28 憧れの生活(2)
ごとんと重そうな音を立てて、「失わせ屋」の前に馬車が止まる。
降りてきたのは、とある伯爵だった。
そして彼の後ろにいるのは、その娘の伯爵令嬢。
「本日はいかがなさいましたか」
「娘に術をかけてほしい」
伯爵令嬢はとある貴族に嫁ぐことになっていたのだが、政治的な理由で婚約解消となった。
まあそれは、嬉しくはないが仕方ないことだ。貴族の世界ではよくある。
そこで父は娘に別の男性との婚約を勧めた。
前の婚約者よりも家柄は劣るが、真面目で優秀な相手との縁談を。
しかし伯爵令嬢は、父の申し出を断った。
《お父様、これは私の夢を叶えるチャンスですわ!》
《夢?どんな夢なのだ?》
《もちろん「婚約破棄された貴族令嬢が、田舎でもふもふに囲まれながら送るチートなスローライフ」ですわ!》
都会に疲れた若者を中心に、スローライフへの憧れが強くなっていることは、私も知っている。
しかしどこであろうとチートなライフを送れるのはチートな人間だけで、田舎に住むからといって自動的にスローなライフを送れるわけでもない。
私だって田舎に住んでいるが、依頼が立て込んだ日は王都の魔塔にいたときより忙しい。都会みたいにゴミ回収が来てくれるわけでもないしインフラも整っていないし総菜を売っている店だって遠いから、家事の手間も増えた。
《…アデリナ、それは小説の中だけでのことだ。田舎で暮らすのは本当に大変だし、そうこうしている間に良縁を逃しかねないのだぞ》
「そう説得はしたのだがな…」
そうやって伯爵が私にここへ来た経緯を説明している間も、令嬢はきらきらした瞳で私の店兼家を眺めまわしている。
「こういう家が理想だわ!おもちゃみたいに小さくて、庭もついていて、野菜と花を育てて!薬草を育てて薬師になるのもいいわね!」なんて言いながら。
夢見がちな娘に、「アデリナには薬の知識などないだろう」と伯爵はため息をついた。
「知識は今からつければいいのですわ!」
「はあ…貴族の娘が供もつけずに田舎で平民のように暮らすなど、やっていけるわけがない。畑仕事で傷やマメなど作られてはたまらぬしな」
「家長の権限で止めればいいのでは?」と聞いたら、「できぬのだ」と伯爵は額に手をやった。
令嬢は得意げに、花柄の美しい紙切れを掲げた。子どもの字で《アデリナの願いをなんでも叶える券》と書いてあり、伯爵のサインがある。
「いつだったかの誕生日、アデリナにせがまれて渡したプレゼントだ」
「しれっと反故にすりゃいいのに」と思うが、「娘が自ら折れるように仕向ける」のは、伯爵なりの誠意ではあるのだろう。
「…わかりました」
私は「スローライフをお試し体験できるのね!楽しみだわ」とわくわくしている伯爵令嬢に、術をかけた。
◇
婚約解消された私は《アデリナの願いをなんでも叶える券》を使い、メイドを一人だけ連れて、伯爵領の片隅にある村に引っ込んだ。
婚約解消はきっかけにすぎない。
都会のあくせくした空気にも、始終使用人たちに見張られている生活にも、悪口ばかりで疲れるお茶会にも、もうずっとうんざりしていたから。
身分を隠して「リナ」と名乗り、のんびりとした生活を始めるのだ。
お父様が用意してくれた小さな家にはこれまた小さな庭がついており、畑を作れる。
「…で、畑ってどうやって作るのかしら」
田舎出身のメイドに教えられ、重い重い農機具を操り、土を耕して何とか畑を作る。
力を使い果たし、全身が痛くなるけれど、自分で汗を流して働くことには、今まで知らなかった爽快感があった。
そして夜は都会では見ることのできない、満点の星空。
「これぞ人間の生活よ」
「明日は自分で洗濯するんだから」と意気込んでベッドに入った、その夜。
寝室のドアの向こうで、ガタガタと音がする。
「ルイーズ、起きてるの?」
ドアを開けたら、小さな居間にいたのは…
「鹿…っ!?」
立派な角をもった大きな鹿が、なぜか家の中にいる。
「田舎では家に鍵をかけないらしいのよ」なんて言って、玄関の鍵を締めなかったから…
いやけれどこれは、私が望んでいた「もふもふ」。
私はごくりと唾を飲んで、ゆっくりと鹿に近づいた。
と、鹿は突然私に向かって突進してきた。
「きゃあああああ!!」
「お嬢様っ!?」
間一髪でルイーズが守ってくれ、鹿は逃げていった。
と、ぽとりと天井からなにかが落ちてくる。
「ぎゃあああああ!!」
見たことがないくらい、大きな虫。
もうこんなの、眠れそうにない。
「怖い…」
その後も田舎暮らしの洗礼は、次から次に襲ってくる。
洗濯したら手はあかぎれるし、小さな家でも掃除は大変だし。
ちょっとでも畑の手入れを休んだら、すぐに雑草が生えてしまうから、暑い日も疲れている日も休めないし。
その雑草の間には、現実とは思えないくらいに大きな虫がたくさんいるし、蛇も見た。
虫の季節がようやく終わったと思ったら、家が埋もれそうなくらいに雪が積もって。
重労働の息抜きに本を読みたくても本屋なんてないし、オペラにも行けないし、競馬のイベントもないし、カフェもない。
当たり前だと思っていたものが、何もない。
「なくてもいい」と思っていたものがなくなった途端、こんなに辛いなんて。
「帰りたい…」
◇
令嬢は泣きながら目を覚ました。
「田舎暮らしって、こんなに辛いの?」
「向き不向きがあり、辛い人にとっては辛いものです。好きな人にとっては最高なのでしょうが」
都会生まれ都会育ちで何の覚悟もチートスキルもないお嬢様にとって、田舎暮らしが辛いか辛くないかは、聞くまでもない。
「いいところもありますが、不便さや大変さもあります。絶対にないと思っていたものやことがあるし、絶対にあると思っていたものやことがないので。ついでに鹿はもふもふではなくて、結構毛が固いですよ」
ふらふらと立ち上がったお嬢様は、父親に「縁談をお受けいたします」と答えた。ぱあっと顔を輝かせた伯爵は、娘の手をとる。
「お嬢様、僭越ながらひとつだけ」
「何かしら?」
「田舎で暮らさなくても、気持ちの持ち方次第ではゆったりと暮らせるかと」
偉そうに言えることではないけれど、私も何度も自分に言い聞かせて、ようやくわかりかけている。
田舎にいたって、心構え次第ではあくせくしてしまう。結局は自分の生き方次第。
それなら同じように、都会にいたって、心構え次第であくせく暮らさないことはできるはずだ。例えば使用人を遠ざけたっていいし、疲れるお茶会は欠席すればいい。
「疲れる原因は周りの環境じゃなく、自分の考えだということもあるものです。自分を縛っている考えを、少し緩めてみてはいかがでしょうか」
伯爵令嬢は私の言葉をゆっくりと味わうように繰り返した。
「考えてみるわ」
ほっと安心した父親は、「チップだ」とたんまり金貨を置いて店を出て行った。
「…豪遊できそう」
こんな田舎じゃ、競馬にもオペラにも行けないけれど。
そこへ、ひょこっとローウェンさんが顔を出した。
「ティナ殿、お忙しいですか。一緒にお茶をどうですか」
「…ちょうどよかった。臨時収入があったんです。奢りますよ」
「え、いやいやそんな…」
そうやってここらで一番価格帯の高いカフェに入り、一人なら絶対に頼まない大きなパフェを頼んで、ローウェンさんと二人でつついて食べたのだった。




