12 大切に想う人と想われる人(2)
「ティナ先輩、どうか頼みます」
魔塔時代の後輩ジョシュアはそう言って、店に帰ってきた私に頭を下げた。
「このサイラスは本当に優秀な魔導士で、クビにするにはあまりにも惜しいんです」
「一か月前に人事部に移動した」という彼が連れてきたのは、天才だが絶望的に時間にだらしがない若手魔導士。
毎日毎日上司に怒鳴られているのに、翌日にはまた遅刻してくる猛者なのだという。
「信頼を失うぞ」「遅刻は周囲の人を軽視する行為だ」と注意すれば、「すみません、気をつけます」と真摯な表情で謝る。
しかし翌日にはまた遅刻。
「そろそろクビが現実的に…」
「なるほど」
「『たかが遅刻くらいで』と甘く見ているかもしれないが、決定的に信頼を失ったら後悔するぞ」と、わからせたいってことね。
「わかった。じゃあ…かけるよ?防がないでね」
「はい…お願いします」
大人しく目を閉じたサイラスに、私は術をかけた。
◇
職場だ。
上司が真っ赤な顔で怒鳴り散らしている。
「サイラス!これで今月何度目だ!しかもよりによって、他国の魔塔責任者との会合に遅れるだなんて!」
「すみません」
「次に一分でも遅刻したら即座にクビだと思え!本気だからな!」
「…はい」
何度も何度も怒られて、今度こそ本当にまずいと、自分でもわかっている。
だからその夜は、一睡もしないことにした。
家を出る時間まで起きていれば、遅刻しないはずだから。
狙い通りに、出勤しようと思っていた時間の十分前には準備が整った。
今日はいつもより早く家を出られそうだ。これなら、大事故でも起こらない限り、遅刻しない。
と、玄関に向かう直前に、ベランダの植木が目に留まった。
「ちょちょいと水をやるだけだし、一分もかからない」
じょうろで水をやる。体感ではほんの数十秒、少し水をかけただけのつもりだった。
けれどふと時計を見ると…
――三十分以上の時間が経過していた。
「なんで…!?」
まるで魔法で未来に飛ばされたかのように、時間の感覚が完全に消失していたのだ。
苦手な移動魔法を振り絞り、ずれた座標に着地し、全速力で走って職場に向かう。
だけどあえなく遅刻して、本当に魔塔をクビになった。
「本当に、すみませんでした…」
そう謝っても、上司からも同僚からも、冷たい視線しか返ってこなかった。
「…仕事を、探さないと」
魔導士は引く手あまただ。仕事はすぐ見つかる。
けれど新しい職場でも、遅刻癖は治らなかった。
目覚まし時計をかけても、部屋中に張り紙をしても。
周囲からは「魔法を使えない人間を舐めている」「反省しているふりは上手い嘘つき」と言われ、誰にも信用してもらえない。
そうやっていくつもいくつも職場を渡り歩いては、「信用できない人間」という評判だけが積みあがっていく。
「遅刻したいわけじゃない。本当に、ちゃんと間に合わせようって思っているのに…どうして…!」
他の人が当たり前にできることができない。
自分の思いを、脳と身体が裏切っていくのは、恐怖だ。
「どうしたら…」
◇
「うえ…っ、うええっ…」
サイラスは術が解けても、泣き続けている。
「先輩、これ…大丈夫ですか?」
「…わかんない」
「サイラス、落ち着いて。今のは、まだ起こっていない未来だから」と、後輩はサイラスの背中をさすってやる。
「変わりたいんです…本当に。変わりたいのに、変わり方がわからないんです。わざとじゃないんです。目覚ましもかけてるし、張り紙もしてるし、時間を守ろうという気はあるんです。でも…無理なんです…僕にはどうしても無理なんです…!」
「なんでみんなできるのに、僕はできないんですか」と泣き続ける彼を前に、私たちは顔を見合わせた。
「嘘をついているようには見えないけど」
「…ですね」
サイラスを連れて王都に戻った後輩からは、後日手紙が届いた。
《サイラスと、彼の直属の上司と話し合って、悪気はないけどどうしても時間感覚を掴むのが難しいことをわかってもらいました。タイマーをかけたり、大事な日は私や他の同僚が彼の家まで迎えに行くようにしたりして、何とかやっています》
「いい人事だこと」
だからきっと、サイラスは救われる。
私も…もし…過重労働に押しつぶされる前に人事に相談していたら、何か変わっていただろうか。
「だからどう、って話だけど」
今の生活に満足してないわけじゃないし、魔塔を辞めてよかったと思ってる。
だけど辞める前に、誰にも相談しなかったのは…
「後悔してる、とか…?まさかね」
だって、一人でも生きていける。誰にも相談したり頼ったりする必要なんてない。
商売はうまくいってるし、自分の身は自分で守れるし。
私のことを想って「失わせ屋」に駆け込んでくれるような人や、毎朝起こしに来てくれる人がいなくたって、大丈夫。
それでも、胸がすうっと寂しいのは、どうしてなんだろう。
ふっと息を吐いて立ち上がったとき、ぎいっとドアが開いて、ドアベルがからからと鳴った。
「一緒にディナーをどうかね?」
「…巨匠、暇なの?」
「もちろんじゃ」




