誤解
一階の食堂の開け放した窓から秋の涼しい風が入ってくる。もうすぐ昼休みが終わる時間だというのに、神奈川県警本部食堂横の自販機コーナーのテーブルにはギリギリまで粘るいつもの二人がいた。
「向かいの部署の工藤さんってさ、黒髪のショートカットで凛とした感じで可愛いよね」
塚本がポワンとした表情でため息まじりに呟くと、上田は飲みかけのコーヒーの缶を置いて渋い顔をした。
「俺もちょっとそう思ってたけどさ、あの子やめといた方がいいよ」
「え? なんで?」
「この間の昼休み、部長があの変な口しながら書類チェックしてたらさ、空いたドアからあの子が突然入ってきて、蔑むような目で一言『タコ』って言って立ち去ったんだ」
「マジで? 怖ぇ」
塚本は眉をひそめて聞いた。
「部長怒らなかったのか?」
「それがさ、なんか嬉しそうだったんだよね。恥ずかしそうにモジモジしちゃってさ」
「……えっ、マジで理解不能」
ドン引いている塚本を憐れんだのか、上田が胸ポケットから飴を一つ出して塚本に与えた。塚本は包装紙をむしり取ったそれを即座に前歯でバリバリと噛み砕いた。上田は笑いを堪えながら慰めるような口調で言った。
「まあ、俺たちの知らない色んな世界があるってことさ。彼女、あんな純真そうな顔してきっと女王様なんだよ」
塚本がショックを受けた様子でぶつぶつと呟いている。
「俺たちの周りの女子、なんか変わってない? 瑠奈ちゃんは『三次元の男に興味なし』とか言ってるし」
二人は沈黙して同じことを考えていた。警察官って圧倒的に女子が少ないのに、その女子がよりによって……。
「大丈夫、俺たちには合コンがあるじゃないか」
気を取り直したように、上田が塚本の肩を叩いた。
「そんなこと言って前回の合コン、外資系金融のイケメンに女の子全員持っていかれたじゃないか!」
塚本が上田にかみついた。
「そうだった。公務員には敵わないあのキラキラとした肩書……」
「しかもイケメンときた」
「外資系とかつくやつ、合コンに来るな」
「そうだそうだ。外資系は家でカッペリーニでも食ってろ」
「大知さん分かりましたよ! 大知さんがモテない理由」
翌週楓の庭で大知の姿を認めるなり、明日香が駆け寄った。
「えっ、ついに?」
「で、何だったの?」
楓と大知が身を乗り出してくる。
そこで、大知と楓が電話で話しているのを女子たちが聞いて、彼女と勘違いしていたということを話す。
「お前のせいか! お前のせいでいつも俺がモテないんだ」
大知が楓に逆切れした。
「いつも電話をかけてくるのはお前の方だろう? 俺のせいじゃない」
楓が大知に反論した。
「いや、お前のせいだ。お前がLINEの返事をすぐくれないから、電話してるんだ」
「しょうがないじゃないか。外で作業してたらLINEの通知音なんて聞こえないんだから」
「まあまあ、お二人とも」
明日香は二人をなだめた。
「私がちゃんと誤解を解いておきましたので。これで大知さんがモテる日も近い……かも」
「やったー! 明日香ちゃんありがとう! 祝杯だ~」
大知が両手を上げてキッチンへと飛び込んでいく。
ちなみに瑠奈とはその後の話で彼女が腐女子と分かり、そちらの方の誤解も解いておいた。彼女の脳内では大知と楓で美しいBLの世界が出来上がっていたらしい。瑠奈は残念がっていたが『私の想像する権利は誰も冒すことはできない』と謎の宣言をしていた。
テラスからキッチンで冷蔵庫中のビールを漁っている大知の姿が見える。
「モテない理由はそれだけじゃないかもね」
明日香がこそっと毒づくと楓はくすっと笑って言った。
「明日香は大知をイジっている時が一番キラキラしてるな」
「え……」
明日香は露骨に嫌な顔をした。
「ちょっと待って。楓さんもしかして、もしかしてだけど私が大知さんの事好きだとか、そんなとんでもないことを考えてるんじゃないでしょうね?」
「違うのか?」
楓が笑いながら聞いてきた。
「帰ります」
明日香はガックリきた。
「えっ、もう?」
「とてつもなく疲れたので帰ります」
えっと……楓が困ったように言葉をつないだ。
「明日香と一緒に食べようと思ってマドレーヌの生地仕込んであるんだけど」
明日香はあさっての方向を見て呟いた。
「……もうちょっといます」
楓は少し笑い、オーブンの電源を入れてくると言い立ち上がった。
明日香はその背中を複雑な胸中で見送った。
本当は分かっているよね? 私の気持ち。どんなに難しい事件でも一発で解いちゃうくせに。いつかこの気持ち、楓さんに伝えたい。でも今のこの心地よい関係が壊れるかもしれない。私の大事な居場所がなくなるのが怖い。
明日香はキッチンで紅茶の用意をしている楓からそっと視線を外した。




