23 親の心配、子どもの心配(1)
ローウェンさんと、食事の約束をした。
ただそれだけのことなのに、なんだか寝た気がしなくて、身体がばきばきの状態で目を覚ます。
ばしゃばしゃといつもより水を飛ばしながら顔を洗って、朝食に卵を焼こうと思ったら、黄身が潰れてしまう。
お客さんが来るまでは、庭と畑の手入れをする。
いつもと変わらないはずなのに、どこかふわふわと落ち着かない。
と、からんと鈴が鳴った。
「…助かった」
◆
店に戻ったけど、お客さんの姿は見えない。
「いたずら?」
そう呟いたら、「いたずらじゃないよ!」と小さな手がぴょこんとカウンターの向こうで挙がった。
「あら、失礼しました」
お客さんは、六歳か七歳くらいの男の子。
「どういったご用件でしょうか」
「お父さんに煙草を止めてほしいの。煙草は体に悪いって、学校で習ったから!いっぱい咳が出て、早く死んじゃうかもしれないって!」
父を心配して、お小遣いを握りしめてやってきた男の子。
「ではこの免責事項を読んで…ええと、大体の意味は『君の思い通りにならなくても怒ったり泣いたりしないでね』とか『お父さんが怒っちゃっても、君がなだめてね』ってこと。自分の名前書ける?」
「書けるよ!」
「ザック」とサインした男の子と手をつないで、私は彼の家に向かう。
一応ザックくんのお母さんにも了解をとってから、煙を吐き出している彼のお父さんに術をかけ、すっとその手から煙草を抜き取った。
◇
このところ、咳と痰が止まらない。
ごほんといつものように咳をした途端、ぴしりとろっ骨に痛みが走った。
一時的なものかと思っていたが、夜になっても次の朝になっても、収まらない。
医者に診てもらったら、骨が折れていた。
「煙草だな。のどに負担をかけて、年を取ると咳が止まらなくなる人は多いんだよ」
「そうですか」
「心臓の血管が詰まって死んだり、体の中に悪い塊ができたりすることもある。まあ覚悟するんだな」
「覚悟って…!改善できないんですか」
「まあできるのは煙草を止めることくらいだが、六十になるまで吸い続けてるんだから、今更無理だろう」
煙草が、こんなに体に悪いなんて。
いや、知ってはいた。ザックが教えてくれたから。
だけどどうしてだろう、「自分は大丈夫」なんて思っていて。
咳をするたびにろっ骨が痛む。
それでも「止めろと言ってやって、止められた患者を見たことがないね」という医者の言葉通り、煙草は止められない。
そしてある日、心臓が締め付けられるような痛みに襲われた。巨漢の男に踏まれているような痛みだ。
何分経っても、全然治まらない。
「死ぬ…!死ぬ…!!」
冷や汗が出てきて、めまいもする。
怖い。
◇
お父さんは冷や汗をかきながら目を開けた。
心臓が動いているか確かめて、ほっと息をつく。
「未来シミュレーションです。このままばかすか喫煙を続けてたら、ああなる可能性が高いですよ」
「お父さん、煙草吸わないで!死んでほしくないから!」とザックくんが可愛くお願いして、お父さんはがくがく頷いた。
これは「初心忘るべからずカプセル」が売れそうだ。
「禁煙って続かないので、カプセル大量に買っといたほうがいいと思いますよ」
「ああ…ザックが買うと安くなったりするのか?」
「…うちはキッズ割引とかないです」
◆
店に戻ってしばらくすると、今度は親子連れがやってきた。
「ティナさん、この馬鹿息子に未来を見せてやってくださいな」とお母さん。
「本当にだらしがないんですよ。ベットで本を読みながら寝落ちして、床にはゴミなのかメモなのかわからない紙が散らばって。言わないとカーテンも窓も開けないし」
半年後からは大きな商家に住み込んで働くことが決まっているらしいのだが、心配でたまらないのだという。
「だらしなさすぎて周りにご迷惑をおかけして、追い出されりゃしないかって…」
「大丈夫だってば、お母ちゃん。ちゃんとやるって」
「そう言っていつもやらないでしょ!今日だって出かける前になって帽子がない帽子がないって!いつも同じ場所に掛けておかないからじゃないの!」
「人前で言わないでよぉ!恥ずかしいじゃん!」
「言われたら困るようなことを、なんで繰り返すんだい!それに言われて恥かいてるうちが華だよ!誰も注意してくれなくなったら救いようがないんだから!」といきり立つお母さんをなだめて免責事項にサインしてもらう。
「一緒に見たら叱りやすいから」と複数人オプションも入れてもらって、私は術をかけた。
◇
朝起きて、まずはベッドを整える。掛け布団を半分に折るのだ。
着替えたら寝巻きはきちんと畳んでベッドの上へ。洗濯してもらえるのは二日に一回。
同室の先輩が床にほったらかしにしている服を畳んで、枕元に置いてやる。
――母ちゃんがいつもやってくれていたように。
朝食をいただいたら皿を厨房まで運んで、ぼろ布でさっと拭いてから洗い場に出す。
「こうしてもらうと洗いやすいんだよ」と洗い場のジェーン婆が褒めてくれる。
「母ちゃんがこうしないと怒るんです。洗う人のことを考えろって」
「いい教えだよ」
「…そうですね」
母ちゃんがやってくれていたこと、口酸っぱく言ってくれていたこと。
そのすべてが、ここで「気が利く子だ」という評判と、いい人間関係を築くために役立ってる。
「ありがとう、母ちゃん」
休みをもらって家に帰ったら、「ちゃんとやってる」ってとこを見せよう。
母ちゃん、きっと驚くぞ。
――いや、それともやっぱり家では甘えちゃうかな?
◇
「お、お母さん!?」
一緒に幻影を見たお母さんのほうが、ぼろぼろと泣きながら目を覚ます。
「この子ったら!何が『それともやっぱり家では甘えちゃうかな?』だい!やればできるんだから今からでも家でもやりな!まったく…まったくもう!」
うん、自分の教えを守り、立派にやっていた息子への、感動の涙みたい。
彼女は涙を拭き拭き、ほっと息をつく。
「言ってきたことは、無駄じゃなかったとわかっただけで…安心したよ」
「そうですね」
何度も何度も繰り返してきた言葉と行動は、すぐには表に出てこなくても、子どもの中に確実に沁み込んでいく。
いいことであれ、悪いことであれ。
そしてそれがいいことだったなら、親元を離れたときに初めて、「自分の力」として芽吹くのかもしれない。




