65あと2か月
その日は、12月31日。
その年の最後となる日…大晦日である。
大晦日の夕刻。
九十九神楽に連なる多くものが、九十九神楽本邸の大広間に集まっていた。
「皆、一年ご苦労であった」
俺の祖父である九十九神楽巌が、厳かな声で言い出す。
「今年もまた、多くの者が九十九神楽の名を背負い、それぞれの務めを果たしてくれた。怪異を討った者、傷ついた者を支えた者。そして、この家を守り、子供たちを育ててくれた者。その働きに軽重は無い」
爺ちゃんが、大広間に居る皆んなを見渡す。
「中には、己の術式に向き合う者、強くなろうとする者も居た」
爺ちゃんの視線が、俺と匠兄の2人を交互に捉える。
でも、それは一瞬。
すぐに、視線を大広間全体に戻す。
「当主として、皆がこうして無事に年を越せることを、何より嬉しく思う。九十九神楽の名は、己を大きく見せるためにあるものではない。力を持たぬ者の前に立ち、災いを引き受けるためにある。来年も、そのことだけは忘れるな」
そこまで言ったところで、爺ちゃんはさっきまでの厳かな声を変えて、柔らかい口調にする。
「もっとも、今夜まで堅苦しく過ごす必要はない。役目も階級も忘れ、家族として食い、飲み、笑え。子供たちは夜更かししすぎぬようにな」
大広間に、小さいながらも笑い声が響く。
爺ちゃんは、テーブルの上に置かれている酒の入った杯を手に取り、掲げる。
「来年の暮れにも、欠けることなく、この顔ぶれで集まれることを願う。今年一年の働きと、来る年の無事を祈って…乾杯!!!」
「「「「「乾杯!!!」」」」」
爺ちゃんの乾杯の宣言を皮切りに、大広間にいる者全員が、乾杯を言い合う。
そして、大広間に居る皆んなは、目の前のテーブルに置かれたご馳走に手を出す。
それは、俺と匠兄の5歳の誕生日会の時以上に、手の込んだ料理が並んでいた。
今日は九十九神楽家恒例の、その年最後の日を祝う会。
九十九神楽に連なる者が集まり、互いに話し合い、食卓を囲う日である。
一流の料理人たちが作った食事が並ぶのも当然。
皆んなが料理に舌鼓を打つ。
でも、俺は………、
「おにぃ、これ美味しいよ!」
「ショウちゃん、たくさん食べよ!」
『もぐもぐ…』
「うん、そうだね」
俺の左右隣にいる妹の茉昼と巴母さんが、笑顔で話しかけ、福丸は俺の膝の上で、すでに魚の刺身にありついている。
俺も笑顔で、2人に答える。
だけど、その笑顔もすぐに真顔に戻す。
思案をしながら、黙々と食事を取る。
豪華な食事を楽しむ余裕は、今の俺には、少し無かった。
今後について考えていたからだ。
それは、
「ぼっちゃま、お茶のお代わりは?」
「……貰う」
婆やが空になった俺の湯呑みにお茶を注ぐ。
そんな婆やを、俺は静かに眺める。
爺ちゃんは、来年の暮れにも、欠けることなく、この顔ぶれで集まれることを願う…と言ったが、このまま行けば、その願いは叶うことがないと知っている。
何を隠そう、来年の2月に婆やが死ぬからだ。
ずっと俺の世話をしてきて、祖父同然の婆やは、今から2ヶ月後に、妖怪に襲われ、大怪我を負って病院で死亡が確認される。
思い出すのは、一回目の人生の時に、病院で既に冷たくなっている婆やの遺体。
俺は何も出来なかった。
3年以上前から過去に戻ってきて、九十九神楽や俺の家族、親しい人の不幸を回避するために、強くなろうと努力したけど、ついに…その努力が試される時が迫ってきた。
あと2ヶ月しかない。
期限が迫っている。
そう考えると、美味しいはずの料理も、余り喉を通らず、味も感じにくい。
料理がある程度食べられてくると、大広間の皆んなは飲み物などを持ったりして歩き回ったり、仲の良い人同士で会話し合う。
「巴…陰陽師の職務、ご苦労様です」
「文ちゃんも、いつも子供たちを見てくれて、ありがとう。あ!光希くんも、こんにちは!」
「……………うん」
巴母さんと文世義母さんは、互いに親しげに会話をしていた。
いつものように、文世義母さんの後ろにいる弟の光希は、恐る恐る巴母さんに返事をする。
「シャボン玉!シャボン玉!」
『凄い水玉の数』
「まだまだ増やせるぞ」
姉の澪が、自身の周囲に拳台の水の玉を生成して、いくつも浮かべていた。
あれは、澪姉の水の術によるもの。
茉昼と福丸が、面白そうに眺めたり、水玉を突っついたりしている。
巴一家と文世一家が、親しく交流している一方、
「籠目さん、本年もお世話になりました。来年も、どうぞ宜しくお願いします」
「…はい……幸子さん。来年も、宜しく…お願いします」
幸子義母さんが、大晦日らしい挨拶を言ったのに対して、抑揚のない声で話す女性。
彼女は、俺の父の3番目の妻である九十九神楽籠目。
若草色の髪を短く切り、小柄な体格。
特徴的な丸眼鏡は、理知的な印象を持たせる。
普段は余り他人と関わろうとしない幸子義母さんだけど、籠目義母さんに至っては、同じ陰陽師の名家出身。
そういった経緯から、こうして皆んなが集まる催しの際は、よく話したりしている。
幸子義母さんの子供たちはというと、
「姉ちゃん、兄ちゃん。これ…美味しいね」
「……そうね」
「そうだな」
幸子義母さんの息子である利久が、同じく幸子義母さんの娘と息子である鈴音と匠に話しかけるが、2人の反応は、無表情で素っ気ないものである。
冷たい。
相変わらず、鈴姉と匠兄も、こういう場でも誰かと話したり、騒いだりしない。
利久は、少し委縮して、黙ってしまう。
「………」
そして、大広間の隅で、物置のように、身動きせずに、本を読む女の子。
籠目義母さんと同じ若草色な髪の女の子。
あの子は、俺の姉であり、籠目義母さんの娘の九十九神楽縁。
九十九神楽の第四子に当たる子だ。
縁姉も、相変わらず、本の虫である。
俺の方は…と言うと、大広間の縁側から空を見ていた。
空には、いくつかの光の点が見える。
星だ。
ここは、東京都内なので、星なんて余り見えない。
もっと田舎の方に行けば、凄い星空を見れるのだろうか。
でも、光り輝く一等星は見える。
2ヶ月後に訪れる婆やの悲劇への焦りを紛らわすために、星空をぼんやりと見ていた…その時、
「どうしたんだい、宵明。なんだか、辛そうな顔は……見えないけど、気配を出しているね」
爽やかで、とても優しい声が降り注ぐ。
その人は、
「真兄……」
女性のような美しく長い黒髪に、いつもの目元を覆う布を付けた俺の二つ上の兄がやってきた。
九十九神楽家の第一子であり、長男の真である。
俺が最も頼りにしている人の1人。
「辛そうな気配出してた?」
「そうだね。何というか、焦りと不安…それに、後悔の気配を感じるね」
真兄は"呪い"のせいで、生まれつき病弱な体質をしている。
さらには、真兄自身の術式により、普段は目を布で隠しているため、視覚が遮断されている。
なので、真兄は視覚の代わりに気配を感じるのが得意なのだ。
それにしても、俺のネガティブな感情が、気配で出ていたのか。
負の感情を持っているのは、あんまり身内に、知られたくないのだが。
「ちょっと…嫌なこと考えちゃって。それで、ネガティブになったのかも」
「そうか。でも…私には、ちょっと…ではないような気がするな」
中々、真兄は鋭い。
このまま一緒に居ると、心の中を本当に見透かされそうだ。
「一体、何に悩んでいるんだい?」
「それは……」
俺は口をつぐむ。
二回目の人生を歩んでいる俺は、未来を知っている。
絶望的な未来を。
俺は、殺されて過去に戻ったんだ。
それを今ここで、話したとしても、与太話にしか聞こえない。
実は、前々から真兄にだけ、俺が過去に戻ったという事情を話そうかと考えた時が、何度かあった。
でも、話せてない。
俺が何も言葉を使わないでいると、
「ふふ…話したくないか。悩みは自身の弱みでもあり、その弱みを他者に吐露するのは、勇気が必要だからね。無理に話さなくていいよ」
「あ…えっと、ごめん」
「謝らなくていいさ。私は宵明の兄であり、いつだって宵明の悩みを聞くし、宵明の力になるさ」
「ありがとう…真兄」
暫し、俺と真兄との間に沈黙が降りる。
12月最後の夜は、肌寒いけど、何故かこの縁側だけは少しだけ暖かい気がする。
ややあって、真兄は徐に、目元の布の手を掛ける。
「久しぶりに、弟の顔でも拝もうじゃないか」
「え?」
俺が首を傾げる中、真兄は唐突に目元に掛けてある布を取るのだった。
「………綺麗」
思わず言ってしまう。
現れたのは、縁側から見える一等星と同じく、美しく輝く真兄の2つの眼。
とても小さな星が埋め込まれているのかと疑いたくなるぐらい、真兄の持つ紫の眼は、綺麗であった。
「おや…宵明も、また見ない内に大きくなったなね」
真兄が微笑み、俺の肩に手を置く。
情弱な体質故に、痩せ細った手であるけど、なんだか力強さを感じさせてくれる。
「まだ、俺…6歳だよ」
「6歳なんて、あっという間に大きくなるさ。これから、どんどんと成長していって、いずれ九十九神楽を支える存在になる。でも…」
そこで、言葉を区切ってから、
「何も、自分の全てを投げ打ってまで、支える必要はない」
「え?」
「九十九神楽には、たくさんの頼れる人がいる。その人たちと一緒に、宵明も小さい助力でも良いから、皆んなと頑張れば良いのさ」
「小さい助力で、皆んなと」
「皆んなと協力し合うだけでなく、誰かに相談するのも良い」
「相談ねぇ…」
もしかしたら、俺は考えすぎなのかもしれない。
真兄の声は、本当に聞く人の心を落ち着かせてくれる。
「ありがとう、真兄。何だか、気持ちが晴れた。なんか…頑張れそうな気がする」
それを聞いて、真兄は小さく笑い、また目元に布を巻く。
「そうかい。話しただけで、弟の気分が晴れたのなら、兄としては嬉しいもんだ」
俺は小さく呟く。
真兄に、聞こえないぐらい小さく、
「真兄…長生きしてね」
真兄も、近く内に死ぬ運命が待っているのだ。
俺が小学校に上がってすぐ。
決して、そうはさせない。
真兄も助けるんだ。
だけど、その前に婆やを助けないと。
俺は婆やを助けるための最適解を思案する。
そこで、思いつく。
婆やが死ぬ運命を変えるためには、やっぱり”アレ”が必要である。
けれども、アレを借りるためには、当主である爺ちゃんの許可が必須。
ならば、何としてでも、爺ちゃんから借りる許可を取るために、"相談"しないと。
俺は腰を浮かせ、爺ちゃんの元へ歩く。




