表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/33

美しい庭

土曜日の朝、非番だった明日香は例の巡査部長から教えてもらった男の住所を手にとある住宅街にいた。巡査部長は自分も彼の住所は知らないと初めは教え渋っていたが、最後には彼の友人の警察官に連絡して住所を聞き出してくれた。


彼の名は立花(たちばな)(かえで)。住所は横浜市港北区……


そこは最寄りの駅から十分程歩いたところにある立派な家が多い高級住宅街だ。どの家も庭がとても広く、様々な花が植えてあり、通る人の目を楽しませてくれる。

(あの怪しげな男がこんな立派なところに住んでいるんだろうか? 住所はたしかにこの辺りだけど)


角を曲がった途端、その素敵な庭は現れた。

先の尖ったアイアンのフェンスに蔦を絡ませ咲く白と紫のクレマチス。数種類のアンティークの煉瓦を敷き詰めた緩やかに曲がった小径。その小径の脇には優しい色合いの様々な種類の草花が自然な感じに植えられている。そして庭の奥には広がった枝により優しい影を作り出している大小様々な木々たち。


無造作にみえて計算されている素敵な庭。抑えた色遣いが安らぎを与えてくれる。奥に見える漆喰塗りのかわいい家の前には柱を組み合わせて造られたパーゴラがあり、それに木の枝や蔦を這わせ、涼しげなテラスが造られている。そしてテラスの中央には黒のアイアンの長方形のお洒落なテーブルセットまで置かれている。


(なんて素敵なお庭なの……)


我を忘れてうっとりと眺めてしまった。薄い卵色とグレーの二種類の煉瓦を組み合わせたシックな門柱をふと見ると表札があり、ローマ字で『Tachibana』と記されている。

(ここがあのトンズラ男の家?)


表札の下にあるインターホンを押すが、応答はない。身を乗り出して中をのぞくと、庭の奥で庭師が梯子に乗って、枝切りバサミで庭木の手入れをしているのが見えた。

(ちょっと庭師さんに聞いてみるか)


黒のアイアンのお洒落なデザインの門扉をおそるおそる開け中に入り、煉瓦の小径を進む。小径は途中で玄関側とテラス側の二又に分かれている。明日香はテラス側の小径を進み、庭師に近づいて後ろから声をかけた。

「すみません。こちら立花楓さんのお宅ですか?」


麦わら帽子を被った庭師が振り返る。間近でその顔を見て驚いた。 

年の頃は三十位だろうか? 色白の顔に切れ長の奥二重の涼し気な瞳、スッキリ通った高い鼻筋、少年っぽさを少しだけ残した精悍な横顔。

(カッコいい……)

時間が止まった気がした。しかし、その庭師は引き攣った顔で思いもよらない言葉を口にした。

「げっ、何でアンタがここに……」

「えっ? お会いしたことありましたっけ?ん?」

まさか髭はないけどこの間のトンズラ男?


「えっ、えー!」

思わず絶叫すると、男は驚きのあまりのけぞり、梯子の上でバランスを崩す。

「うわっ」

「くっ」


明日香は落ちそうな男の足を腕と肩で支え、ぐっと踏みとどまる。エビぞりになりかけた男は腹筋を使って見事に体勢を戻した。

「はぁー、はぁ……死ぬかと思った」

立花は肩で息をついている。

「あ、あんたが凄い声出すから……」

「ごめんなさい。でもあまりにびっくりしたから」

「まあ、結果的に助けてもらったからいいよ。ハサミ持ってたから危なかったな」


梯子から降りてきた立花は初めてまっすぐに明日香を見た。

「あんた怪我してないか?」

「大丈夫です」

「血が出てる」

「えっ?」

立花の目線を追って自分の手を見ると手首の内側に擦り傷ができ、血が滲んでいた。

「梯子で擦ったのかも。大丈夫ですよ」

「ちょっとそこに座って待ってて」


アラベスクの透かし模様のどっしりとした素敵なテーブルセットを指さされ、誘惑に負けてしまう。椅子に腰かけるとその脇にはグレーの大きな鉢が置かれており、ブラウンやシルバーのカラーリーフと合わせて蔦や白い花が寄せ植えにされている。

(ほんと素敵……時間を忘れてしまいそう)

椅子に座りうっとりとして庭を眺めていると、立花が薬箱を持ってきて向かいの椅子に座った。

「手を出して」

言われるままに手を差し出すと、立花が消毒をして絆創膏を貼ってくれる。間近で見るその顔にまた目を奪われる。

(綺麗だけど冷たそうな顔。この間は無精ひげでヌボーっとした感じだったのに……)


「今日はどうしてここに?」

気が付くと立花がじっと見つめている。明日香は口を開いた。


「先日は助けて頂いてありがとうございました。もしあのまま犯人に拳銃が奪われていたら一般市民の方に危害が及んでいたかもしれません。ちゃんとお礼も言いたかったし、三万円もお渡ししたいです」


警察官なのに犯人に銃を奪われた情けなさと恥ずかしさがこみあげて、明日香は涙がこぼれそうだった。

この一週間、明日香にとってほんとにつらい時間だった。犯人に銃を奪われたことを報告した時、上司の係長に「お前に刑事は向いてない」と言われた。殉職した刑事の父の背中を追い、目標にしていた明日香にとってきつい言葉だった。


大学を卒業し警察官になって三年目の昨年、やっと希望していた捜査一課の刑事に配属された。それから一年間無我夢中で働いてきたが、初めての失態がこんなヘビー級になるなんて。実際の処分については厳重注意ですんだが、これからの身の振り方を自分で考えろと言われた気がした。


明日香はため息をついて目の前の美しい男を見た。思えば何でこの人に対して腹が立ったんだろう? 全くの八つ当たりだ。この人は危険を冒してでも自分を助けてくれたのに。

立花はしばらく黙っていたが、やがて口を開くと静かな声で言った。


「元からお金なんてもらう気はなかった。犯人の隙をつくためにあんな曲流しただけで。それにアンタ公務員だろ。公務員は職務上一般市民との現金の授受は禁じられてるだろ」

「確かにそうですけど……。でもそれじゃ私の気が収まりません」

「あんたも頑固だな」


立花は考え込んだ。

「じゃ、こういうのはどうだ? 三万円払ってもらう代わりに、今からこの庭の手入れを手伝ってくれないか?」

「えっ、そんなことでいいんですか?」

明日香がびっくりしていると、立花は明日香の手をちらりと見た。

「ああ、手の傷は痛まないか」

「ええ、全く」

「じゃ、交渉成立だな。俺が切った枝を集めてあの袋に入れてくれ。それが終わったら木の下に生えている雑草の草抜きだ」

「はい」


ラッキーだ。この素敵な庭にしばらく居られるなんて。それに今は無性に体を動かしたい。立花が貸してくれた麦わら帽子と軍手を身に着け、落ちている枝を集め(はさみ)で短く切り袋の中に詰めていく。それから木の下に移動して小さな雑草をそっとつまみあげた。

土と草の懐かしい匂いがする。この安らぐような匂い、何年ぶりに嗅いだだろうか。明日香は深呼吸をして胸いっぱいに空気を吸い込んだ。緊張していた心と体が解きほぐされていく。

ゆっくりと呼吸しながら黙々と手を動かしていると、心にあった重苦しい気分がいつの間にかすっきりと消え去っていた。


「お疲れさん。そろそろ終わりにしよう」 

立花の声に我に返りはっと顔を上げる。スマホで時間を確認すると昼時間を過ぎている。

「手を洗ったらちょっとついて来てくれないか?」

「はい」

洗面所を借り手を洗った後、彼の後に続いて庭を出ると、角を曲がった数軒先に可愛らしいパン屋があった。立花がその方向を指さし、明日香に尋ねた。

「あそこで好きなパンを買って庭で食べないか?」

「す、素敵です」


パン屋で美味しそうなサンドイッチとオレンジジュースをテイクアウトし、庭に持ち帰った。そして二人でテラスのテーブルセットに腰かけ、サンドイッチの包みを開ける。一口食べて、明日香は思わずため息をついた。

「美味しい! 庭も素敵だし最高です」

「そうか。それは良かった。俺の友達にもここが大好きな奴がいて、いつもそこに座って今のあんたと同じ顔して同じこと言ってるよ」

立花が思い出したようにくすっと笑った。

(えっ可愛い。この人こんな顔で笑うんだ)

歯並びの綺麗な白い歯がチラリと見えて少年ぽい顔になる。明日香は初めて見る彼の笑顔にドキッとした。

「その人、すっごく羨ましいです」

明日香は顔も知らない彼の友人に嫉妬した。

私もこの庭で優雅に休日を過ごしてみたい。

「そんなに気に入ったならまた来ればいい。もし俺がいなくても、自由に庭使ってもらっていいから」

意外な彼の言葉に明日香はびっくりした。

「えっ、いいんですか? でもちょっと不用心じゃないですか?」

「いやいや、警察官に来てもらってこんな心強いことないだろ」

「ふふっ」

二人で顔を見合わせて笑った。

「今頃言うのもなんですが、私、工藤明日香といいます」

「俺は立花楓。庭師と私立探偵をやっている。よろしくな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ