【限定SS】藤堂……君が犯したのは彼女ではない。
一年前の自分に、今の姿を見せたらどんな顔をするだろうか。
特注の制服に身を包み、学園の女子生徒たちの黄色い声を浴び、サッカー部の主将として、そして藤堂グループの御曹司として、この世のすべてを手に入れたような顔をしていた自分。
今の俺は、灰色の囚人服を着て、番号で呼ばれるだけの「ゴミ」だ。
「……湊、あいつだけは……」
消灯後の暗い独房で、俺は何度目かもわからない呪詛を吐く。
かつて俺の斜め後ろで、静かにノートを取っていた「地味な親友」。
俺がいじめから救ってやった(ことにして恩を売っていた)、使い勝手のいい駒。
結衣との情事を見せつけ、あいつの絶望する顔を見て優越感に浸るための、ただの背景。
それが、いつから化け物に入れ替わっていたんだ?
◇◆◇
「藤堂、面会だ。佐藤という男が来ている」
看守の声に、俺の身体が反射的に強張る。
行きたくない。あいつの顔なんて見たくない。
だが、拒否は許されない。俺の弁護士費用を出し、親父の減刑と引き換えに「俺の監視」を九条グループから請け負っているのは、他ならぬ佐藤湊なのだから。
アクリル板の向こう、湊は今日も完璧なスーツ姿で、穏やかに微笑んでいた。
その聖者のような微笑みが、何よりも恐ろしい。
「……また来たのか、湊。もう満足だろ。俺はすべてを失った。親父も、家も、名前も……」
「満足? まさか。蓮、君がここで更生するのを、俺は心から願っているんだよ」
湊の声は、かつてのように温かかった。だが、その瞳だけが、死んだ魚のように濁っている。
「更生して、また一からやり直す……その希望があるからこそ、絶望は深くなる。そうだろ?」
湊はゆっくりと、一枚の写真を取り出してアクリル板に押し当てた。
そこには、湊の腕の中で、焦点の合わない瞳で笑う結衣の姿があった。
「結衣……」
俺の喉が鳴った。かつて、俺に抱かれながら「湊なんてつまんない」と囁いた女。
今の彼女は、湊に与えられた服を着て、湊に与えられた食事を摂り、湊という檻の中で、生ける屍として飼われている。
「彼女、最近は君の名前を呼ばなくなったよ。……ただ、時々、何かに怯えたように震えるんだ。その時、俺が優しく抱きしめてあげると、彼女は泣きながら俺にすがりつく。……蓮、君が彼女に残した『傷』が、いま、俺と彼女を繋ぐ最高の絆になっているんだよ。感謝するよ」
「やめろ……やめろぉぉぉッ!!」
俺はアクリル板を拳で叩いた。
あいつは分かっている。俺が結衣を愛していたわけじゃない。
俺が一番欲しかったのは、湊という人間に勝っているという「優越感」そのものだった。
それを、湊は逆の手順で、俺の骨の髄までしゃぶり尽くしている。
◇◆◇
面会時間が終わり、湊は立ち上がる。
「また来月来るよ、蓮。……ああ、そうだ。少年院を出た後の仕事も、九条さんに頼んで用意してある。地方の解体現場の雑用だ。君の父親を追い詰めた会社の下請けだけど……君なら、そこで汗を流してやり直せるはずだ」
「……殺してやる。出たら、絶対にお前を……!」
「いい目だ。その憎しみが、君を長生きさせる。死なないでくれよ、蓮。君が惨めに生き続けることが、俺の日常に彩りを与えてくれるんだから」
湊は背を向け、去っていく。
俺は崩れ落ち、冷たい床を掻きむしった。
俺が結衣を寝取ったあの瞬間、俺は「湊を壊した」と思っていた。
だが、違った。俺が壊したのは、湊の中にあった「人間」という最後のブレーキだったんだ。
俺が生み出した怪物が、今、俺の愛した世界も、俺のプライドも、俺の女も、すべてを咀嚼して飲み込んでいく。
「……湊……さとう、みなと……っ!」
独房に戻り、俺は壁に刻まれた「佐藤湊」という文字を睨みつける。
それは、俺が自分を忘れないために刻んだものか。それとも、一生彼から逃げられないことを悟った、敗北の刻印か。
ミスを犯した俺は、永遠に後悔するだろう。
遠くで、看守の足音が響く。
明日も、明後日も、そして出所した後の地獄でも。
俺は、佐藤湊という神が支配する世界で、生かされ続ける。




