33 君を愛するつもりはない(1)
まったりと、巨匠と家でお茶をしている。
巨匠は「暇だ暇だ」としょっちゅう顔を出しては、なんだかんだ喋って、お茶を飲み、お菓子や果物を食べ、満足して帰っていく。
最近私も以前に比べたら暇だし、嫌ではないからいいけど。
と、からんとドアが開いた。
汗を拭き拭き入ってきたのは、どこぞの執事風の男性だ。
「旦那様が、『君を愛するつもりはない』をやってしまいまして」
「…ああ」
小説だか演劇だかをきっかけに、流行っているやつ。
政略結婚した夫の「君を愛するつもりはない」から始まって、あーだこーだあって、最後には夫婦が愛し合ってハッピーエンド。
なのだが、実際にやってしまうと…
「奥様は、それはもう大変なお怒りようで」
「そりゃそうでしょう」
彼の旦那様は戦場で国王陛下の命を救った、元傭兵の伯爵。
奥様である伯爵夫人は、国王の信頼厚いアーウィン伯爵の娘。
王命での結婚なので離婚には至っていないが、夫婦仲は最悪の状態である。
この執事が大変な心労を抱えていることも、主人を心配していることもわかった。だけど…
「そもそも伯爵が夫人を愛するつもりがないのなら、未来を見せても夫婦仲は変わらないと思いますよ」
「夫婦仲を国王に知られたら怒られるから」って感じで形だけ謝ったところで、夫人の気持ちが戻ってくるとは思えないし。
「いえ、旦那様は奥様を愛しておられるのです。奥様のことを『自分にはもったいないくらい、美しくて賢くて気高い女性』とおっしゃっておいでですので」
「…はい?」
「ますます意味がわからんな。だとしたらなぜ、お宅の旦那は奥さんに『愛するつもりはない』なんて言ったんじゃ?」と巨匠がたまりかねて口を挟んだ。
「それは…わからないのですが、『大丈夫だから任せろ。自分の指揮官は自分だ』と、とにかく旦那様は自信満々で」
執事は深いため息をつく。
「私ではもう、どうにも手に負えないのです。とにかく使用人総出で、奥様のケアだけはしているのですが」
「わかりました。行きましょう」
私は「帰る前に食器は流しに運んどいてよ」と巨匠に手を振って、伯爵邸に向かう。
そして庭で剣を振っている伯爵に、術をかけた。
◇
『大ヒット小説に学ぶ♡「君を愛するつもりはない」から始まる政略結婚の夫婦円満テクニック』
俺は本の内容を忠実に実践している。元傭兵で貴婦人の扱いになんて慣れていない俺に、友人が勧めてくれた本だ。
《この通りにすれば、きっと政略結婚を乗り越えられるぞ》
《おう、ありがとう!クラウディアにも俺を好きになってほしいしな》
まず初夜を待っていたクラウディアに「君を愛するつもりはない」と言い放ち、悲しい顔をさせた。
泣きそうな彼女の顔を見たら心がきりきりと痛んだし、自分だって初夜を待ち望んでいたが、これは円満な夫婦生活のために必要なことだから。
こう言っておけば、クラウディアは、俺の興味を引くために家庭菜園を作ったり、ハーブティーを入れたり、刺繍入りのハンカチやお守りを俺にくれるはずだった。
――のに。
庭に変化はないし、疲れているとアピールしてもハーブティーを出してくれることはないし、誕生日にも、出征の日にも、プレゼントはもらえない。
「大丈夫だ。クラウディアは少し…動きが遅いのかもしれない。優雅な女性だからな」
そのうち、クラウディアは食事にも姿を見せなくなった。
「クラウディアはどうしてる?」
「部屋でお食事を」
顔を見たいけれど、彼女からのアクションがない段階で自分から近づくのは、本で示されていた戦略に反する。できるだけ彼女を放置するんだ。
「クラウディアはどうしてる?」
「別宅へお引越しを」
「…!?」
なぜだ。
どうしてなんだ、クラウディア。
たまりかねて別宅に会いに行ったら、門越しに冷たくこう言われた。
「旦那様は私を愛するつもりはないのでしょう?私だって、妻を放置し続ける旦那様を愛するつもりは毛頭ございませんわ」
門を開けてすらもらえないまま、クラウディアは私に背を向けた。
「無視されて、遠ざけられて…もうこれ以上傷つきたくはありません」
「違うんだ、クラウディア…!」
◇
目を覚ました伯爵は、熊のように大きな体を震わせた。
「間違ってたのか?あの本が…」
彼は剣を捨てて、走り出した。
「クラウディア!」
…ちょっと待って、「クラウディア」?
「奥様はもともとアーウィン伯爵令嬢って言いました?アーウィン伯爵家のクラウディア様…?」
「奥様をご存じで?」
そうだ。
幻影の中の伯爵夫人に見覚えがあると思ったら、「真実の愛のせいで婚約破棄されそう」と店にやってきた、かつての依頼人じゃないか。
「真実の愛」に目覚めたクソ婚約者を振ったあとに、クソ胡散臭い恋愛ハウツー本を信じ込んで「君を愛するつもりはない」をやってしまう伯爵と結婚してただなんて…
男運が悪すぎないか。
伯爵を追ってクラウディア様の部屋に走り、伯爵の謝罪を聞き届ける。さすがにこうしないと気が済まない。
「俺が馬鹿だった。こんな本を信じてしまって…愛する人にわざと傷を与えるだなんて、間違っていたんだ。ただ『君が好きだ。だからどうか、俺のことも好きになってほしい』と素直に言えばよかったのに…」
今までのまわりくどいやり方が嘘のように、ストレートな言葉。
「私のことを、好きだとおっしゃるのですか?」
「ああ。こんなことは初めてなんだが、一目惚れだ。君みたいに美しい女性を見たのは初めてで、最初は女神かと思った。うまく言葉も出ていなかっただろう?君が庭を散歩しているのも温室で刺繍しているのもこっそり見ていて、その表情や仕草を見れば見るほど好きになった。それに屋敷のことも領地のことも君がうまくやってくれるからみんな助かってる。本当に、俺にはもったいない女性だよ」
クラウディア様も思わず顔を赤くした。
「あんなことを言ってしまって、嫌われて当然だと思ってる。でも頼む。やり直したい。一度でいいからチャンスが欲しい」
どう答えるの、クラウディア様。
拒否したって、誰も文句は言わないよ。
「…わかりました」
伯爵の顔が、泣きそうになる。
「どうか二度とあんなことはなさらないで。そして私に『愛されている』と信じさせてくださいな」
「わかってる」
伯爵はクラウディア様に短剣を差し出した。
「俺がまた同じようなことをしたら、この剣で刺してくれ。君になら殺されても構わない。それが俺の気持ちだ」
「…それはあまりに物騒ですわ」
「そうか…そうだな。そんな血生臭いことを君にさせるのも忍びない。なら、どうやって証明したらいいだろうか…」
「これはどうかな」と、伯爵はクラウディア様を抱き上げた。
「夫婦の寝室へ行こう。どれだけ俺が君を愛しているか、証明できると思う」
伯爵がクラウディア様を寝室に運ぼうとする瞬間、彼女と目が合う。
彼女は恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、「今回は許せそうよ」と笑ったのだった。
「お幸せに」
◆
数週間後、「伯爵家からの申し立てにより、ある本が出版停止になった」というニュースが、新聞に小さく小さく載った。
『大ヒット小説に学ぶ♡「君を愛するつもりはない」から始まる政略結婚の夫婦円満テクニック』は本屋から消え、ほんの少しだけ「君を愛するつもりはない案件」も減ったのだった。
クラウディア様のご依頼については、第3話にあります。




