41生徒
変な餓鬼が来た。
潤一平は、自身が経営する鈴木事務所の一軒家のリビングに置いてあるソファで寝転びながら、そう思っていた。
今日は事務所仲間である小野寺夫婦が、依頼されていた怪異討伐に出ており、他の仲間は非番。
潤一平は、依頼が来た時のために事務所待機である。
とはいえ、開いて半年の事務所に依頼など、早々来ない。
留守番という名の休暇を事務所でしていたのに。
急にインターホンが鳴るや否や、出てみれば、黒髪に金色の目をした4、5歳ぐらいの餓鬼がいた。
しかも、自身を先生にして教えを請いたいと言ってきた。
事務所を経営して半年経つが、何回かピンポンダッシュのように、ああいった類の悪ふざけをする餓鬼が来たのだ。
当然また、冷やかしだと思ったから、まともに相手にしなかった。
こういうのは、相手にしないが一番良い。
ところがどうだ…窓で時折外を見ていたが、あの餓鬼は、ずっと事務所の前にいやがる。
しかも、近所の人達が不審に思って集まってきていた。
流石に、不味いと思い、稽古を付けてやると言って、裏手の庭に連れて行く。
そして、素振り一万回やれと言った。
まぁ…当然出来るわけない。
一万回なのて、俺でもキツイ。
これは、餓鬼をさっさと帰らせるための、口実だ。
あの餓鬼も、諦めて直ぐ帰るだろ。
その時、事務所の扉が開く。
「帰ったよ、潤ちゃん。てか…外のいる人達、どうしたのよ?」
「なんだか…この事務所見て、噂話立てていましたね。潤さん、何か知っていますか?」
事務所に入り、潤一平のいるリビングに来たのは、二人の人物。
顔つきはキリッとしていて、気の強そうな感じの女性と、眼鏡をかけて、引っ込み思案そうな男性。
この2人は、小野寺夫婦である。
妻の小野寺千景。
夫の小野寺理人。
潤一平の一つ下の27歳であり、元は警察官だった2人である。
潤一平が事務所経営するタイミングで、警察官を自主退職して、ここに来た。
「ああ…知ってる。少し前に、変なガキンチョが来たよ。2時間以上も、俺の事務所の前で居座りやがって。それで、噂になったんだ」
「ガキンチョ?子供来たの?」
「そうだ。今、裏手の庭で、素振りしてるガキンチョだ」
それを聞いて、千景は持っていた荷物を置き、リビングからテラス窓に行って、庭を見る。
「え?本当に子供がいる!どこの子?」
「知らん。先生になってくださいとか、意味の分からねぇこと言って」
「だ、大丈夫なの?下手したら、未成年の誘拐とかなったら!」
千景が元警察の立場から懸念を口にする。
潤一平はソファに寝転びながら、手を振る。
「平気だろ。どうせ、ただの冷やかしだ。物置にあった衝撃計測器に10点を、霊力なしで一万回叩き出せと言ったから、すぐに諦めて帰るだろ」
「一万回?!」
「あの衝撃計測器で10点…あの歳の子供でも、一回出すのも大変でしょうね。しかも、霊力なしとは」
千景は一万回という回数に驚き、千景に釣られて庭を見ていた理人は、10点は厳しいと呟く。
「まぁ、10点を一万回なんて出来るわけねぇな。だから言ってるだろ、すぐ帰るって。ふぁ……」
潤一平は大きく欠伸をかいて、そのままソファで眠りにつく。
寝て起きた後は、餓鬼もいなくなっているだろう。
そう思っていた。
「………ん!……ちゃん!……潤ちゃん!」
「……さん!………んさん!…潤さん!起きてください!」
心地よく寝ていたのに、2人の声に止まなく起きることになった。
潤一平は半目になり、千景と理人を睨む。
「…たく、なんだよ。寝てたのに」
「あの子、まだ素振りしてるんだけど!」
「かなり疲弊してる様子ですが、ずっと木刀を握ってます」
「はぁ?!」
潤一平はソファから勢いよく起き上がり、テラス窓に行って庭を見る。
なんて、件の子供は、未だに素振りをしていた。
ふと、時計を見ると、ソファで寝る前から2時間経っていた。
つまり、2時間も素振りをしていたことになる。
潤一平は急いで庭に行く。
『宵明、もう辞めようよ。手…豆だらけだし。一万回なんて、どう考えても無理』
素振りをしている餓鬼のそばで、猫…いや、尻尾が二つあるから猫又か…猫又が涙目になって、素振りを止めようとしない餓鬼を不安そうに見ていた。
そういや、この事務所を餓鬼が訪ねた時にも、そばにいたな。
餓鬼の式神か?
餓鬼の方は一心不乱に、全身汗まみれで木刀を振っているが、明らかに最初に見た素振りの勢いは無くなっている。
それでも、木刀を離そうとしない。
「おい」
潤一平は声をかける。
潤一平が庭に現れたことに、餓鬼が気付き、素振りをやめて、直立不動の姿勢になる。
「先生!」
こちらに向かって、先生なんて言ってきた。
見れば、衝撃計測器は306という数字を記録していた。
この衝撃計測器での、10点は、幼い子供なら、全力を出して、叩き出せるかどうかの数字だ。
それを、この餓鬼は10点以上の威力の素振りを、306回も記録させたんだ。
普通、100回行く前に、腕が駄目になるだろう。
そう思って、餓鬼の手を見ると、豆がいくつも出来ており、水膨れもあり、少し血が滲んでいた。
両腕も震えている。
どれだけ、木刀を握っていたんだ。
潤一平は改めて、餓鬼……宵明の顔を見る。
その顔には、この事務所を訪ねてきたのと同じ、決意と覚悟の色があった。
ここで初めて、潤一平は宵明が生半可な気持ちでここに来たのではないと思い知る。
なんて面倒な。
ただの冷やかしなら、どれだけ良かったか。
耳の裏をかきながら、潤一平は問う。
「なんで、そこまでする」
「強くなるためです!」
迷わず答える。
「何で強くなりてぇ?」
「家族を守るためです!」
これも迷わず答える。
家族を守るため…その言葉に妙な重みを感じた。
まるで、これから家族に危険が訪れるのを分かっているかのような。
突っぱねるのは、簡単だ。
しかし…これほど、決意と覚悟が固まった子供を、本当に、追い出していいのか。
「潤ちゃん…」
「潤さん…」
ふと…見れば、テラス窓から、ジッと潤一平と宵明の様子を、千景と理人が見ていた。
2人とも興味深そうな目で見ていた。
なんだ、その目は。
潤一平は大きな深呼吸を数度繰り返す。
そして、心の準備をする。
目の前の子を、生徒にする心の準備だ。
「はぁ…分かった。……………今日から俺が、お前にいろいろ教えてやる」
「ほ、本当ですか?!」
「ああ…これから、お前は俺の"生徒"だ」
それを聞いた瞬間、宵明の顔が喜びに満ちる様子が見せとれる。
「ただし、もう嫌だとか…一回でも言ったら、お前の先生止めるからな」
「分かりました!よろしくお願いします、先生!」
『やったね!宵明!』
宵明と福丸が一緒に喜び合う。
先生ねぇ…何だか、悪くない単語だ。
内心、厄介な餓鬼を生徒にしてしまったと。
「お前…名前は?」
「宵明です!宵の明星の、宵と明です!」
「そうか、宵明か」
後に…潤一平は、本当に厄介な者を生徒にしたと…思うのだった。
それが後悔なのか、呆れなのか…それとも、嬉しさなのか。
今の潤一平は、まだ知らない。




