16 人生の猛者たち(2)
気分が晴れない。
「今日の夕ご飯は…ま、サラダでいいか」
食欲もないし。
呟いたとき、「だめよぉ、フィオレンティナ!ちゃんとお肉や魚も食べないと、新しいお肌が育ってこないのよぉ?」という声がした。
私を本名で呼ぶのは、この世でただ一人…
「師匠?」
「正解っ!」
ふわりと風が舞い、店の中に師匠…魔導士アルジェンタ・ルクレールが姿を現した。
つややかな長い銀髪に、透き通るように白い肌。
もう六十は過ぎているはずなのに、三十そこそこにしか見えない。
「フィオレンティナ、手紙をありがとう!弟子たちを湖に沈めて鍛えてたものだから、来るのが遅くなってごめんねぇ」
「その仰々しい名で呼ぶのはやめてください。あと、別に来なくてもよかったです」
「やだわ、フィオレンティナったら照れちゃって!手紙に住所が書いてあるってことは、会いに来てほしいってことじゃない!」
師匠はどんどんと私の背中を叩く。
「痛い…」
「ね、このあたりにいいレストランはある?せっかく来たんだから、何かご馳走してちょうだいよ」
「来てくれって頼んだわけでもないのに、私が奢るんですか?」
「だって商売がうまくいってるんでしょお?ね、どこかいいところないの?」
師匠は一度言い出したら、ハンマーでも論破されない。
「…たまに行くレストランがあります」
「いいわね、行きましょ!」
店を出たら、明後日の方向に引っ張られる。
「反対方向です」
「あら」
「なんで場所も知らないのに、師匠が先導するんですか」
「何となくあっちだと思ってぇ」
懐かしい、この感じ。
「あらやだぁ、いい感じじゃないの」と言いながら、師匠はいそいそと案内された席にかける。
「フィオレンティナのおすすめは?」
「ハンバーグが美味しいって評判で…」
「じゃあ、チキンの炙り焼きにするわ!なんだかチキンの気分なの」
「…」
そして新しい弟子がどうで、物価がどうで、ニ十歳年下の恋人と別れて十歳年上の恋人ができて、と近況報告する。
この感じ、本当に懐かしい。
「本当に美味しいわね。デザートも頼みましょ」
「もうお腹いっぱいです」
「だめ、食べることは魔力増強の基本よ。最後にパスタを頼んでもいいくらいだわ。そうね、やっぱりパスタにする?」
「…パスタにはしません。デザートでいいです」
ぎゅうぎゅうになった胃の隙間に何とか入り込んでくれそうなマスカルポーネプリンを、ちょびちょびと口に運ぶ。
「このパフェ美味しいわね。素材が新鮮なんでしょうね」と、嬉しそうにキッチンに声をかける師匠を見ながら。
「なんだか私の話ばかりしてるわね。ところでフィオレンティナの商売はどうなの?」
「まあ…概ね順調かと」
「概ねってことは、順調じゃないこともあるのね?話してごらんなさい」
師匠はにこっと笑う。なぜだか、この笑顔を発動されると強制力が働く。
「…未来の後悔を見せてるんですが、先回りすることばかりが正解じゃないと言われて」
「そうなのね」
「感謝してくれる人のほうが多いですけどね」なんて言い訳がましいことを呟いて、そろりと目をあげる。
「『先回りが全部正解じゃない』っていうのは、一理あるわ。先回りばかりしていたら弟子も育たないから、師匠としても同意できる。それはあなたもわかってるから、胸に刺さったのよね?」
「…そうです」
「だけど、後悔を見ることで変われる人や救われる人がいるのもまた、事実だわ」
師匠は優しい目で私を見ていた。
「新しい技術でよりよく生きるチャンスが増えるなら、いいことだと思うわ。救えるなら救いたいという気持ちもまた、人間として自然だもの」
「…そうですね」
師匠の目は、いつだったか…熱を出した私を看病してくれたときと、同じ目だ。
「あなたにぴったりの仕事だと思うわ、心優しいフィオレンティナ」
「優しいなんて…」
「あなたが否定しても、私は永遠に否定し返すわよ」
きっとそうだよね、わかってる。師匠は論破されないんだから。
こうやって、本当に必要なときだけ、師匠らしい言葉をくれることも、わかってる。
そして何度も何度も、どこから来るのかわからない師匠のその自信に、救われてきたことも。
私は涙が出そうになるのをごまかそうと、肩をすくめた。
「…ところで、師匠にはなにか後悔ってあるんですか。才能ある弟子をうまく育てられなかったとか」
「何言ってるの?育たなかった弟子はいるけど、それは私が後悔することじゃないでしょ」
あまりにきっぱりした答えに、きょとんとするしかない。
「私は弟子育成に関しては、悔いが残らないよう最善を尽くしてる。だから脱落したことや、そもそも入門先として私を選んだことに関しては、弟子が後悔すればいいのよ。他人の後悔まで引き受けていられないわ」
名前ど忘れしたけど、あの剣術の師範が聞いたら、きっと反論するだろう。「弟子を預かった以上はその人生までうんたらかんたら」とか言いそう。
だけど、この人は、師匠は、アルジェンタ・ルクレールは違うのだ。
だから強い。
敵いようがない、きっと一生。
「…じゃあ師匠には後悔がないんですね」
「何言ってるの、山ほどあるわよ!最近の後悔は、目と口よっ!」
師匠は自分の目と口を指さした。
「…?」
そういえば、師匠が姿を見せたときから、何となく違和感はあった。
「顔をお直ししてくれる美容魔導士のところで、目と口の端を切ったの。目を大きく、口を常に魅力的な笑みの形にするようにね。流行りなのよ」
「はあ…」
「でも、ちょっと切り過ぎたのね。思ったより目が大きくなっちゃって、口も広がり過ぎじゃない?大笑いしたら、まるで魔女だもの」
どこからつっこんでいいのかわからない。
「もっと重くて教訓に満ちた後悔はないんですか」とか言いたくなるし、女性魔導士という意味で言うと師匠は疑いようもなく魔女である。
「しかも、切ったものは戻せないんですって!」
「それは…最初に説明があったのでは?そういう大事なことは慎重に…」
「だってぇ、モデルさんを見たら、みんなすごくきれいになってて、全員が『ここでやってもらってよかった』ってコメントしていたのよ!」
「モデルは元から顔が整ってるし、店もいい写真といいコメントしか使わないから…」
「あの美容魔法の店で後悔を見せたら、みんな助かる」と師匠は熱弁するが、顧客を失うことになるだろう美容魔導士が、私と提携してくれるとは思えない。
最終的に、師匠は「顔のお直しの失敗」にぷんぷん怒りながら、「またね」と手を振ってふわりと姿を消した。
「また…来るのかな」
ひとりで歩く、レストランから家までの帰り道。
お腹は重いけど、心は軽かった。




