第3話
「どうしよう、一颯君……」
愛梨は一颯の上に乗ったまま、自分の胸を両手で抑えつけた。
布地を押し上げていた膨らみが、僅かに潰される。
「胸のドキドキが……止まらないの」
「……愛梨」
肌を赤く染め、瞳を潤ませながら、愛梨はゆっくりと一颯の顔を覗き込む。
赤くふっくらとした唇が、一颯の唇へと近づく。
「一颯君……」
どこか熱の篭った声で、一颯の名前を呼ぶ愛梨。
「愛梨……」
そんな愛梨に対して、一颯は……
「無理があるぞ」
冷静な表情でそう言った。
ビクっと、愛梨の表情が一瞬だけ引き攣る。
「冗談でこんなこと、言うと思う?」
「うん」
「そんな……」
「だって二番煎じだからな」
ついさっき、一颯が愛梨にやってみせたばかりだ。
それをそのままやられても、一颯に通用するはずがない。
「……ない」
「ん?」
「つまんない!」
愛梨は叫ぶようにそう言うと、不機嫌ですと主張するように頬を膨らませて見せた。
そして一颯の胸板を軽く両手で叩く。
一颯に良いようにやられ、やり返したにも関わらず、失敗した。
それが恥ずかしいのか、それとも自分の思い通りに進まなかったことが面白くないのか……
駄々っ子のように愛梨は「つまらない」と一颯に文句を言いながら、一颯の上で貧乏揺すりをする。
「嘘でも騙されておくものでしょ! 私だって……」
「いやぁー、申し訳ない。愛梨さんのように、演技が上手じゃなくてさぁー」
一颯は意地悪く笑う。
「俺のことが好きだってのはともかくとして、その前のやつは中々の名演技だったぞ。てっきり、俺の言葉を本気にして、照れてしまったのかと……騙されかけたよ」
カァァァァッ
っと、愛梨の顔が真っ赤に染まる。
やはり照れていたのは本気だったらしい。
それを誤魔化すため、全部演技ということにしようとしたのだ。
「て、照れてないし! 全部演技! あ、あんな安い言葉で私がどうこう、なるわけないじゃない!」
やはり演技ということにしたいらしい。
だが、顔を真っ赤にして、必死に否定されても、説得力がない。
「だ、大体、キスくらいどうということもないし! したいならすれば?って感じ。ま、まあ、むっつりスケベな一颯君にとっては別なのかもしれないけれど……」
「どうということもないなら、やってみたらどうだ?」
「えっ……」
一颯の言葉に愛梨は固まる。
調子を良くした一颯は、ニヤっと笑みを浮かべた。
「俺は別にどうということもないが。お前もどうということもないなら、できるよな?」
どうせできないだろうな。
と、そう思いながら一颯は愛梨を挑発する。
一方の愛梨は……一颯の予想通り、目を逸らした。
「い、いや……確かにどうということもないけど。だからといって、気軽にするものでもないし……」
「ふーん」
「あ、分かった。そういう作戦なんでしょ? むっつりスケベだなぁ、一颯君は……」
「まあ、お前がどう捉えるかは、お前の勝手だけどな」
俺がお前についてどう捉えるかも、俺の勝手だけど。
という意図を込めて、一颯は愛梨にそう言った。
すると愛梨は一颯から顔を背けた。
その横顔は、耳まで真っ赤に染まっている。
「じゃ、じゃあ、一颯君がエロガキってことで解釈するけど……」
そこまで言いかけてから、愛梨はギュっと、一颯の服を強く握りしめた。
そして一颯の顔をキッと睨みつける。
「お望み通り、してあげるわ」
「……別に無理しなくてもいいんだぞ?」
「何? 怖気づいたの?」
顔を真っ赤にしたまま、ニヤっと愛梨は笑う。
押せば一颯の方が引くと思っているようだ。
しかしここで引けば一颯の“負け”になる。
「まさか! お前とのキスなんて、どうということはない。……前回もそうだった」
「ふ、ふーん……じゃ、じゃあ、するけど。いいの?」
「最初からそう言っているだろう?」
「そ、そう? じゃあ……するから。動かないでね。目も逸らしちゃダメだから。……ちょっとでもそういう素振り見せたら、本当は嫌だと判断するから」
「前置きが長いな。本当は嫌なんじゃないか? 別に無理をする必要はないぞ?」
「何? 怖気づいたの? 言っておくけど、私にとっては、どうということもないから」
「なら、早くしろよ。あと……お前も目は逸らすなよ? 逸らしたら、恥ずかしがってると判断するからな?」
「わ、分かっているわよ。……目も、瞑っちゃダメだからね!」
「お前もな!」
「す、するわよ!」
「しろよ!」
一颯が怒鳴るように叫ぶと……
愛梨は意を決したように、ゆっくりと顔を近づけてきた。
その妖精のように可愛らしい容姿、ふっくらとした官能的な唇が近づいてくる。
一颯は碧い宝石のような瞳から目を逸らさず、じっと見つめる。
愛梨もまた、決して目を逸らさない。
瞳孔の中に一颯の顔が映り込む。
そして……
ガチャッと。
ドアノブを捻る音がした。
「愛梨ちゃん! 一颯君! ケーキ買ってきたんだけど……」
一颯と愛梨は一瞬、硬直し……
そして声のした方を揃って向いた。
そこにいたのは愛梨と同じ髪色の女性。
愛梨の母親だった。
彼女もまた、一颯たちと同様に口を開けたまま固まり……
「……ごめんなさい」
ドアを閉めた。
一颯と愛梨は思わず顔を見合わせた。
愛梨の顔はやはり真っ赤で……
そして一颯の顔もまた、気が付くと熱くなっていた。
「……ごめん」
いそいそと、愛梨は一颯の上から退いた。
それから気まずそうに顔を背けた。
「いや……俺が悪かった」
一颯もゆっくりと、起き上がった。
思わず自分の頭を手で掻く。
しばらくの沈黙。
そして……
「「あの……」」
声が重なる。
余計に気まずくなる。
「……そ、その、どうぞ」
「いや、愛梨から……」
「た、大したことじゃないから……」
「俺もそうだが……」
しかしこのまま譲り合っても埒が明かない。
「……仮にどうということはなかったとしても」
「うん」
「気軽にして良いものではないな」
「そ、そうだね。うん、私もそう思う。……風邪を引いたりしてたら、うつっちゃうしね」
「虫歯もうつるらしいからな」
「うんうん。極力、するべきじゃないわ」
「そうだな、うん。仮に好きであっても、するべきではない」
「そうよね! キスなんて、どうかしていると思うわ!」
「ただの唾液の交換だしな」
「何の意味もないものね。不衛生なだけ!」
キスなんてするもんじゃない。
そういうことになった。
もっとも、それからしばらく、二人は互いの顔を見ることができなかった。
そして一颯が帰った後のこと。
「ああ! ダメ、読めない!!」
バタン! と愛梨は少女漫画――クラスメイトから借りた物――を前にして顔を覆った。
借りたからには最低限、一巻は読むのが義理だと考えていたが……どうにも先が進まない。
「ああ、もう……」
愛梨はそっと指の隙間から、開いているページへと視線を向けた。
そこは丁度、女主人公が、幼馴染の青年から壁ドンで接吻を迫られているシーンだった。
青年はどこかで聞いたことがあるような――それもついさっき――台詞を、女主人公に吐いていた。
「こ、こんな恥ずかしいこと……書く方も、読む方も、実際にやる人も、どうかしてる!」
愛梨は顔を背け、目を瞑りながら漫画へと手を伸ばし、バタッとページを閉じた。
そして上がった動悸を治めようと、深呼吸をする。
気が付くと愛梨の顔は真っ赤だった。
「い、イライラする……!」
愛梨は悔しそうに表情を歪めた。
一颯にしてやられたことが、どうしても許せない。
自分に恥を掻かせておいて、飄々とした態度をしていた一颯が許せない。
「……むしゃくしゃする!」
だから、そう――
これは別に一颯を、幼馴染を男性として意識してしまったわけじゃない。
漫画の中の登場人物に、自分と幼馴染を重ね合わせてしまったからでもない。
――恋とか、そんなものでは、断じてない。
「この恨み、はらさでおくべきか……とりあえず、童貞が好きそうな漫画やラノベでも漁ろうかしらね」
仕返し計画を愛梨は練り始めるのであった。
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