第4話 完璧なる拒絶
深夜の静寂を切り裂き、湊のマンションの扉が乱暴に開かれた。
「行け! 部屋の中にあるスマホ、PC、記録媒体、全部回収しろ!」
一条響の声は、怒りと使命感でひどく掠れていた。背後には鮫島たち数人の荒くれ者が、鉄パイプを手に雪崩れ込む。彼らは「正義」の名のもとに、湊の聖域を蹂躙した。
高級な北欧家具はなぎ倒され、クローゼットの中身は引きずり出される。響が求めたのは、湊が結衣を支配している決定的な「証拠」――そして、彼女自身の救出だ。
「水瀬先輩! どこですか!」
響が奥の寝室のドアを蹴破る。
そこには、ベッドの上で膝を抱えて震える結衣と、その隣に座り、読書灯の下で静かに本を閉じる湊の姿があった。
湊は、暴漢たちに囲まれても眉一つ動かさない。
「……夜分に騒々しいな。一条くん、不法侵入に器物損壊、それに強盗の共犯か。ずいぶんと『毒』が回ったようだ」
「黙れ! 先輩、今助けます!」
響が結衣の手を掴もうとした瞬間、湊が冷たく言い放った。
「やめておけ。彼女は、見知らぬ男に触れられるのを極端に嫌うんだ」
◇◆◇
「嫌っ……触らないで! 来ないで!」
結衣は響の手を振り払い、狂ったように湊の背中にしがみついた。
「湊くん、この人怖い! また私を連れて行こうとしてる! 助けて、湊くん!」
響は絶句した。
「……先輩、どうして。この男はあなたを……!」
「湊くんは私を守ってくれてるの! 私が汚いから、外に出ないようにしてくれてるの! この人は、私の家族を助けてくれた唯一の人なのよ!」
結衣の叫びは、響の胸を鋭く刺した。
湊は完璧だった。
彼は結衣を物理的に拘束などしていない。彼女の心の中に、「自分は湊なしでは生きていけない」「外の世界は敵だらけだ」という強固な精神の壁を築き上げたのだ。
法律でも暴力でも壊せない、完璧な依存の完成。
「……聞こえたかい、一条くん。君のやっていることは、彼女にとっての『救済』ではなく『襲撃』なんだよ」
湊は立ち上がり、響を見据えた。
「君は正義を振りかざして、彼女のささやかな平穏を壊しに来た。……鮫島くんたちもそうだ。君たちは、藤堂の時と同じ過ちを繰り返している」
◇◆◇
その時、響のスマートフォンが激しく震えた。
表示された名前を見て、響の顔から血の気が引く。
「……父さん……?」
「響! 貴様、今どこで何をしている!」
スピーカー越しに漏れる父親の怒号は、マンションの部屋中に響き渡った。
「検察庁に、匿名の告発状と映像が届いたぞ! 貴様が暴力団まがいの男たちと共謀し、同級生の自宅を襲撃している現場のリアルタイム映像だ! すぐにそこを離れろ! 私の、一条家のキャリアを終わらせる気か!」
響は力なくスマホを落とした。
すべては湊の計算通り。
凛が響に「武器」を与えた瞬間から、湊はその武器がいつ、どこで自分に向けられるかを予見し、カウンターの準備を終えていたのだ。
「……九条先輩が、僕を売ったのか?」
「いいや。彼女はただ『観劇』を楽しんでいるだけだ。通報したのは俺だよ。……君がここに来る数分前にね」
湊は完璧な手際で、警察ではなく「響の父親」に直接連絡を入れたのだ。
息子の不祥事をもみ消したい父親は、自らの手で響を連行し、世間に知られぬよう「精神病」という名目で彼を社会から隔離するだろう。
それこそが、法曹界の住人に与える、最も残酷な「社会的抹殺」。
◇◆◇
鮫島たちは、事の重大さを察して早々に逃げ出した。
部屋に残されたのは、呆然と立ち尽くす響と、彼を哀れみの目で見つめる湊、そして湊の腕の中で安堵の吐息を漏らす結衣。
「一条くん。君は、自分の正義が誰かを幸せにすると信じていた。……でも現実はどうだ? 君は父親の人生を汚し、結衣を恐怖させ、自分自身を犯罪者に落とした」
湊は響の耳元で、死神のように囁いた。
「……ようこそ、地獄へ。君も、藤堂と同じ檻へ招待してあげよう」
響の瞳から、最後の光が消えた。
彼はよろよろと、自分の足で部屋を出て行った。
待ち構えているのは、警察ではなく、厳しい顔をした父親の差し向けた「黒い車」だろう。
◇◆◇
その光景を、マンションの非常階段から眺めていた。彼女は湊の部屋から出てきた響と、一瞬だけ視線を合わせる。
「……残念だったわね、一条くん。でも、あなたの正義が壊れる瞬間は、本当に美しかったわ」
凛は湊の部屋のドアを叩いた。
「佐藤くん。後片付けが必要かしら?」
扉が開くと、そこには結衣を膝に寝かせた湊がいた。
「いいえ。すべて終わりました。……九条さん、あなたの『戯れ』のおかげで、結衣の依存はさらに深まりました。感謝しますよ」
湊の微笑みは、もはや人間のものではなかった。
完璧な復讐者。完璧な支配者。
凛はゾクゾクとするような快感を覚え、心の中で呟いた。
「ええ……。でも忘れないで、佐藤くん。いつかあなたがその完璧さに飽きたとき、最後にあなたを壊すのは……私かもしれないわよ?」
女王の笑い声が、夜の静寂に溶けていく。




