71裏東京
潤一平先生を含む鈴木事務所の人たちが、俺の大会優勝のために動いてくれている中、俺と典子先生は、道を歩いていた。
道といっても、大通りから外れた路地裏の道。
『宵明、乗るよ』
『よっこらポン』
福丸が俺の肩、歌子さんが典子先生の首周りに乗っかる。
住宅と住宅の間を抜ける。
真っ直ぐ行ったり、右や左に曲がったり。
鈴木事務所自体、都心から少し離れた場所にある。
路地裏の道には、俺たち以外、人気はない。
そうして、典子先生と歩くこと、30分ほど。
狭かった路地裏の道が、ようやく開ける。
俺たちの前には、大きなお寺があった。
外観上は、何処にでもありそうなお寺。
このお寺の場所が、俺たちの目的地。
俺たちはお寺の敷地内に入る。
すると、
「おや…これはこれは。典子に、宵明。そして、猫又に、妖狸。よくお越しくださった」
1人の高齢の女性が、俺たちに挨拶をする。
僧衣を着て、手には数珠。
髪は剃っており、穏やかな表情をしていた。
所謂、女性のお坊さんである尼さんだ。
「ああ、婆さん。今日も、『裏門』を使わせてもらうぞ」
典子先生が『裏門』を使うと、言う。
尼さんは頷く。
「そうか、今日も行くのか。まぁ…何度も行っているから、大丈夫だと思うが、気を付けなさい。あそこは、無法地帯。悪いもんが、ぎょうさんおる。決して、無闇に関わってはいかん」
「ああ、分かってる」
典子先生は、そう返事すると、お寺の方へ歩き出す。
俺、福丸、歌子さんも付いていく。
お寺の前に行くと、線香の香りが漂ってきた。
俺たちは、そのままお寺の中に入る………ことはなく、お寺の横を通って、お寺の後ろへ行く。
丁度、お寺の反対側。
そこに行くと、灰色の無骨な石で作られた長方形の物体がたくさんあった。
それは、人の遺骨を埋葬し、お盆などに花を飾ったりするもの。
お墓である。
ここは、お寺であり、墓地でもあるのだ。
あの尼さんは、僧の役割をしながら、墓守もしているのだ。
俺たちは、墓石と墓石との間の狭い道を通って、目的の墓へ行く。
その墓は、他の墓と何の変哲もない見た目。
表には、「門脇」と刻まれている。
ここで、何をするかと言うと勿論、墓参り………ではない。
「よっこらしょ」
典子先生が徐に、墓の土台になっている石部分に、手を置く。
そして、土台に霊力を込める。
すると、どうだろうか。
ゴゴゴ…。
土台部分が音を立てて、スライドするように動く。
現れたのは、大人1人分通れるほどの入り口だ。
隠し扉である。
俺も、福丸も、歌子さんも…ましてや、典子先生も驚かない。
もぅ…慣れたものだからだ。
俺たちは、段差を降りて、暗くて狭い道を進む。
俺たちが全員入ると、さっきまで入り口を塞いでいた土台部分がゴゴゴ…と、音を立てて、また入り口を塞ぐ。
「宵明、明かりを」
「はい」
典子先生に言われ、俺は詠唱する。
「火よ。赤い種となり、灯せ【火玉】」
俺の手の中に、小さな火種が現れる。
これは、式神術と同じように、陰陽師における基本技術の一つの"五行術"である。
【火玉】は、火・水・土・木・金の5つの内の火。
初歩的な火の術だ。
俺は【火玉】を操って、先頭を行く典子先生の前は持っていく。
それによって、周囲が少し明るくなった。
道自体は少し進んだところで、壁に差し掛かる。
典子先生は、墓の土台の時と同じく、壁にも手を置き、霊力を注ぐ。
それによって、壁に黒い渦が出現する。
まるで、小さなブラックホールみたいな、これこそが『裏門』。
尼さんに、『裏門』を使うと言ったが、それはこのブラックホールみたいなものを使うということ。
「入るか」
「はい」
俺たちは何の躊躇もなく、『裏門』を潜る。
少しの浮遊感を感じる。
でも、それは一瞬だけ。
次の瞬間には、俺たちは、またしても暗く狭い道にいた。
何も起こらなかった?
いいや、
『う〜"転移"は、何回経験しても、少し酔っちゃう』
肩に乗った福丸が、酔ったと言う
そう、俺たちはさっきの『裏門』を通って、別の場所に転移したのだ。
『裏門』とは、ゲームで言うところの、ポータルや異空間移動みたいなものだ。
転移した後は、道を進み、段差となった先の天井に霊力を注ぐと、天井がスライドして動く。
天井が開いた先が外である。
外に出た俺たちは、当たりを見渡す。
周囲には、誰もいない。
見える景色は、傷だらけで苔が生えまくった墓地の数々。
そして、地上を反転したような景色。
今は、まだ日が出ている時間帯なのに、辺りは真っ暗であり、星も見えていない。
当然だ。
俺たちが出てきた場所は、地上ではない。
東京の地下深くに存在する巨大な空洞の中。
通称、『裏東京』。
空を見上げれば、そこにあるのは、どこまでも広がる黒い岩盤だ。
天井がどれほど高いのか、ここからでは分からない。
所々から、巨大な鍾乳石のような岩が垂れ下がっていた。
俺たちがいる墓地は、裏東京を一望できる高台の場所だ。
「いつ見ても、現実離れした景色だな」
『そうだね。僕、まだこの光景、怖い』
俺が眼下を見て呟き、福丸が恐る恐る下を覗く。
何度も、この裏東京には来ているが、完全には見慣れていない。
ここは、地上とは本当に別世界だからだ。
墓地の高台下には、地上の街を無理矢理地下へ押し込んだような、歪な街並みが広がっているのだ。
木造の長屋。
無骨なコンクリートの建物。
錆びたトタンで継ぎ足された小屋。
黒ずんだ看板を掲げる店。
建物同士の隙間を埋めるように増築が繰り返され、上へ横へと、秩序なく広がっていた。
暗い街を照らしているのは、赤や紫のネオン看板、軒先に吊るされた提灯、それから宙を漂う青白い鬼火。
色の違う光が暗闇の中で入り混じり、裏東京全体を薄気味悪く照らしている。
そして…裏東京で、何より目を引くものがある。
「『逆さ塔』も、いつも通りだな」
俺は、街の中央を眺める。
巨大な空洞の中央に、一本の赤と白の塔がそびえていた。
いや、そびえている…という表現は正しくない。
塔は、天井から生えていた。
太い土台部分が天井の岩盤に食い込み、そこから下へ向かうにつれて細くなっている。
下の方の細い柱は、街の地面に刺さっていた。
赤と白に塗られた鉄骨。
一定の間隔で点滅する、赤い警告灯。
どう見ても、地上にある東京タワーと同じ姿。
ただし、上下が完全に"逆"になっている。
まるで、地上の東京タワーが地下まで突き抜け、そのまま裏返しになって垂れ下がっているようだった。
裏東京の象徴『逆さ塔』だ。
今日も、建築法の基準をガン無視で、存在感を放っている。
「よし、行くか」
典子先生が、また歩き出す。
俺たちは、高台から伸びる石段を降りていく。
街に近づくにつれ、裏東京の音と匂いが強くなってきた。
「うおらぁ!!」
「あひゃひゃひゃ?!」
ズズゥ…ズズゥ…。
ジャカジャカ…カランコロン…。
男たちの怒鳴り声。
女たちの甲高い笑い声。
何か重いものが地面を引きずる音。
どこかで奏でられている調子の外れた三味線の音。
地上では、余り聞かない音が溢れている。
鼻に入ってくるのは、地面にある湿った土と空気を漂う錆びた鉄の匂い。
そこへ煙や油、酒、異臭、何かの肉の匂いが混ざっていた。
何の肉かは、考えない方がいい。
「宵明、何度も言っていると思うが、念のために言うぞ」
典子先生が足を止めることなく、俺に言う。
「ここから先、私から離れるなよ。知らない奴に声をかけられても無視しろ。喧嘩を売られても買うな。落ちている物にも触るな」
「はい」
長い石段を下り切ると、道の両側を背の高い建物に挟まれた。
先ほどまで高台から見下ろしていた裏東京の中へ、いよいよ足を踏み入れたのだ。
上空を見れば、建物と建物の間に、電線や配管が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
そこから時折、黒い水滴が落ちてくる。
道路には舗装されている場所と、剥き出しの土が混在していた。
側溝を流れる水は濁っており、とても触る気にはなれない。
変なのは、環境だけではない。
裏東京の住人たちが行き交う。
着流し姿の男。
顔を布で隠した女。
全身にお札を貼り付けた河童。
紫の煙を出す怪しげな煙管を吸う鬼の男。
人間も妖怪も、堅気とは思えない。
ここ裏東京で重要なのは、人間か妖怪か堅気かではなく、そいつが強いか弱いか。
金になるか、敵になるか。
それだけだ。
バーン!
バーン!
バーン!
遠くから銃声が木霊する。
誰かが銃を撃ち合っているのだろうか。
怖い怖い。
典子先生に、ただ付いていっていると、
「坊や。一つ、どうだい?」
突然、声をかけられる。
それは、俺たちが歩く道の右横にある店からだ。
でも、俺は立ち止まらず、声の方にも顔を向けない。
うん、無視無視。
典子先生から、裏東京で不用意に人と話すなと言われている。
もし、返事をすれば、面倒なことになるからだ。
「オイ!ソコノ…オマエタチィ?!」
『ニャ?!』
今度は左横から、呼び止められる。
つい俺の肩に乗っている福丸が反応するが、これも無視一択だ。
『タ…タスケテ』
何処からか、助けを求める声が聞こえるが、これも無視。
というか、これが1番まずい。
助けを求める類の言葉は、ここでは1番無視した方が良いのだ。
初めて、俺が典子先生に連れられて、裏東京に来た時は、慣れないこともあり、いろんな声に惑わされ、その都度先生に迷惑をかけた。
今では、身を持って知っている。
正気でいたいなら、ここにいる者には、関わらないことだ。
無視を貫けば、"大体の"奴らは何もしてこない。
ただ前だけを見て、裏東京の街を進む。
そうして、辿り着いた場所は、
「ふぅ…着いたな」
典子先生が、一息つく。
左右に高い建物で挟まれた酒の飲み場。
着いたのが、一軒のバーである。
バーと一言で言っても、看板のネオンは一部が壊れており、外壁も傷んでいる。
衛生管理なんて期待できない。
典子先生が扉を開ける。
チリンチリン。
扉にある鈴が鳴る。
中には、カウンターやテーブル、そしてカウンターの向こうに、たくさんの酒。
アルコールの匂いが鼻につく。
そりゃあ、バーだからね。
棚にある酒は、お世辞にも種類は多くない。
まぁ…この街だからね。
酒の入手は難しいだろう。
バー中には、数人の客と、コップを磨いている1人のバーテンダー。
「……いらっしゃい」
顔が痩せ、どこか暗そうな雰囲気を持つ男性のバーテンダーが、俺たちに、いらっしゃいと言う。
他の客たちは、俺たちを一瞥して、それ以降はまた酒を飲み始める。
勿論、ここには酒を飲みにきたわけではない。
第一、俺は未成年だ。
目的は、このバーの地下。
俺たちは、そのままバーの地下に向かった。
階段を下り、突き当たりの扉を開ける。
ギイイ…。
今にも壊れそうな建て付けの悪い扉が、小さく鳴らせる。
地下にあったのは、窓一つない小さな部屋だった。
天井から吊るされた裸電球が、頼りなく明滅している。
小さな部屋の中には、たくさんの棚があった。
小さな引き出しが何十個も付いて、部屋の天井にまで届く高い棚。
テーブルの上にも、多くの小物が。
さらに、特出すべきは、
「ぽ、ぽぽ…ぽぽぽ」
部屋の奥には、帽子を被り、白い服を着た…それはそれは大きな一人の女性が立っていた。
聞こえてくるのは、男性のように低い声。
耳に残るような機会な声である。
大きな女性が、ゆっくり俺たちを見下ろす。
「ん?……典子と宵明か」
大きな女性は、典子先生と俺を見て、名前を言う。
ここで言う大きいとは、背が少し高いとか、太っているとか、そんな話では無い。
その女性は2メートル越えの身長を持っていた。
もっと具体的に言うと、2メートル40センチ。
昔の日本の長さ基準で、一尺が30.3センチだから、約8尺。
つい、俺は見上げてしまう。
そう…この人は妖怪、八尺様である。




