007犬神
年月というものは早いもので、俺が3歳の自分に戻ってから、一年以上の時間が過ぎていた。
俺は現在4歳になった。
勿論、今でも『周天巡霊』での、霊力鍛錬は毎日欠かさずやっている。
強くなり、みんなを守るためには、一日も休み暇はない。
少しでも、多く鍛錬をしておかないと、心が不安になるのだ。
もし、鍛錬を止めたら、また1回目の人生の絶望と同じ末路を辿るのでは…と。
でも、毎日の鍛錬のお陰で、一年以上前に比べ、霊力を全身に巡らす際の精密性と持続性が、かなり伸びた。
とは言っても、まだ1回目の人生の時の、18歳の自分には届いていない。
毎日鍛錬しているとは言え、4歳の体で18歳の自分に追いつくのは、大変であるのは心得ている。
早いとこ、1回目の自分に追いつきたい。
だから今日も頑張るのだ。
丹田にある霊力を心臓を使って、汲み上げ、それを全身に余す事なく、巡らせる。
無駄なことは一切しない。巡らせることだけに集中する。
日常生活の一部であるように。
呼吸をするのと同じぐらいに、霊力を動かす。
ヒュウウ…。
微風が吹く。
風が気持ち良い。涼しい風が俺の頬を撫でる。
今、俺は庭が見える屋敷の縁側にいる。
少し前に、鍛錬場所を自分の部屋から縁側に移した。
ここだと、頻繁に丁度良い風が流れてくるので、疲労の大きい『周天巡霊』には、持ってこいの場所なのだ。
「ふぅ…」
俺は息を吐く。
体は慣れたもので、今では集中さえ続けば、かなりの長時間、霊力を巡らせられる。
「あ…ああ……あう」
俺の横から言葉にならない声が聞こえる。
続いて、4歳の俺よりも幼い手が、俺の顔をペタペタと触る。
そう…集中さえ続けば、
「茉昼…集中したいから、今はそっとしてくれ」
「うう!おにぃ!」
俺は隣にいる2歳の女の子…茉昼の頭を撫でながら、静かにしてほしいと言う。
すると、茉昼は俺に構ってもらえたと勘違いしたのか、余計に俺へ甘え始める。
はぁ…困ったな。
我が母の娘でありながら、我が妹でもあるので、元気元気。
この子は、九十九神楽茉昼。
九十九神楽本家の第10子であり、俺の父と母である巴の娘。
つまり、真や澪といった俺の異母兄姉とは違って、茉昼は俺の2歳年下の同母兄妹。
全部黒髪の俺と違って、茉昼は巴と同じ髪の根本は黒だけど、髪先に行くにつれ、朱色になっていく。
巴と同じ琥珀色の目。
巴と同じで、元気いっぱい。
まさに、巴の娘といった容姿と性格である。
「きゃはは!あにぃ!」
その茉昼は、俺に構って貰いたいのか、『周天巡霊』をして集中をしている俺に、じゃれつき、全力で霊力の鍛錬を妨害する。
いつもは、婆やが茉昼の相手をしているのだが、今日は婆やは用事で外に行っており、屋敷の中で茉昼に構えるのは、俺しかいないのだ。
困ったものだ。
「おにぃ!おにぃ!」
「集中…集中…」
「あしょんで~」
「しゅ、集中!」
茉昼の妨害に、何とか負けじと集中して霊力を回す。
だが、茉昼に邪魔されて途切れる。
途切れても、また霊力を動かし直す。
そして、また茉昼の横やりが入る。
それを何度もしていると、
『無駄の少ない霊力の動きだ。よく洗練されている』
日の光を遮るように、大きな影が俺と茉昼を包む。
俺と茉昼の元に、一匹の大きな黒い犬。
「禍丸」
俺は、現れた犬の妖怪…犬神の名を呼ぶ。
俺の住む九十九神楽本家の屋敷には、番犬が一匹いる。
それが犬神である禍丸だ。
犬神とは、西日本に古くから伝わる犬霊の憑き物として知られる妖怪。
病気や災い、呪いを引き起こす妖怪と言われることが多いが、俺にとって禍丸は家を守る忠犬であり、立派な家族の一員だ。
禍丸は、子供である俺は勿論、大人1人分よりも、ずっと大きい。
子牛ほどの巨体。
大きな牙に、鋭い爪。
黒い毛は鉄の様な艶があり、光を吸っている。
目の上の額には、第三の目のような赤い紋様がある。
特に威圧もしていないのに、そこにいるだけで、圧倒的な存在感。
その瞳孔は鋭いが、俺達に向けられる視線は獰猛とは反対の、優しそうな感じを持っていた。
禍丸が縁側に座る俺にゆっくりと近づき、隣に座り込む。
『基礎的な霊力鍛錬の『周天巡霊』だな。その歳で、そこまで霊力を操作できるとは。誰にもできる事では無い』
「そ、そうかな」
『謙遜するな。宵明は良き陰陽師になるだろう』
禍丸は感心したように、頷く。
褒められた俺は照れを隠すように、頬を掻く。
4歳の俺が歳の割に霊力操作が高い理由は、一回目の人生の18歳までの経験分があるからなので。
褒められても、こっちとしては少しズルしている気分である。
「わんわん!」
妹の茉昼が禍丸を見て、琥珀色の目を輝かせる。
普通、こんなに大きくて、黒い犬がそばにいれば、怖がるはずなのだが。
我が妹ながら、怖いもの知らずである。
『しかし、妹に邪魔された程度で、霊力の操作を手放してしまっていては、まだまだ。宵明の”父”は、宵明の同じほどの歳でも、誰かに邪魔されたぐらいでは、霊力操作を途切れさせることは無かった』
父と聞いた途端、俺の顔が無表情に固まる。
「ああ…父さんね」
俺はどんな顔をしていいのか分からなかった。
父には複雑な想いを抱えているから。
それを敏感に感じ取った禍丸は、申し訳なさそうに頭を低くさせる。
『すまない。宵明の父のことは、この屋敷では禁句であったな』
「別に良いよ。俺…父さんのことなんて、全く知らないし」
禍丸の謝罪に、俺は気にしていないと答える。
でも、俺と禍丸の間に、少し重い空気が漂う。
ここ、九十九神楽本家の屋敷では、禍丸の言うように、俺の父の話題は露骨に避けられている。
まぁ…仕方が無い。
父は良くも悪くも………というか、悪い方一直線に、大きな影響を九十九神楽家へ与えたのだ。
「いぬさん!」
『む?こら、茉昼。私の毛は玩具ではない』
そんな思い空気なんて知らないとばかりに、茉昼は禍丸へ絡み始める。
面白いように、禍丸の黒い毛を引っ張り始める。
禍丸は絡む茉昼に困った顔をしつつも、構ってあげる。
ふぅ…茉昼のお陰で、重い空気は無くなった。
流石、我が妹。
そうだな、父親のことは何て気にせず、今は霊力操作の向上だ。
あの人のことを考えても、埒が明かない。
俺がまた『周天巡霊』をしようとしたら。
ゴロゴロ…ゴロゴロ…。
天が鳴る。
俺は空を見上げる。
そこには、禍丸のように光を閉ざす大きな黒があった。
俺が霊力の鍛錬をしていた時は比較的晴れていたが、いつの間にか、空には雷雲が掛かっていた。
禍丸も空を見上げて、
『ふむ…雨が降るな。それも大ぶりの』
ポタ…ポタ…ポタ…。
天から雫が徐々に、降り始める。
縁側の床にも、薄い染みを作り始める。
数滴が俺の頭に落ちる。
冷たい。
「おみず!」
「こら、茉昼」
茉昼が面白がって、雨に当たろうとしたが、風邪を引いてしまうので、俺は茉昼を下がらせる。
「部屋に入るか」
ここにいれば、雨に当たる。
そう思い、俺、茉昼、禍丸は部屋の中に入るのだった。
次第に、雫の頻度と量は増していき、数分後には、大粒の雨が降るのだった。
ザアアァァ!!ザアアァァ!!
巨大なシャワーを泣き散らしたような大雨が降る。
俺は茉昼を連れ、さっきまで居た縁側のすぐそばにある一階の茶の間にいた。
『天気は気まぐれ。時間が経てば、じきに止む』
禍丸は体を丸めて、畳の上に座り込む。
ピカカ……ゴロ!ゴロ!ゴロ!
雨だけでなく、雷も降り始める。
障子越しに凄まじい光が放たれたと思ったら、間髪入れずに鼓膜を破りそうな大音量が鳴る。
近くに落ちたな。
「うええん!!」
茉昼は泣きながら、俺の服を掴む。
禍丸には、恐怖は無かったけど、流石に雷は怖いのだろう。
雷が降るたびに、茉昼は体をビクつかせ、俺にしがみ付く。
「大丈夫。大丈夫」
俺は茉昼の背中をさすり、何度も大丈夫だと言い聞かせる。
まだ霊力の鍛錬が足りない。
出来れば、もっと『周天巡霊』をしていたい。
だけど…何だか、今日はもう鍛錬をやる気分が無くなった。
雨と雷で気分が乗らない。
大人しく、茉昼をあやして、婆やの帰りを待つか。
『………む。この気配と匂いは?』
その時、禍丸が片耳を上に立て、周囲を見渡す。
そして、訝し気な顔で立ち上がる。
その顔は、まさに番犬のものであった。
「どうしたの?」
『この屋敷に、何者かが侵入した』
「え?侵入?」
俺は首を傾げる。
この屋敷に侵入者はあり得るのか?
「屋敷には、侵入者防止の”結界”が常に貼ってあるよね?侵入なんて出来るの?…………まさか!結界が破られた?!」
九十九神楽本家の屋敷は、東京都内どころか、日本国内でも、比類なきほどの敷地面積と建築容積を持っている。
そして、その屋敷には、外敵を寄せ付けない大きな結界が張ってあるのだ。
結界とは、霊力で作る目に見えない境界線だ。
空間に膜や壁を貼り、内と外を分ける。
結界がある限り、外敵は屋敷に入れない。
禍丸の言う通り、屋敷に侵入者が入ったのが本当なら、結界が破られたと言うこと。
それは一大事。
けれど、禍丸は首を左右に振る。
『いや、結界は無事だ。しかし、この屋敷の結界は決して万能ではない。明確な敵を持った怪異や妖怪と言った外敵は拒むが、敵意の無く、力も弱い妖怪は通ることが出来る』
禍丸は脚で器用に、障子を開け、外を見る。
当然、外は土砂降り。
『雨に紛れて、弱った妖怪が一匹、屋敷に入り込んだか』
禍丸は鼻をピクピクさせる。
恐らく、侵入した外敵の位置を探っているのだろう。
禍丸の周囲の空気が張り詰める。
禍丸は屋敷の番犬。
家の中に侵入した敵を探り、捉えるのが自身の任務と言わんばかりの鋭い雰囲気。
『匂いは………こっちだな』
禍丸は部屋を出て、廊下に行く。
匂いの元を辿るために、廊下をさらに進む。
俺は、つい気になって、禍丸に付いていくことにする。
勿論、茉昼は置いていこう…………としたけど、
「や」
茉昼が俺の服を掴んで離そうとしなかった。
禍丸が言うには、侵入したのは弱い妖怪そうだし、禍丸もいるから大丈夫か。
仕方なく、念のために茉昼を後ろに隠しながら、禍丸の後ろを付いていく。




