第2話 静かなる包囲網
◇◆◇
翌朝、鏡の前に立った俺の顔は、驚くほど普通だった。
昨夜、あの現場を離れた後、俺は一睡もせずにノートを書き潰した。感情を排し、
蓮と結衣、そして彼らを取り巻く人間関係を全て「資産」と「負債」に分類した。
「おはよう、湊! 今日も早いな」
登校するなり、蓮がいつものように爽やかな笑顔で肩を叩いてくる。
その手。昨日、結衣の肌を這わせていたその手で、
親友の振りをされる。反吐が出るのを通り越し、もはや滑稽ですらあった。
「ああ、おはよう蓮。昨日は遅くまで自主練だったのか? 疲れてるみたいだけど」
「はは、バレたか。ちょっと夜更かししちゃってさ」
嘘を吐く時の、わずかな口角のピクリとした動き。
今まで気づかなかったのが不思議なほど、あいつの表情は「演技」に満ちている。
遅れて登校してきた結衣は、俺と目が合うと一瞬だけ怯えたように視線を逸らしたが、すぐにいつもの甘ったれた声を出した。
「湊くん、おはよ。……ねえ、今日の放課後、
図書室行くのやめてどっか遊びに行かない?」
「ごめん、結衣。今度の全国模試に向けて、
どうしても外せないカリキュラムがあるんだ。終わったら連絡するよ」
「そっか……。湊くんは、本当に勉強ばっかりだね」
彼女の瞳に浮かんだのは、失望ではなく「侮蔑」だった。
『やっぱりこの男は、私よりも教科書の方が大事なんだ』
そう思い込ませる。それが俺の第一歩だ。
彼女が俺を軽んじれば軽んじるほど、俺の動向への警戒心は薄れる。
◇◆◇
俺が最初に向かったのは、学園の屋上でも図書室でもない。
「茶道部」の部室だ。
そこにいたのは、九条 凛
この学園の影の権力者であり、藤堂家とビジネスで競合する九条グループの令嬢だ。
そして、彼女はかつて蓮に告白し、
公衆の面前で「地味な女はタイプじゃない」と切り捨てられた過去を持つ。
「佐藤くん? 生徒会の優等生が、こんな風情のない場所に何の用かしら」
凛は茶を点てながら、冷ややかな視線を向けてくる。
「九条さん、単刀直入に言います。藤堂グループの次期後継者……
藤堂 蓮を、引きずり下ろす手伝いをしてくれませんか」
凛の動きが止まる。
「あら。親友ごっこは飽きたの?」
「親友ごっことは……そうですね。信じた俺が悪かった」
「ごっこ遊びは、向こうが先に壊しました。俺はただ、ゴミを掃除したいだけです」
俺はスマホを取り出し、昨日撮影した動画の「一部」を彼女に見せた。
凛の瞳に、暗い愉悦の炎が灯る。
「……面白いわね。でも、これだけじゃ決定打にはならない。
藤堂家は不祥事をもみ消す力があるわ。学園内での人気も根強いし」
「ええ、分かっています。だから、まずは彼の『集金能力』と『人望』を根元から腐らせます。そのための『鍵』を、九条さんに握ってほしいんです」
◇◆◇
俺が凛に提案したのは、蓮がキャプテンを務めるサッカー部の「裏会計」の暴露だ。
蓮は部費を私物化し、お気に入りの部員たちと夜の街で豪遊しているという噂がある。俺はその確かな証拠——蓮が部費決済に使っているタブレットのパスワードと、裏帳簿の保管場所——を、生徒会の立場を利用して既に特定していた。
「これを九条さんのルートで週刊誌と、
何より学園の『匿名掲示板』に流してください。タイミングはこちらで指定します」
「協力の報酬は?」
「藤堂家が失墜した後に空く、学園理事会の席。そして、結衣の実家が経営する建設会社への融資停止。それらは全て、九条グループの利益になるはずです」
凛はくすりと笑った。
「佐藤くん、あなた……思っていたよりずっと、悪い男ね」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきます」
◇◆◇
その日の放課後、俺は結衣に短いメッセージを送った。
『勉強が早く終わったから、生徒会室で待ってる。合鍵、持ってるだろ?』
案の定、やってきたのは結衣一人ではなかった。
影から見守っていると、
結衣が蓮と一緒に、誰もいないはずの生徒会室へと忍び込んでいく。
「湊は?」
「まだ会議室だって。
あいつ、真面目すぎて笑えるよね。今頃、先生にペコペコしてるよ」
蓮の嘲笑が聞こえる。
二人は、俺の机の上で、
俺が彼女に贈ったブローチを弄りながら、密会を愉しんでいた。
俺はそれを、生徒会室に設置された隠しカメラ
(防犯用と偽って俺が設置したものだ)で見つめていた。
「いいよ、もっと壊してくれ」
俺はモニターを見つめながら、静かに喉を鳴らした。
二人が調子に乗れば乗るほど、落下の衝撃は大きくなる。
その時、蓮のスマホに一通の通知が。
それは、サッカー部の後輩からの「部費の件で先生に呼び出された」という悲鳴のようなメッセージだったはずだ。
蓮の顔から余裕が消える。
「……っ、なんだよこれ」
「蓮くん、どうしたの?」
チェックメイトへのカウントダウンは、もう始まっている。
俺はタブレットを閉じ、九条凛に最後のアクションを指示するメッセージを送った。
「さて、次は『純粋な幼馴染』の化けの皮を剥ぎに行こうか」




