第2話 面会室の歪んだ聖域
収監から二週間。
藤堂蓮の精神は、すでに正常な軌道を失っていた。独房には、かつて湊に贈ったプレゼントのレシート、サッカー部の部費表、そして湊の名を殴り書きした無数の跡。
蓮はそれらを、まるで聖なる遺物のように毎日なぞっていた。
「……湊。なぜ来ないんだ」
面会予約の日。
蓮は、アクリル板の向こうに現れたスーツ姿の男に、吸い寄せられるように駆け寄った。だが、そこにいたのは湊ではなかった。
湊が雇った弁護士だった。
「藤堂様。佐藤様より伝言です。『君がまた罪を重ねた以上、面会に行く必要はない。君はもう、俺の人生には不要なゴミだ』とのことです」
弁護士は事務的に冷たい言葉を突きつけ、蓮が喉から絞り出した悲鳴も聞かずに退席した。
「嘘だ……! 嘘だ、湊!!」
蓮はアクリル板に頭を打ち付けた。
自分を蔑んでもいい、支配してもいい。だが、「不要」と切り捨てられることだけは、蓮の生存本能を直撃した。
彼にとって、湊からの「罰」こそが、自分が藤堂蓮として生きていることの唯一の証明だったからだ。
◇◆◇
その日から、蓮の精神は劇的な変質を遂げた。彼は房内で、「湊に許されるための行動」を過剰に考え、ストレスで自傷繰り返すようになった。
食事は最小限に留め、床を裸足で磨き、あたかも自分が湊の所有物であるかのように振る舞う。
看守たちは、かつて華やかな学園のスターだった男が、独房で自分の髪を噛み切り、湊への詫び状をノートに埋め尽くしている異様な姿に、背筋を凍らせた。
「湊……お前が俺を罰しないなら、俺は俺を殺すよ。それとも、お前が直接、俺を殺しに来てくれるか?」
蓮の呟きは、もはや人間のそれではない。
かつて湊を虐げていたあの自信満々な笑顔は、鏡のどこを探しても見当たらない。あるのは、剥き出しの狂気だけ。
ある夜、蓮は独房の隅で、ふと「あたたかな記憶」を幻視した。
蓮が湊のいじめを救った日。
あの時、湊が蓮に向けてくれた、あの心からの感謝と尊敬に満ちた瞳。そのときは演技だったが、たしかに助けたいと思わせる"なにか"が湊にはあった。
「そうだ……あれが、お前だった。俺は、お前を愛していたんだ」
その瞬間、蓮の精神のブレーキが完全に焼き切れた。彼は自分の罪をすべて「湊に認められたい一心で行った狂気」だと解釈し、その妄想の果てに、湊への歪んだ愛情を爆発させた。
◇◆◇
一ヶ月後。
湊がようやく面会に姿を現した。
「……蓮。またここか。懲りないな」
アクリル板の向こうで、湊は呆れたように肩をすくめた。だが、蓮の目にはその態度が「慈悲」に見えた。
「湊……ッ! 来てくれた、来てくれたんだな!」
蓮は涙と鼻水にまみれた顔で、アクリル板に張り付いた。かつてのモデルのような容貌は見る影もない。だが、湊はあえて、その無様な姿をじっと見つめた。
「湊、頼む。俺を外に出してくれ。また掃除をして、お前の機嫌を取るから。……なんなら、今すぐここで殺してくれてもいい。お前の手で、俺を終わらせてくれ!」
蓮は、自分の愛してほしいという本能を、湊への「死」という献身で表現し始めた。
湊は、その姿を冷ややかに見つめる。
(ああ、壊れたな。……蓮、お前はもう、俺という存在なしには、呼吸することすら許されないんだ)
「蓮。お前は本当に可愛い奴だな」
湊がふと、かつて蓮が自分に使ったのと同じ、優しい口調で囁いた。
「え……?」
「お前が俺を愛していること、知ってるよ。だから、一生そこで苦しみ続けろ。それが、俺とお前の『永遠の親友』としての契約だ」
湊の「優しさ」は、蓮にとって猛毒だった。突き放されるよりも、慈しまれる方が、遥かに蓮の精神を蹂躙する。
その言葉を聞いた瞬間、蓮は独房へ戻った後、狂ったように笑い出し、自らの腕を爪で深く引き裂いた。
「俺は、選ばれたんだ……。湊の檻に、一生……!ずっとずっとこれからも!!」
独房に響くその笑い声は、かつてのヒーローの葬送曲のように、暗い廊下に吸い込まれていった。彼の中に残ったのは、湊という神への盲信と、崩壊した自我だけである。




