29 貴族学園(1)
ドアがノックされた。
ってことは、来たのは貴族だ。
「どうぞ」と答えると、若い貴族男性がドアを開けた。
「友人を助けたいんだ。貴族学園に来てくれないか」
彼の友人である公爵令息は、婚約者である伯爵令嬢との仲がうまくいっていない。
どれだけ努力しても成績の振るわない公爵令息は、優秀で口うるさい婚約者が苦手だから。
「けれどヴィクトリア嬢の小言は、的を射ているんだ。『嫌われ役を買って出てくれる婚約者に感謝したほうがいい』と言ったが、チャールズには通じなくて」
苦手なだけならまだしも、最近の彼は男爵令嬢と仲良くし始めて、この親切な友人はさらなる危機感を抱いた。
「『アイリーンの前では素が出せる』なんて言うんだ」
「それは…」
真実の愛案件だ。
この友人は「真実の愛だなんて」と首を振った。
「紳士としてレディーの悪口は言いたくないが、婚約者のいる男に悪びれもせず近づく女がまともだとは思えない。もしアイリーン嬢を選んだら、チャールズはきっと後悔する」
「…わかります。行きましょう」
貴族学園に飛ぶと、校庭という名の庭園に、秋の花が芳醇に咲き誇っていた。
そして花に囲まれた東屋では、男爵令嬢と公爵令息がなにやら深刻そうに話し合っている。
「ヴィクトリアにドレスを汚され、ノートを破かれただって!?なんで今まで言わなかったんだ、アイリーン!」
「だって、私がチャールズ様のおそばにいるのが悪いのですから…」
「悪いのはヴィクトリアだ」
「いや、悪いのはお前だろ」と思いながら、私は彼に術をかけた。
◇
素直で可憐で優しくて欲がなくて、いつだって私を褒めてくれるアイリーン。
そんな彼女を、ヴィクトリアから守りたい。
俺は常にアイリーンのそばにいるようになったが、事件は私が入れない女子寮の中で起こった。
彼女の飲み物に、毒が入っていたのだ。
「アイリーン、大丈夫なのか!?」
保健室に駆けつけた私に、アイリーンは弱々しく微笑む。
「チャールズ様、ご心配をおかけして申し訳ありません」
「君が謝ることではない、アイリーン。悪いのは犯人だ…きっとヴィクトリアが」
明るく優しく努力家なアイリーンは、みんなに好かれている。
彼女を憎んでいるのは、俺の婚約者であるヴィクトリアだけだ。
「事を荒立てたくはありません」
アイリーンは優しいからそう言うけれど、何もせずになどいられるか。
女子生徒に聞き込みを始めると、アイリーンが倒れる直前、ヴィクトリアがアイリーンの部屋から出てきたのを、複数の生徒が目撃していた。
決まりだ。
「ヴィクトリア、なんてことをしたんだ!君は最低の人間だ!」
「私は何もしておりません」
「君以外にアイリーンを害そうとする人間が、この学園のどこにいる!俺がアイリーンをそばに置き、婚約者としての立場が危うくなった焦りゆえの犯行だろう!」
「違います…!」
「これだけ証人がいるのに、どう言い逃れるつもりだ?」
俺は証言をまとめて、ヴィクトリアに婚約破棄を突きつけた。
ヴィクトリアの家は、我が公爵家の傍流。
俺の怒りを受けた伯爵は本家を恐れ、あくまで無実を主張するヴィクトリアを切り捨て、修道院へ送った。
「アイリーン、恐ろしい女はいなくなった。もう安全だから、ずっと俺のそばにいてくれ」
「チャールズ様…っ!」
俺は学園卒業後にアイリーンと結婚した。
幸せだった。
何をしても褒められて、小言なんてひとつも言われない。
――けれど、いつからだろう。違和感が生まれた。
アイリーンはいつだって私を褒めてくれるが、セリフが「すごい」か「素敵」だけなのだ。
「チャールズ様、すごいわ!本当に素敵!」
「どういうところが?」
「ええと…とにかくとっても素敵!」
ヴィクトリアは褒めてくれること自体は少なかったが、褒めてくれるときには「この表現が詩的で素晴らしい。私には思いつかない」「馬の上でバランスを崩しそうになっても持ちこたえたのが立派だった」と具体的に言ってくれた。
それにアイリーンは庶民的で欲がないと思っていたが、ことあるごとにドレスや宝石をねだるようになった。
「先日贈ったばかりじゃないか」
「でもあれはもう流行を過ぎてしまったんだもの」
「俺が時間をかけて選んだのに」
「だけど、未来の公爵夫人たる私が、流行遅れのものを身に着けるなんておかしいでしょ?」
ヴィクトリアは、違った。
《ヴィクトリア、またその宝石なのか?》
《チャールズ様からいただいたものですから》
もう何年も前の誕生日に贈った宝石を、ヴィクトリアはずっと大切にして――
本当に俺を見て、私を想ってくれていたのは、ヴィクトリアではないのか?
俺は頭を振る。
「だとしても、彼女はアイリーンを殺そうとした悪女だ」
――本当にそうだろうか。
ヴィクトリアが犯人だとして、俺に疑われるのがわかっていて、わざわざ自分で動くだろうか。
「貴族たるもの、感情に流されず、慎重に慎重を重ねて動くものです」とうるさかったヴィクトリアが?
そうやって一度芽生えた違和感は、どんどん大きくなっていく。
そしてある日、すべてがひっくり返った。
アイリーン宛の手紙を、間違って読んでしまったのだ。
《偽証を暴露させたくなければ、金を払え。ヴィクトリア様を犯人に仕立て上げたことが公になれば、お前はすべてを失う》
アイリーン毒殺未遂事件は、アイリーンが同級生に偽証させて作り上げた自作自演だった。
「アイリーン、どうしてそんなことを…!」
「公爵夫人になりたかったのよ!私は下級貴族の妻で終わるような女じゃないんだから!」
アイリーンの頬を打とうとすると、彼女は笑った。
「私を信じたあなたも同罪よ、チャールズ。あなたが騙されなければ、こうはならなかったんだから」
私は拳を下ろした。
「だから私はあなたを選んだの。簡単に扱えそうなあなたをね」
アイリーンは正しい。
私は馬鹿だ。
私が馬鹿だから、騙されて、曖昧な証拠だけを信じて、無実のヴィクトリアを修道院へ送ってしまった。
「ヴィクトリアを、今すぐ迎えに行かないと」
取るものもとりあえず修道院へ向かったが、出迎えてくれたシスターは悲しそうな顔をした。
「彼女の身体は、厳しい生活に耐えられなかったのです」
細いベッドと机しかない小さな石造りの部屋で、彼女は臥せっていた。
「ヴィクトリア…?」
彼女がゆっくりと目を開ける。
「チャールズ様…?」
「ああ、私だ。許してくれ。君は何も悪くなかった」
「何をいまさら」と言われるかと思ったが、ヴィクトリアは優しい声で言った。
「許します、チャールズ様。私を、許してくださるのなら」
「許すだなんて。そもそも君は悪くない」
「いいえ、私…本当はもっとあなたに優しくしたかったのに、うまくできなくて」
彼女の手をそっと握ったら、冷たかった。
「すまない…」
「泣かないでください、チャールズ様」
ようやく気づいた。でも、もう遅かった。
「君は私を…誰よりも見てくれていたのに」
彼女は「そうです」と言うように目を閉じて、どれだけ頼んでも、謝っても、もう二度と目を開けることはなかった。
◇
現実に戻ってきた公爵令息は、目の前にいる男爵令嬢を呆然と見つめて、立ち上がって彼女と距離を取った。
「…私は馬鹿だ。君に騙されていた」
「チャールズ様…?」
「私を騙すのはいいが、ヴィクトリアを陥れるのは許さない。ヴィクトリアからノートを破られたりドレスを汚されたりしたというのは、すべて嘘だな?君の嘘をすべて暴いて、然るべき裁きを受けさせてやる。だが今は先にやることがある…!」
「チャールズ様、待ってください…!」
そして彼は青ざめる男爵令嬢とあっけにとられる私たちを置き去りにして、「ヴィクトリア!」と叫びながら、猛然と庭を駆ける。
教師が「運動場以外は走らない!」と声をかけるが、聞いちゃいない。
「とりあえず彼は大丈夫そうですね。あとは婚約者様次第」
「ええ」
「では、私はこれで」
優雅な学び舎での冤罪事件を未然に防いで、いい気分だ。
ふわりと店に戻ろうとしたところ、「待ってくれ!」と腕を掴まれた。
「『失わせ屋』だな?私も依頼したいんだ」




