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謎の男

時刻は夜八時頃。横浜東署捜査一課の刑事の工藤(くどう)明日香(あすか)は命の危機に晒されていた。

強盗犯を追って路地に入り込み見失った挙句、犯人に後ろから羽交い絞めにされ拳銃まで奪われてしまった。今その拳銃は彼女の後頭部にピタリと押し付けられている。


事の発端は数分前の事だった。とある事件の聞き込みを終え、明日香と後輩の桜井は商店街のアーケードを通りパトカーを停めてある駐車場へと向かっていた。

「あの車……」

明日香は眉をひそめた。三十メートル程前方のアーケード内に車が違法駐車されている。埼玉ナンバーの黒いバンで中には誰もいないようだ。

「たしかあの辺りに宝石店があったよね」

明日香は桜井を促し車の元へ急いだ。車まで十メートル程までに近づいた時、ビルの二階にある宝石店から二人の男が転がるように降りてきた。男の一人が明日香たちを見て、手に持った鞄を隠すように胸に抱く。その時、鞄から数本の腕時計が零れ落ちた。


「待て、警察だ。桜井(さくらい)もう一人を頼む」


後輩に言い捨て、明日香は男を追った。足の速い男だった。何度も細い路地に逃げ込まれ、明日香はその姿を見失ってしまった。

(逃げられた。通報しないと…)

電柱に手をついて息を落ち着かせ、ズボンのポケットにある携帯電話に手を伸ばした瞬間、突然後ろ手を取られ羽交い絞めにされる。

(くそっ、犯人がまだ隠れていたのか)

抵抗するが男の力が強く、全く歯が立たない。あっという間に拳銃を奪い取られてしまい、(ひざまず)かされ後頭部に銃を押し付けられた。

(やばい、どうにかしないと)

気が焦るばかりで思考が追い付かない。どうにかしてこの男の隙をついて銃を取り戻さなければ。

その時、突然妙な音楽が明日香の耳に飛び込んできた。


『料金きっちり三万円。ご依頼何でも三万円♪ ヒュー、ヒュー凍えそうな懐にほんのり優しい三万円♪ お困りの方、お気軽にお声がけください。スタンドフラワー探偵事務所は追加料金なしでーす』


あっけに取られて最後まで聞いてしまった自分の間抜けさに明日香は唇を噛みしめた。犯人の男も一瞬動きを止めていたが、我に返ったように『なんだてめぇ』と騒ぎ出した。


音楽が突然止んだ。

「あの、困ってます……よね?」

後方から控えめな男の声がした。

「ええ、まあ」

明日香は認めた。

「困ってないと言えば嘘になりますね。でも犯人拳銃持ってるから近寄らないで」

「大丈夫。拳銃なら奪い取ったので」


びっくりして後ろを振り返ると犯人が股間を抑えて白目をむいて倒れる途中だった。そしてその側には背の高い無精ひげを生やした男が拳銃を手にして立っていた。

「久々に拳銃見たけど、まだこんな古いタイプ使ってるんだ」

男はつぶやきながら、じろじろと手の中の拳銃を眺めまわしている。明日香は跪いたまま思わず手を伸ばした。

「ちょっ……、それ実弾入っているので危ないです」

「あ、そうだった」


顔を上げた男は片手でくるりと拳銃の向きを変えてまるでハサミを渡すように明日香に拳銃を返した。

「あの、助けて頂いてありがとうございます。そうだ、三万円……」

明日香は立ち上がり、ポケットの財布を探った。中に三万円は入ってないが、とりあえず一部は払える。だが男は首を横に振った。

「いや、いい」

「な、何で?」

明日香の声が裏返った。


「よく考えたらあんたに依頼されてなかった」

「は?」


確かに依頼したかったが、警察官の自分が一般市民に命乞いをする訳にもいかず、躊躇しているうちにこうなってしまった。


「いやいや、助けて頂いたので、払うものは払いますし」

「いやいや、頼まれてもいないのに勝手に助けただけですし」

男は合わせ鏡のように明日香と同じポーズで胸の前で手を振っている。

ダメだ。永遠にすれ違う気しかしない。しかしこの男、只者ではない。めちゃめちゃ強い上に、拳銃の扱いにも慣れている。

「あなたはいったい……」

不審に思った明日香が男にジワリと詰め寄ると、男はジリジリと後ずさった。

「あ、用事思い出した」 

不意に男が(きびす)を返した。

「ちょっと待ちなさい!」

「その男、手錠かけないと逃げちゃうよ」

男が肩越しに振り返る。


確かにその通りだ。倒れている犯人に手錠をかけようとするが、指先が震えてしまい手こずってしまう。やっと手錠をかけ終え、見上げた時にはすでに男は消えていた。


無性に腹が立ち、地団太を踏んでいると、自転車に乗った警官がやってきた。

「大丈夫ですか? 今通行人の方から連絡があって」

「ええ、大丈夫です」

警官が署にパトカーを寄越すよう連絡をしている。彼は電話の向こうの相手としばらく話していたが振り返ると明日香に言った。

「この男宝石強盗の片割れなんですね。もう一人の犯人も捕まったそうです」

(よかった。桜井よくやった)

明日香は安堵した。あとはパトカーが来るまで通行人の邪魔にならないよう見張っておくか。通行人、誰もいないけど。


「ん?」

「どうしました?」

警官が振り返る。

「さっき、通行人から連絡があったって言いましたよね」

明日香が尋ねると警官は人のよさそうな笑顔を浮かべ、おっとりとした口調で答えた。

「はい、先程男性が交番に来られて、女性の刑事が一人で犯人を取り押さえてるけど大丈夫ですかねと言われましてね」

「それで?」

「イタズラかと思ったんですが、その男性、元警察官だったみたいで」

警官は近所の主婦の立話のような手振りで話を続ける。

「その人、うちの巡査部長の元同僚だったみたいなんですけどね。巡査部長が話しかけたら『あ、用事思い出した』って言って逃げちゃいましてね」

アイツだ。あのトンズラ野郎だ。

「まあ元警察官の言う事なら信頼できるだろうということで、ここに来た訳です。そういえばお怪我はありませんか?」

「ええ、大丈夫です」

身体は大丈夫だが、なんか心がズタズタだ。

あの男、元警察官だったのか。どおりで拳銃の扱いに慣れているはずだ。

「明日、その巡査部長にお話を聞かせていただきたいのですが、いらっしゃいますか?」

「ええいつも通り交番にいると思いますけど」

トンズラ男、必ず探し出して三万円突きつけてやる。首を洗って待ってるんだな。



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