別れ
今日の事情聴取が終わり、美空は女性の刑事と一緒に警察署の入り口付近の長椅子に座っていた。これからパトカーに乗って一時避難用のシェルターに戻る予定だ。
美空は自分を助けてくれたこの女性の刑事が大好きだった。何日も続く事情聴取にも全て同席してくれて、美空の体調や精神状態を気づかい、早めに切り上げるようお願いしてくれた。彼女は美空が口に出せない不安な思いにも気づいてくれている気がした。
安全が確保されてここ数日美空は久しぶりにぐっすりと眠ることができた。だがここは一時的な避難所に過ぎない。いずれはどこかの児童養護施設に行くことになるだろう。きっと親の目の届かないどこか遠くの……。
親の事を考えて美空はため息をついた。
母があの変な宗教に入信したきっかけは流産だった。美空も弟か妹ができると喜んでいた為、ショックを受けた。だが母の悲しみは美空の想像を超えていた。激しく落ち込み起き上がることさえままならなくなった母に近所のおばさんがおかずを差し入れてくれた。そのおばさんは美空もよく知っているふつうのおばさんだ。母が起き上がれるようになると、おばさんは気晴らしにと母をセミナーに誘った。母は次第に元気を取り戻し、おばさんと一緒に度々セミナーへ行くようになった。
そのセミナーが教団のへの勧誘窓口になっているとはその時は美空も気付いてはいなかった。
それからじわじわと母は変わっていった。
気付いた時には生活の全てが教団優先になっていた。父親の給与の半分はお布施として教団に納められ、残りのお金で生活するようになった。当然一家の生活は苦しくなった。
教団に抗議に行った父も言いくるめられた。
父はそれまで勤めていた会社を辞め、教団関係者の経営する会社の従業員となった。父と母は教団に絶対的な信頼を寄せるようになり、毎日こうして暮らしていけるのは教祖様のおかげだと手を合わせて喜んだ。そして休日には熱心に布教活動を行い、それを美空にも強要するようになった。入信前の両親に戻って欲しいと美空は何度も訴えたが全く耳を貸してもらえず、両親は教団の教えに背く美空に罵声を浴びせた。
人間ってなんて弱くて愚かな生き物なんだろう。
美空は頭を振ってこみ上げてくる感情を振り払った。あんな親でも、私にとっては唯一の両親だ。あの教団に入信する前はとても幸せだった。今でも嫌いにはなれない。
だがあの二人の側にいると私はダメになる。自分の思ったようには生きられない。
これでよかったんだろうか……。
美空は大きなため息をついた。もう考えるのはやめよう。いくら考えてもきっと迷いは残る。美空は堂々めぐりになる思考に自分で終止符を打った。あと唯一の心残りは学校の友達の事だった。
きっとクラスの皆ともこのまま会えずにお別れとなるだろう。そして私の事など皆すぐに忘れていくに違いない。
その時、奥の取調室のドアが開いて、別の刑事に連れられてやってくる翔の姿が見えた。美空は思わず側の女性刑事の手をつかんだ。
「翔君と会えるのも最後になるかもしれないので、二人で話をさせてもらえませんか」
無理を承知でお願いする。
女性刑事は美空の目をじっとみてうなずいた。
「わかったわ」
女性刑事が、翔を連れた刑事に話をつけてくれて、署の横にあるベンチに案内してくれる。そこからは横浜の海が良く見えた。
「翔君を送っていくまで二十分くらいあるわ。私はあちらにいるけど、気にせずゆっくりお話ししてね」
そう言って女性刑事は離れたところに座った。安全上目を離す訳にはいかないのだろう。
二人はベンチには座らず、海を見ながら鉄柵にもたれかかった。
「大人でもあんなにいい人たちいるんだね。あんな人今まで私の周りにはいなかったから」
海を見ながらつぶやく美空を翔は心配そうに見つめる。
「私はどこか遠くの児童養護施設に行くことになると思う。もう会えないかもしれない」
美空は寂しそうな顔でつぶやき、翔の方に振り向いた。
「うちの親のせいで巻き込んでごめんね」
「ううん、君が謝ることなんて何一つない」
翔は首を横に振った。
「ありがとう」
美空は弱々しく微笑むと目を伏せた。翔は大きく息を吸って言った。
「僕、大きくなったら官僚になってそれから大臣になるよ」
「どうして? 今回あんなに嫌な思いしたのに」
美空は不思議そうな顔をした。
「将来法律を作る部署に入って、いい法律をたくさん作る」
翔は鉄柵に足をかけ、ぐっと身を乗り出す。
「将来子供たちが親の犠牲になることなく、自分で生き方を決めることができる、そんな社会にするため頑張って勉強する」
「そんなふうに考えられるって凄いね」
美空は遠くを見ながらつぶやいた。
「できれば君も」
「え?」
「一緒に頑張ってみないか。僕たちならできそうな気がしない?」
返事がないので心配になって顔をのぞくと、俯いた彼女の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
涙はまた次の涙を生んで、ぽたぽたと錆びた鉄柵に染み込んでいく。
翔はなすすべもなく、掌で鉄柵を強く強く握りしめた。何もできないまま二人の大切な時間が残り少なくなっていく。
しばらくして彼女は長い髪を両手で束ねるようなしぐさをして顔を上げ翔に向き直る。
そして今までに見たことのない表情で翔を見つめた。
思わぬ胸の高鳴りに翔は硬直してしまう。
そんな翔を見て彼女はいたずらっぽく微笑んで口を開いた。
「できる気しかしない。だって私たち天才なんだから」
彼女は自信たっぷりにそう宣言し、こぼれるような笑顔で笑った。




