【限定SS】サイドストーリー 九条凛の優雅な朝
九条凛の朝は、完璧な静寂から始まる。
最高級の茶葉を使い、一分の狂いもなく淹れられた茶を啜りながら、彼女はタブレットに踊る数字を眺める。
九条グループの株価、競合他社の不祥事、そして――かつて自分を辱めた「藤堂家」の残骸。
「……ふふ。今日もいい滑り出しね」
彼女は、半年前のあの日のことを思い出す。
茶道部の部室に現れた、佐藤湊という少年。
成績優秀、品行方正。だがその瞳の奥には、すべてを焼き尽くすような真っ黒な「虚」があった。
正直に言えば、藤堂蓮を潰すだけなら、
凛一人の力でも時間はかからなかった。
だが、それでは「美しくない」。
身内から、それも最も信頼していたはずの親友から、築き上げたすべてを奪われる。その屈辱に塗れた転落劇こそ、藤堂家への最高の返礼になる。
湊は、凛が想像していた以上の「駒」だった。
彼は復讐のために、自らの感情さえも殺し、冷徹な機械へと変貌した。その過程は、凛にとってどんな演劇よりも刺激的な娯楽だったのだ。
◇◆◇
学園の理事会を掌握し、
藤堂ホールディングスを解体に追い込んだ後、凛は湊に自分の秘書になるよう誘った。
それは単なる労働力の確保ではない。
自分と同じ「闇」を抱えた人間を、傍に置いておきたいという、彼女なりの孤独の裏返しでもあった。
だが、湊はそれを断った。
『飼わなきゃいけないペットがいる』
その言葉を聞いた時、凛は初めて、
計算外の感情――わずかな「嫉妬」に似た苛立ちを覚えた。
「佐藤くん。あなた、あの女を壊して満足したんじゃなかったの?」
凛は、湊のマンションに設置された(彼も承知の上での)監視カメラのログを時折チェックする。
そこには、湊の足元で泣き崩れる水瀬結衣と、それをゴミを見るような目で見下ろす湊の姿が映っている。
「愛を憎しみに変換して、一生繋ぎ止めるなんて……。あなたも相当、趣味が悪いわね」
凛にとって、結衣は「守る価値のない女」だ。
だが、その価値のない女に固執し、復讐という名の鎖で自分自身をも縛り付けている湊の姿は、ひどく滑稽で、同時に残酷なほど美しく見えた。
◇◆◇
放課後、凛は生徒会室の窓から、
寄り添って歩く湊と結衣を見送る。
周りの生徒たちは「献身的な湊」を称賛しているが、凛だけは知っている。あの二人が歩いているのは、光の射す道ではなく、底なしの泥沼だということを。
「……お嬢様、そろそろお時間です」
黒服の運転手が迎えに来る。
「ええ、分かっているわ。……ねえ、藤堂蓮の様子はどう?」
「はい。少年院での精神状態は極めて不安定とのことです。佐藤様からの定期的な『面会』が、相当効いているようで……」
「そう。彼にはまだ死なれては困るわ。佐藤くんの『復讐心』というガソリンを絶やさないためにもね」
凛は冷たく微笑む。
湊は結衣を飼っているつもりだろうが、凛から見れば、湊もまた彼女の巨大な盤面の上で踊る駒の一つに過ぎない。
彼が復讐に飽きた時、あるいは結衣が完全に壊れた時、凛は次の「遊び」を彼に提供するつもりだ。
「さあ、次はどんな地獄を用意してあげようかしら。佐藤くん」
凛は最後の一口、冷めた茶を飲み干した。
苦味だけが残るその味は、彼女が愛してやまない「勝利」の味に、よく似ていた。




