涙
よく朝、私はお腹が減って目を覚ました。
「アン、お腹すいたよー。
ケーキ。ケーキが残っていたよね」
「ナナさま、ケーキは日持ちが致しません。
昨夜の分でしたら、その日のうちに使用人に下げ渡しております」
「嘘でしょう?
昨日は1個しか食べていないのに。
お腹すいたー」
「ですからきちんとお食事をするように申しましたのに」
「だってケーキが食べたかったのだもの。
朝ごはんまだかなぁ?」
アンはにっこりと笑って言った。
「今朝はセレスタイト様が、ご一緒にと仰せで、次の間でお待ちですよ」
「セレスが一緒なのね。すぐに用意しなくては!
アン、私はエンパイアスタイルの簡単な服がいいの。急いで頂戴」
「そんなに焦らないでも、セレスさまは待って下さいますよ」
私は鏡で自分の姿をチェックした。
柔らかい薄い水色のエンパイアドレス。結構可愛いと思う。
「セレス。お待たせ」
「ナナ。おはよう。よく眠れたのかな」
「眠れたなんてものじゃないの。
昨日はケーキを食べる途中で寝ちゃって、ケーキ1個しか食べてないの」
「おや。ナナがケーキよりも睡眠を優先するなんて。
やはり魔力にあてられた影響かもしれないね]
そしてセレスは眉をひそめた。
「ナナ、何かあったようだね。
指輪が使われた形跡がある。
何かを取り込んだようだ」
私は驚いてリストを表示した。
リストの一番上に、拘束した男(処罰済み)とある。
処罰済みって、かなり怖い言葉なのですけれど……。
大慌てで、その拘束された男とやらを取り出す。
カチカチに固まったままの男の人が転がり落ちる。
私は思わず悲鳴をあげた。
セレスが私を抱きしめて何かを言っている。
それでも私の悲鳴はとまらない。
セレスが困った顔で見ているのは、わかっているのに、パニックの陥っているのだ。
叫び続けていると、私の口を何かが塞ぐ。
苦しい。息が出来ない。
そうしてようやく、私はキスされていることに気がついた。
慌てて頭を振ると、セレスは私が窒息しそうになっているのに気がついたようだ。
そっと口から離れてくれたので、私は大急ぎでゼイゼイと息をした。
「ナナ、どうやったらキスで窒息しそうになるのだ。
普通は鼻で息をするものだろう?
いや、それ以前にどうやったらそこまで悲鳴をあげる事が出来るのだ。
すぐに防音の結界を張ったから良かったものの、そんなに悲鳴をあげたら警護の者が飛んでくるぞ」
そこに、おっとり刀で警護の騎士が駆け付けた。
「何かございましたか?」
「ネズミ捕りにネズミが掛かったようで、姫が取り乱した」
騎士はカチコチに固まった男を見た。
「これは……」
「ナナ。お前の指輪をこちらへ」
私は大慌てで指輪を抜き取ろうとした。
捕まった男(処罰済み)なんかが入っていた指輪なんて、もう絶対に付けたくない。
指輪を外すだけのことで、震えている私をセレスはますますこまった顔で見ている。
そしてセレスが指輪を抜き取ってくれた。
その指輪をポイっと騎士に渡す。
その時には、いつの間にか騎士たちの姿が増えていた。
「この指輪は、なんとも酷い代物ですな。
悪意を持って触れると。相手を呪縛してしまう。
こいつに許されているのは、呼吸ぐらいのものだ。
おや、この男、指先のほとんどが焼けただれて炭化していますが?」
セレスは更に嫌な顏になる。
「多分警護の者が処罰したのでしょう。
うちのメイドは警護が専門なので」
「申し訳ありません。私がその男の指先を焼きました。
指輪が男を取り込む前に。
ナナ様に触れたのです。その男は!
大丈夫です。処罰は実際に男がナナ様に触れた部分だけに致しましたから」
それを聞いてセレスがやっと笑った。
「さすがにアンだ。よくやってくれた。
騎士殿。そう言う事らしい。事情はこのアンが知っているようだ。
聴取するなら、ここで行って欲しい。
なにしろアンは、私の大事な部下だからな」
セレスがそう言った時、アンの目に狂気じみた喜びが走ったのを私は見逃さなかった。
アン、恐ろしい子。
私を大事にしてくれる気持ちは本物だろう。
でもそれはセレスが望むからだ。
もし、セレスがそれを望めば、アンは躊躇なく私を目の前の男と同じ目に遭わせるだろ。
異世界にきて恐怖を感じたことは無かったが、今は震えが止まらない。
私がいつまでもガタガタと震え続けるので、セレスは私を抱き上げた。
「そいつを、持ってさっさと引き上げてくれ。
姫が怖くて震えているではないか」
騎士たちが、さっと男と指輪を持って退去すると、隊長らしい男がアンに尋ねた。
「詳しいお話をお聞きしても?」
セレスが私を抱いて部屋を出ようとするのを、私は引き留めた。
「ナナ。聞けば更に怖くなるだろう?
後の事は任せておきなさい」
「嫌、聞かないとずっと色々想像してもっと怖くなるもの。
お願い。私、知りたい。何があったか」
セレスは私を抱いたまま、アン達の近くの椅子に腰かけた。
言葉は聞こえる。けれど表情は見えない。
そんな抜群の距離感で。
きっと今の私は、アンの表情ひとつを色々な意味にとってしまう。
とてもナーバスな状態だから。
騎士とアンのやり取りが、まるで遠い世界の事の様に思える。
アンは最初から知っていた。
私に危害を加えよう。正確に言えば攫おうとしている男が居る事を。
メイドのイータが襲われた。
イータの異能は現身。
自分の影を自分の様に見せかけて、本体は影に潜むことが出来る。
だから男はイータを殺したと思い込み、イータになりすました。
そしてシータに命じて私に眠りクスリを飲ませたのだ。
理由はセレスがそう望んだ。
それだけで、メイド達は疑問を持たずに素直に従う。
そう訓練されているから。
今回は、あえて男を泳がせた。
私を狙う理由が知りたかったから。
そこまで聞いて、セレスは立ち上がり部屋をでてしまった。
男が私を攫う理由を聞かせたくないのだ。
きっとろくでもない理由だから。
気がつくと私は、涙をぽたぽたと落としていた。
気が緩んだのだろう。
セレスの腕の中で安心したのかも。
そう自覚したら、もう止められない。
わぁーん、わぁーん、と赤子の様に泣きだしたから、セレスは本当に狼狽した。
大人になって声をあげて泣き出すなんて思いもしなかったに違いない。
そこにエルフェンリートとシャアが駆け付けた。
私が襲われたと聞いて、駆け付けてくれたのだろう。
そしてわんわん泣く私と、困り果てて赤子をあやすように私を抱いて、ウロウロするセレスと出会ったのだ。
セレスは、助かったとばかりに、二人に言った。
「すまん、こいつの泣くのを止めさせてくれ。
どうしたらいいか分からんのだ」
ふたりとも腰が引けている。
「無理だよ。女の泣き止ませ方を知るほど、僕は老獪じゃない」
エルフェンリートは逃げた。
「俺だってわかるかよ。無事でよかった。じゃぁな」
シャアも逃げた。
残ったのは泣いている私だけ。
「ねぇ、ナナ。どうしたら泣き止んでくれる?
そうだ、よし。スイーツ食べ放題はどうだ?
チョコもケーキも好きなだけ」
私は頭を振った。
どうして泣いているか自分でも分からない。
それなのにどうやって泣き止めばいいの?
涙はあとからあとから落ちてくるのに。
セレスは覚悟を決めた顔になって、私を自分の部屋に連れていった。
そして自然に涙が枯れるまで、ただ黙って寄り添ってくれた。
セレスは何も出来なかっただけかもしれないけれど、私にはその沈黙と寄り添う体温が何よりも必要だった。
ヒックヒックと涙は少しずつ収まり、私はセレスにもたれ掛かったまま眠ってしまった。




