警視正
約三十分後、横浜南署に到着した。署の前にはすでに課長が待ち構えており、明日香に向かって手招きしている。
「課長、何事です?」
「話は後、もう二階で捜査会議が始まってるから急いで」
二人で階段を駆け上がる。会議室の一番後ろに滑り込むと、同僚の横浜東署の刑事たちも数人おり、その中には後輩の桜井もいた。横浜南署、横浜東署の合同の捜査会議のようだ。いったいどんな事件があったんだろう?
司会役の男性が事件の概要を説明している。
「こちらは行方不明の女児が監禁されていると思われる宗教施設付近で見つかった財布です。ここからは神奈川県警本部 横浜市警察部 部長戸田警視正がご説明します」
明日香は首を傾げた。さっき似たような話を聞いた気が……。
その時スクリーンに巨大に拡大された、あのにゃんぬうの財布が映し出された。
「うぇっ」
衝撃のあまり、明日香の喉から意味不明な音が出た。課長が心配そうな顔で見ている。
明日香は課長に大丈夫だと合図し、目を閉じ胸で大きく息をついた。そして心を落ち着かせて目を開けると、先ほどまで紅茶を飲んではしゃいでいたあの男が指示棒を手に立っているではないか!
(えっ、大知さん? なんでここにいるの? あれ、さっき司会の人、警視正って言ったよね。まさかあの謎解きって実際の事件だったんじゃ)
混乱している明日香をよそに大知は事件を説明している。
「横浜南署、東署の皆さん、この度は急な合同会議となり申し訳ない。私は県警本部で横浜市管内の事件の統括をしている戸田と申します」
静まり返った会場に大知の声が響き渡る。
「先程の説明のとおり、三日前に横浜南署管内で津島文科省大臣の息子、翔君が行方不明になりました」
大知は目の前の資料を確認することもなく、会場を見渡しながら事件の説明を続ける。
「父親の津島大臣の供述から容疑者である団体にあたりはついていました。ただそれは想像だけで確証がなかった。我々は子供の生命を第一に考えて、マスコミには事件を公表せず、横浜南署に置かれた捜査本部で確証を得るため内密に捜査を進めていました」
大知は捜査員たちに背を向けてスクリーンの方に向き直った。
「しかし、今朝一件の有力な情報提供がありました。それがこちらです」
大知は指示棒でスクリーンに映るにゃんぬうの財布を叩いた。
「これは伊野町にある新興宗教施設『伎縁』教団本部付近の道路上に落ちていた財布です。通行人の方が今朝九時頃、付近の伊野派出署に届けてくださいました」
一気に話すと大知は捜査員の方に向き直り、スクリーンを指示棒で二度叩いた。
「ではこの財布にどういうメッセージが込められているのか? こちらを見てもらおう」
ここでスクリーンが切り替わり、明日香の描いたにゃんぬうが大きく映し出された。しかもエッグタルトの包装紙の裏に書いたため、その模様がうっすら透けて見えている。
『昭和59年創業エッグタルトは大森屋』の妙に間延びした文字、さらに端の方にはコミカルな表情で絶叫している鶏のイラストまで。
「エッグタルトって昭和の時代からあったのか」
「親鳥にあんなに絶叫されると、エッグタルト食いずれぇ」
周りでひそひそ声が聞こえる。
(他の紙に書き直してよ)
明日香の顔が真っ赤になった。
そんな周りの声をものともせず、大知は指示棒でスクリーンを指しながら説明を続ける。
「このにゃんにゅーだが、黒い線の部分が元から財布に印刷されていたものだ」
相変わらず活舌が悪くて言えてないが、誰もツッコめずにいる。明日香はツッコみたくてウズウズした。
「そして、この赤い線で描いてある部分が後から描き足されたものだ」
そして先ほどの楓の推理を披露する。捜査員たちにざわめきが広がった。さすが警視正だという声も聞こえる。
(本当にすごいのは楓さんなんだから)
明日香は心の中で悪態をついた。
ここからの大知の指示は早かった。
「これから津島翔君が監禁されていると思われる教団所有の山荘を家宅捜索する。令状は請求中だ。あと一時間もしないうちに降りるだろう。これからは私が全責任を取るので指示に従ってほしい」
会場の雰囲気がピリっと引き締まる。
「A班は山荘に出動し、津島翔君の救出を頼む。もし拒否されたら突入もやむを得ない。子供の命がかかっているからな。そして捜索と同時に教団本部への通信手段を遮断しろ。翔君は保護したら警察病院に連れて行け。現地での指揮は南署の捜査一課長に従え」
「はい!」
大勢の捜査員たちの返事が見事に重なり、明日香も血が騒いでくる。
ここで、部下と思われる男性が会場に入ってきてメモを大知に手渡した。大知はそのメモを一瞥した。
「ちなみに山荘に一番近いコンビニエンスストアに連絡し、ここ数日常連客以外で弁当や菓子、少年誌などを大量に買い込んだ客がいなかったか確認させていた。その返答だ」
大知はメモの内容を読み上げる。
「二日前から今まで見たことのない五十代位の男が日に数回来て、少年誌や弁当を毎回三つ買っていくとの返答があったようだ」
大知はメモから目を離し、捜査員たちを見渡した。
「この男が教団関係者だとしたら、山荘には翔君含めて最低三人の人間がいると推測される。注意してあたるように」
「はい!」
「それからB班と東署の皆」
大知は明日香たちの方に向き直った。
「君たちはしばらく待機だ、女児の監禁についてはあくまで推定の段階だ。もちろん親からの捜索依頼もない」
落胆する明日香たちの様子を見て大知の目がきらりと光った気がした。
「だが津島翔くんの確保と同時に教団本部の捜査令状が発行される予定だ」
捜査員たちがざわめいた。大知はざわめきが収まるまで少し時間をおいてから口を開いた。
「B班は教団本部の捜索を頼む。場合によっては突入もやむを得ない」
さきほどのざわめきが嘘のように静まり返り、大知の声が響き渡る。
「教団の人間は誰一人外に出すな。そして教祖と教団幹部を特定し即連行しろ。信者から引き離すんだ。残った信者はB班全員で教団内で取り調べだ。現場の指揮は南署の捜査二課長に従え」
「はい!」
こちらも見事に声がそろう。
「そして東署の皆は女児の確保を頼む。指揮は東署の一課長に従え。確保できたら即、警察病院へ連れて行け。親が離れなかったら親は別の車でここに連行しろ」
「はい!」
明日香たちも背筋を伸ばして返事をする。横浜東署の七人は目で合図を送りあった。
それからはあっという間だった。山荘で翔君を確保するのと同時に、児童誘拐監禁容疑で伎縁教団本部に家宅捜索が入った。
20人ばかりいた信者も屈強な警察官の前ではなすすべもなかった。
警察官の突入を阻止していた二人の幹部らしき男を床に押し倒し手錠をかけると、教祖の男は「私は関係ない」と叫びながら廊下を逃げ回った。その男にはもはや教祖の風格はなかった。
美空は外から鍵をかけられて、鉄格子の窓がある三階の部屋に監禁されていた。部屋にはベッドとトイレはついていたが、そのほかにはランドセル一つしかなかった。
美空はベッドに腰かけ、静かに目を閉じて座っていた。頬がこけ、顔色が青白くなっている。
部屋に突入した明日香たちを見て、振り向いた彼女はほっとしたような寂しそうな複雑な表情を浮かべた。




