その後
「楓があんなに笑っているの、何年振りかに見た」
「え、そうかな」
明日香が帰った後、二人はリビングで軽く夕食代わりのつまみを取りながらビールを飲んでいた。大知の飲みっぷりからすると、このまま泊まっていく気らしい。
「明日香ちゃん、面白い子だよね」
「ほんと大知と息ぴったりだ」
「俺とじゃなくてお前と息ぴったりなんじゃないの?」
大知は意味ありげな視線を楓に送った。
「そんなんじゃない」
楓は真顔に戻って視線を反らせた。
「まあ、俺は楓が元気になってくれただけでいいけどね」
「……」
「そうそう、事件のその後のこと、楓にも報告しなくちゃね」
そう言うと大知はリビングの照明の明るさを落とし、サイドボードに置かれたステンドグラスのランプの電源を入れた。そしてキャビネットからウィスキーのボトルを取り出し、氷の入ったグラスにボトルを傾けた。
「お前も飲むか?」
「いや、俺はいい」
「そうか」
大知はグラスを軽く振り、一口飲んだ後話し始めた。
「やはり美空さんは翔君の誘拐に関与させられそうになっていたらしい。それを翔君に忠告したことがばれて教団本部に監禁された。翔君は彼女の忠告を聞いて身の回りには注意していた。だが塾の前で信者に彼女が監禁されている動画を見せられて、彼女を開放してもらうために自分が誘拐されることを選んだ」
グラスの氷が解けて軽やかな音が鳴る。
「美空さん、すごい子だよな」
大知はつぶやいた。
「翔君が教団所有の山荘に監禁されたことを漏れ聞いて、自分ができることはなんだろうと考えた。彼女には通信手段がない上、学校帰りのランドセル一つしか持たされてなかった。最近買ったにゃんにゅうの財布を見て、記号みたいな顔だなと思っていたところから、地図記号を用いて彼の居場所を伝えることを思いついたそうだ」
「そうか」
ランプの暖かいオレンジ色の光が物憂げな楓の横顔に当り影を作っている。大地はそれを見ながら続けた。
「そして彼女は子供の財布の中に鍵を入れておけば大人が交番に届けてくれる可能性が上がるだろうと思い、自分の家の鍵とキーホルダーを入れた。そして筆箱に入っていたマジックでキーホルダーに京極君の名前を書いたのは、やはり珍しい名前の方がすぐ持ち主にたどりつき、結果的に津島翔君の救出が早まるだろうと考えたからだそうだ。津島君が犬のシールをクラスメートに配っていた時、もらってランドセルのふたの裏に貼っておいて良かったと笑ってたよ。さすがに教団の信者も津島君宅の犬のことまでは知らないでしょうからって」
楓が立ち上がり自分のグラスを持って戻ってきた。大知はそれに氷を入れ、ウイスキーを注いでやりながら話を続けた。
「ちなみに財布の中の小銭が三八〇円だった事に意味があったのか聞いたが、それだけしか持ってなかったそうだ。投げるための錘になればいくらでもよかったと言っていた。さすがIQ160の頭脳の持ち主だと言ったら、そんな数字、親が教団の広告塔にさせるために受けさせただけで、私レベルの人間なんか履いて捨てるほどいると言っていた。でも日本の警察は優秀だから思ったより早く助けに来てくれたと感謝されたよ」
大知は一気に事件の報告をした後、感嘆したようにため息をついた。
「ほんとあんな頭のいい子初めてだ」
「そうだな」
楓は手の内のグラスを見つめながら呟いた。だが頭が良すぎるのも幸せとは言えないかもしれない。親の未熟さも社会の不条理も全て分かってしまう。
「彼女がこれからは幸せに過ごせるといいな」
そういいながらも楓の心は晴れなかった。
「きっと大丈夫だ」
大知は胸を張っていった。
「楓は気づかなかったのか? あの二人の事」
楓が不思議そうな顔で大知を見た。
「翔君と美空さんの事だよ」
大知は自分のグラスに氷を足して、新たにウイスキーをとくりと注いだ。
「彼女は自分の親を裏切ってでも彼を守ろうとした。そして彼は彼女の命が危険にさらされると自分の身を差し出した。あの二人想い合ってるんだ。二人ともまだ気づいていないかもしれないが」
「そうか」
楓は少しだけ救われた気がした。
まだ幼い二人の想いが成就することはないかもしれない。でもその想いはきっとこれからの彼女の支えになるにちがいない。楓はそう信じたかった。




