010二番目の妻
現れたのは、一人の女性。
「匠…何処に行っていたかと思えば、こんな所にいたのですか」
匠と同じ薄金色の髪をきっちりと結び、御団子のようにした髪型。
きっちりと和装を着ており、身なりをきっちり整えている。
実年齢は、30代前半のはずだけど、失礼だが…もっと老けて見える。
白髪も少しだけ生えているし、神経質そうな顔つきが余計に若く見えづらくさせている。
「母上」
匠が女性を見て、母上と言う。
そして、心なしか、匠の表情に若干の影が差したように見える。
心の感情を抑えたような。
母上と呼ばれた女性は婆やの前に、ゆっくりと来て、匠を後ろに隠す。
「匠には、私が決めた食事があります。使用人の立場で、勝手に別のものを食べさせないでください」
「は、はい!申し訳ございません、幸子奥様!」
「大体…食事に、そこら辺の米を握ったものを出すとは何事ですか。陰陽師の名家として、九十九神楽家の子として、匠に食べさせるものは、霊米に決まっています」
「おっしゃる通りで」
口元の扇子を当て、苦言を放つ幸子奥様と呼ばれた女性。
婆やは何度も謝るだけ。
謝ることしか出来なかった。
別に、婆やに落ち度があるとは思わない。
けど、使用人の婆やの立場からしたら、相手は反論の余地も許さない程の身分の人であるので、謝るしかないのは当然か。
この人は、九十九神楽幸子。
俺の父の二番目の妻。
匠が、さっき幸子を母上と言った通り、幸子は匠の母親である。
俺の母である巴と同じく、この人も陰陽師。
とはいえ、フレンドリーな巴母さんと違って、幸子の方は非常に固い印象を持つ。
幸子は元々、九十九神楽本邸のある東京に存在する陰陽師名家の娘であったはず。
正直、俺は幸子の実家の事に関しては、詳しく知らない。
俺自身、一回目の人生では、余り幸子と関わらなかったし、関わりたくなかったからだ。
九十九神楽家を除けば、東京において、かなり格式の高い家であるのは記憶している。
俺が、ぼんやりと幸子を見ていると。
ジロ………、
「!」
幸子が俺を鋭い目つきで睨んでいた。
俺は息を飲む。
けれど、それは僅か数秒。
「匠、行きましょう」
「はい、母上」
そして、匠の手を取り、ここを離れようとする。
匠に抵抗は無い。
幸子の言葉に、匠は容易く従うのみ。
「………」
その光景を無言で見て、俺は何だか思うところがある。
子供が母親の言葉を素直に聞くことは、特別違和感の無いことである。
けど、なんだか匠が幸子の操り人形……までは言い過ぎであるが、幸子に従う匠には、意思が無いような…そんな感じがするのだ。
チラ…。
離れていく二人だったが、幸子の手を引っ張られた匠は、一瞬だけ後ろを振り向き、俺を一瞥する。
無表情の匠の顔からは、何かの意図を読み取ることは出来なかった。
二人がいなくなってから、
『何なの、あの人?随分厳しめな人だね』
福丸が煮干しを口に含みながら、幸子の第一印象を言う。
俺も腹が減ったので、取り敢えず婆やが用意した御握りを食べる。
うん、美味しい。匠も、これを食べられないのは残念だ。
「もぐもぐ」
茉昼は2歳ゆえに、さっきのやり取りが分からないのか、婆やからのお粥を美味しそうに食べている。
『ところで、さっきあの人が言ってた霊米って何?』
福丸が霊米について聞く。
「福ちゃん、霊米と言うのは、霊力が豊富になる地で育った米のことですよ」
婆やが茉昼にお粥を食べさせながら説明する。
この世界では、あらゆるものに霊力が満ちている。
無機物の物にすら、微量に含まれており、当然…土壌や、その土壌で育った植物にだって含まれている。
けれど、その土壌に含まれる霊力にも、濃淡がある。
特に、妖怪が多く存在する山奥や古くから建てられている神社の周辺では、東京のような都会と違って、土壌には多くの霊力を含んでいる。
そして、その土壌から採れた食物には、他の食物よりも多く霊力がある。
霊米が、その一例だ。
大昔から陰陽師家では、ゲン担ぎとして、霊米を食べる習慣がある。
それだけで無く、霊米には幼い頃から子供に霊米を食べさせると、その陰陽師は大きくなるころに、強力な霊力を持つと言う逸話がある。
『え?じゃあ、宵明が霊米を食べれば、強くなるってこと?僕も強くなる?』
「いいえ、霊米を食べれば強くなるというのは、実際のところ、殆ど迷信です。食べれば、少し霊力が安定しますが。効果はそれぐらいです」
婆やが否定する。
霊米には、その日の霊力操作を少しスムーズにする効果がある。
だが、ハッキリ言って、それ以上のものは無い。
昔から霊米を食べると、強くなると言われているが、明確な根拠も無いのだ。
そもそも米程度で、強くなるなら、誰も苦労しない訳なのだ。
と言っても、古い仕来たりを持つ陰陽師家…特に、幸子の実家のような現代科学を軽視する家には、今も子供に霊米を食べさせる習わしがあるのだ。
『そうなんだ。まぁ…僕には、煮干しさえあれば十分だけどね』
福丸が煮干しを頬張り、リスのように頬に蓄える。
茉昼が面白がっている。
福丸は本当に煮干しが好きみたいだ。
『でも、あの人…なんか、宵明のこと…睨んでなかった?宵明のこと、嫌いなの?』
どうやら、福丸はここから立ち去る際の幸子が数秒だけ宵明を睨んでいたことが気になるようだ。
これを聞いた婆やは気まずそうな顔をして、俺を見る。
「嫌いと言いますでしょうか。ぼっちゃまと匠様……と言うか、お二人の母様は、よく比較をされることが多いのです」
婆やは言い辛そうにする。
『比較?』
「ぼっちゃまの母様である巴奥様と、匠様の母様である幸子奥様は同じ陰陽師。しかし、幸子奥様が陰陽師の名家出身である一方、巴奥様は一般家庭出身なのです」
そうなのだ。
俺の母さんは、一般家庭でありながら、誰もが知っている陰陽師であるのだ。
それは一重に、母さんの天才性ゆえ。
『一般家庭出身だと、何かあるの?』
「はい。高名な陰陽師と言うのは、名家出身の人が多く、昔から一般家庭出身の陰陽師は軽視されがちなのです。けれど、問題は巴奥様が名実ともに、とても優秀な陰陽師であり、多くの陰陽師や一般の方から信頼と憧憬を得ていることです」
『宵明のお母さんって、凄い人なんだね』
確かに、俺の母さんは凄い。
一般家庭の出身であるのに、トップクラスの陰陽師。
さらに、フレンドリーな性格なので、たくさんの人から好かれている。
同じ妻でりながら、昔からの仕来たりを重視する名家出身の幸子からしたら、面白くないことだろう。
「俺と匠兄は、同じ日に生まれたからね。双子のようなもの」
俺と匠は母親が違う異母兄弟でありながら、同じ日を誕生日の持つ者同士。
ほんの少しの生まれた時間が違えば、俺が兄であり、匠は弟になっていたかもしれない。
比較されることが多い妻同士の子供が同じ男児。
そして、同じ誕生日。
だから、いろんな意味で、幸子は俺を意識してしまうのだろう。
実をいうと、俺も一回目の人生では、よく匠を意識していた。
『人間って、大変なんだね』
他人事のように、また煮干しを食べだす福丸。
呑気だな。
まぁ…妖怪の福丸にとっては、俺と匠の関係など、些細なことなのだろう。
俺は再び、婆やが用意した御握りを食べ始める。
「ごちそうさまでした」
「ごちそさま!」
『煮干し美味しかった』
俺、茉昼、福丸はお昼ご飯を食べ終える。
さてと、俺もまた霊力鍛錬をしないとな。
匠に、先を越されるかもしれない。
俺が体を解すために、腕を回していると、
『………ん?』
突然、福丸は髭をピクピク動かし、周囲を探る。
何度か部屋の中を見回す。
そして、段々と険しい顔つきになる。
福丸は、俺に言い寄る。
『この感じ…………宵明、近くに怪異がいる!』
そう言い放った。
今日は、穏やかに終わりそうも無いみたい。




