006宵明の母
「ショウちゃん!元気にしてた!」
「うげ?!」
部屋に入り込んだ20代中盤ほどの女性は、入ってくるなり、俺に抱きつく。
思いっきり、俺の頭を胸で抱きしめるので、息がしにくい。
「柔らかい髪!」
その女性の髪は、神社の門と同じ色の朱色。
その朱色となった長い髪を、丁寧に器用に編み込んで、後ろで一つに束ね、ポニーテールのようにしている。
俺の金色が少し混じった目と似た琥珀色の瞳は、大きく、クリっとして綺麗である。
薄手のコートを着ており、動きやすさ重視の服装だ。
髪には、翡翠色のヘアピン。
首には、白い勾玉の首飾り。
左腕には、様々な色を合わせた組紐。
まさに、『色』を体現した人である。
「ショウちゃん、今日も可愛い!」
「巴奥様!ぼっちゃまが苦しがってます」
女性に遅れて、部屋に入ってきた婆やが、俺と女性とを引き剥がす。
助かった。あれ以上、抱きしめられていたら、窒息死するかもしれなかった。
折角、過去に戻ったのに、窒息死なんて洒落にならない。
「う〜〜久々の我が子との再会だったのに!」
俺と引き剥がさせて、ご立腹である。
この女性の名は、九十九神楽巴。
俺の父の4番目の妻であり、俺の実の母だ。
3歳に戻ってから、初めて俺は母さんの顔を見た。
母さんだ…ちゃんと顔に"色がある"。
「巴奥様、お仕事は如何されたのですか?」
「ショウちゃんに会いたくて、仕事の合間を縫って会いにきたの」
「仕事の合間を縫って……確か、今は宮崎県で起こってる怪異事件の担当をされていましたよね?」
「うん。宮崎県の天岩戸神社にある結界の緩みで湧き出た怪異たちを、皆んなで協力して退治してる。あらかた私の”紙”で祓ったけど、残党をみんなが祓ってくれてる。だから、その合間に来たの」
「それは…残党狩りとは言え、かなり大掛かりな物では?合間とは言え、巴奥様が抜け出すのは.……」
婆やが巴に苦言を呈する。
九州にある宮崎県と、この屋敷がある東京まで、飛行機を使ったとしても、かなり時間が掛かる。
とても仕事の合間に行ける距離では無い。
まぁ…それでも来てしまうのが、我が母だ。
「だって!私、ショウちゃんに会いたかったんだもん!ショウちゃんに会いたいってお願いしたら、みんな良いよって!」
「それは巴奥様が高名な陰陽師だからです。子供に会いたいと言ったら、大抵の者は反対できません」
そこら辺の通行人のようなラフな格好に、明るさマックスな性格。
初めて見た人が、母を陰陽師だと思う者は、果たしているのだろうか。
しかし、その実…俺の母である九十九神楽巴は、名実ともに、日本が代表するトップ層の陰陽師の1人。
多分、陰陽師で、俺の母を知らない者はいないのでは無いだろうか。
しかも、母は御三家である九十九神楽家の妻の1人でもある。
その者からのお願いなど、ほとんどの陰陽師にとって、命令に等しいだろう。
「もう…常さんたら、お固いんだから」
母さんは口をへの字にして、俺に向く。
「ショウちゃんだって、私に会えて嬉しいよね?」
「うん。おれも…かあさんに、あえて…うれしい。あと…かあさん、だいすき」
俺は今の気持ちを包み隠さず言う。
1回目の人生の俺なら、言わないであろう言葉を。
「………へ?」
巴母さんが俺を見て、固まる。
どうしたんだろう?完全な放心状態になった。
少しして、母さんは手をワナワナと震えさせる。
「……きゃ……きゃ…」
母さんが口から音声を出し始め、
「きゃああああああ!!!」
悲鳴のような叫ぶ。
母さんは目尻に涙を浮かべ、両手をはしゃぐ子供のように大振りに動かす。
そして、突進のように俺を抱きしめる。
母さんは俺の頭を抱え上げて、
「ウチの子、きゃわいい!!私、このままショウちゃんを仕事場まで持ってく!」
「勿論、駄目です」
婆やが、きっぱり反対する。
親とは言え、子供の俺の存在をこんなに想ってくれる。
息子の俺から見ても、巴母さんは親バカである。
だからこそ、1回目の人生の時は、気恥ずかしさから、母さんに本音を言う機会が全くなかった。
会えて嬉しいとか、大好きとか…そんな子供らしい言葉は言い難かった。
ギュ…。
俺は抱きつく母さんを抱きつき返す。
今考えたら、母親が親バカだから恥ずかしいと言う理由だけで、心の距離をとった自分が大馬鹿だった。
もし、1回目の時の自分が目の前にいたら、ぶん殴っていただろう。
実の母親が、いずれ"再起不能"になると分かっていたら、もっと母さんへの愛情や感謝の言葉を何度も伝えたはずなのに。
そうなのだ。
高名な陰陽師で、あんなに明るく元気な母さんは、"ある事件"がきっかけで、遠からず心が壊れ、廃人状態になるのだ。
思い出すのは、1回目の人生の時。
精神病院にいる巴母さん。
ベッドに座り込み、無表情の母。俺がどんなに話しかけても、何の反応も返ってこない。
どんな事をしても、母さんの落ち窪んだ目に光が灯ることも、『色』の抜けた顔に、『色』が塗られることは無かった。
俺は無力だった。
大丈夫だよ、母さん。
2回目は、そうはさせない。
俺、強くなって…母さんの『色』を、必ず守ってみせるから。
その後は、母さんが俺から離れるのに、時間が掛かった。
また仕事で、母さんは羽田空港まで言って、宮城県に戻る。
屋敷の門の前には、羽田空港まで送ってくれる車が止めてあった。
母さんほどの高名な陰陽師なら、政府から移動のサポートも手厚い。
「……ショウちゃん」
俺が婆やと共に、屋敷の門まで見送ったのだが、母さんが車のある場所まで少し進んでは振り返り、俺を寂しげに見る。
俺が婆やと共に手を振ると、母さんは嬉しそうに手を振りかえす。
だけど、また少し進んで、振り返り、お互い手を振る。
これの繰り返し。
何とか、母さんは車に乗ってくれた。
巴母さんを門まで見送って、部屋に戻るのに、相当な時間が掛かった。
「ぼっちゃま。巴奥様がお土産で持ってきた宮崎マンゴーを小さく斬って、お部屋に持って行きますね。チキン南蛮は……流石に、衣とソースが喉に詰まるので」
う……俺、チキン南蛮好きなんだけど。しかも、宮崎県発症のチキン南蛮なんて美味しいに決まってるじゃん。
でも…確かに、3歳など喉の詰まる危険性がある。
もっと大きくなってから、いつか食べよう。
俺が部屋に戻ると、座敷童子の紬さんが目につく。
そう言えば、紬さん少し前に何かを言いかけたな。
母さんが部屋に入ってきたから、中断されたけど、何を言うとしたんだろう?
「つむぎさん、さっきのはなしのつづき」
「………」
「つむぎさん?」
「………」
「反応しない」
「………」
紬さんはピクリとも動かず、何も話さなかった。
ただの物言わぬ人形となったようだ。
嘘?!あれで終わり!
あんな思わせぶりなこと言っておいて!
その後、婆やが持って来てくれた子切りにされた宮崎マンゴーを食べて、すっかり紬さんの言葉は忘れてしまった。
宮崎マンゴー…甘くて美味しいね。
次の日…紬さんは俺の部屋から、いなくなっていた。
夜中に人知れず、歩いて何処かに行ったようだ。
結局、俺がこの日以降に、紬さんと会話できるのは、かなり後になる。




