れて正史に聞いた。
「だって、最近あいつワシが死んだ後の話しかしないんだ。相続税が高くなるから今のうちに自分や子供たちに贈与した方がいいやら。今までそんなこと言ったことなかったのに」
正史は不安そうにそわそわしている。楓は落ち着かせるようにゆっくりとした口調で言った。
「それは、正史さんのところは酒屋のほかにアパートも経営しているし、駐車場に貸している土地もあるでしょう。生前に相続税対策をするのは当然のことですよ。税理士の河田先生にでも言われたんじゃないですか」
「うん、春子もそう言っとった」
ちなみに正史と楓の顧問税理士は同じ河田氏である。河田氏は夫と娘夫婦を亡くした八重に、死亡保険金で駅前の土地を購入して駐車場経営をすることを提案した。その提案に従ったおかげで八重は経済的な心配をすることなく孫の楓を育てることができた。楓にとっても恩人の先生である。
「それだけの事で奥さんに殺されると思い込んだんですか?」
楓は呆れて聞いた。
「実は一昨日、あまりにも春子がしつこく言うもんで、その話は二度とするなと怒鳴りつけてしまって」
正史は肩を落として情けない顔で続けた。
「そしたら、しばらく娘のところに行くと言って出て行ってしまってな」
「さくらさんはたしか広島にお住まいでしたよね」
娘のさくらは夫の勤務先の転勤で、今は広島に住んでいるはずだ。
「たまには親子でゆっくり話でもしたいんですよ」
「そうだろうか。でもそれからなんだ。変なことが起こり始めたのは」
正史はおそろしげに体を縮めた。
「運転中にタイヤがパンクしたり、駐車場でマンションの高層階から植木鉢が落ちてきたり、昨晩は誰かが家の周りを窺っているような気配もして、怖くて眠れなかった」
「それは確かに怖かったでしょうね。とりあえず、豊くんに来てもらえばよかったんじゃないですか?」
豊は正史の長男で、正史宅から数分のところに住んでいる。
「春子の言うことを聞かないからだと馬鹿にされそうで言えなかった」
ガックリと肩を落とす正史を見て、楓はそれ以上何も言うことはできなかった。正史には草取りを手伝ってもらっている恩もある。その前にこの平和なご隠居さんの身にそんな危険なことが次々と起こるとはかなり異常な事態だ。
「これから詳しく話を聞きます」
楓は正史の目をまっすぐ見て言った。
「今日、時間は大丈夫ですか? 一応豊くんにはここにいると連絡しておいてください。それから今日うちに泊まります? 泊まるならシーツ洗っておきますけど」




