皇后陛下の罠
皇后宮は、豪華ではあったけれども、どこか懐かしい気持ちを呼び起こすような素朴さも兼ね備えていた。
そこかしこで頭を下げて見送ってくれる人々の視線も優しいものだったから、きっと皇后陛下は優しい方なのだろうと思って心を引き締める。
本当に優しい人というのは、じつは強い人だ。
人を守り優しくあろうとすれば、強くなければならないから。
皇后陛下も、その強さで周囲の人を照らして来たのだろう。
私は自分の弱さをよく知っているから、お会いするのがすこし怖くなっていた。
昼食会の部屋は、とてもこぢんまりとしていたし、まるでそこが小さな家庭の食卓ででもあるかの様に、全ての食事が並んでいた。
しかもあろうことか、皇后陛下自らお茶を入れていたようだ。
陛下は御茶を入れながら、私たちを振り返り、自然に迎えてくれた。
「疲れたでしょう、ナナミ。
さぁ、座って頂戴。
好みが分からないから、自分の好きなものを準備しちゃったの。
今度はナナミも、好物を教えてね」
私は、自然にこう答えていた。
「はい。お母さま」と。
その言葉に、皇后陛下はにっこりとほほ笑まれて、私達に座るように促した。
そうしてお茶をサーブしながら、リーゼロッテに言う。
「ロッテ。貴方がナナミの専属侍女を引き受けてくれて助かったわ。
エーテル公爵家は、代々人心掌握に長けていますからね。
多分ナナミも社交は苦手だと思うの。
社交については、ロッテにお任せするから、サポートではなく、自分が主のつもりでやって貰って結構よ。
ナナミもそれを望むでしょう?」
社交。そんなこと考えたことも無かった。
「はい、お母様。勿論ですわ。
ロッテ、全てあなたにお任せするわ。
社交は、最低限。
できれば全く社交界に出なくてもいいくらいよ」
「まさかそんな訳にもまいりませんが……。
陛下。異世界の方はみんな、このように人見知りなのでしょうか?」
「よく分からないけれども、そうみたいね」
「少しお待ちください。
過去にも異世界人が、皇家に迎え入れられたと聞いております。
その際に異世界人取り扱いマニュアルが、作られているのではありませんか?」
私の疑問におふたりは、きまり悪そうな顔をする。
やっぱりそうなのだ。異世界人マニュアルは存在する。
「マニュアルと言う程のものではないのだけれど。
ソラが皇家に迎え入れられた時、真っ先にソラに仕えたアローというソラと同じ年の子供がいたの。
ソラと共に成長して、クロイツ伯爵家を興した人物なのですけれど」
皇后陛下の言葉をロッテが引き取った。
「そのアローが日記を残したのです。
ソラ皇子との出会いから始まって、ほとんどソラ皇子の観察日記のようなものなのでした。
ソラの言動は私達から見ると、どうして?と思う事が多かったのですが、アローもそう思ったのですね。
そのうちに、それがソラの取り扱い説明書みたいな記録に変化していました。
あまりにも面白かったのでクロイツ伯爵家が、それを『異世界人取り扱いマニュアル』として販売したところ、空前の大ヒット作になり今でも読み継がれています。
それでナナミ様が皇家にお入りになることが決まったとき、異世界人は本当にソラ皇子と同じような行動をするのか、みんな興味津々なのです」
私はがっくりと肩を落とした。
たったひとりを、異世界人代表の様に思われても……。
「もしかして、そのソラ皇子も社交が苦手で、お風呂が大好きだったのですか?」
「そうよ。
別にソラ皇子とナナミ殿下を、同一視しているつもりはなかったのだけれど」
リーゼロッテが言いよどんだ。
そこで皇后陛下が助け船をだす。
「アローはね。本の中で何度も繰り返して訴えているの。
ソラ皇子は自己評価が低すぎる!ってね。
あれだけの功績をあげながら、ソラ皇子は自分を卑下して、一時は平民落ちをしているのよ。
結局大公として落ち着いて、レオニス皇帝を支え続けたのだけれどもね」
何だか親近感が沸くかもしれない。
私もそんなところがあるから。
「記録に残っている異世界人は、ソラ皇子だけなのですか?」
「いいえ、ソラと同時期に落ち人として捕まって、惨い目にあった人がいたわ。
ブルーノというのだけれど。
皇家が保護してフィクトス公爵家に入ったのよ。
後にフィクトス公爵家を継いで、諜報機関である漆黒の梟の長でもあった人物よ」
「その人物が諜報機関を作ったのですか?」
「いいえ、計画立案したのは、ソラ皇子。
でも実際に運営したのはブルーノ公子。
二人は陰と陽、静と動。
全く違っていたのに親友だったみたいよ。
アローもブルーノは気さくで話しやすい人物だけれども、すぐに悪ふざけを仕掛けてくるから注意が必要と記しているわね」
「それでは、異世界人でも性格は色々だと分かるのに、どうしてもソラ皇子の印象の方が強いのですね」
「そうねぇ。
人は自分の見たいものを相手に見るものだから。
あまり気にしないことよ。ナナミ」
「お母さま。どうぞナナとお呼び下さい」
「ナナ。可愛い愛称ね。
青龍セレスタイトが付けたのかしら?」
「はい。私もセレスタイトとことは、セレスと呼んでいます」
「ごめんなさいね。
相思相愛なのに、皇家に縛り付けてしまって。
とにかく人材不足でね」
「私などが役に立つともおもえませんが……。
ローラン皇太子殿下には、皇太子妃はいらっしゃらないのですか?」
皇后陛下の顔が曇った。
これは私が悪い。
さっさと皇太子妃を娶れば、私を皇家に入れる必要がないだろう?と言っているのも同じだから。
「ごめんなさい。
プライベートに踏み込みました」
私が謝ると、皇后陛下は首を横に振った。
「構わないわ。
ナナの言う通りだもの。
臣下からもせっつかれているのよ。
せめて婚約者だけでも決めてくれと。
でもローランは頑固なところがあってね。
自分が欲する相手でなければ、結婚しない。
なんなら生涯独身でも構わない。
必要なら傍系から養子でも取る!と言うのよ」
「ローラン殿下が、後継者を作るという自分の役割を、最初から放棄するなど、考えにくいですね。
もしかして心に決めた娘がいるのですか?」
「まだ出会ってもいないようなのだけれどもね。
出会えば自分にはわかるはずだと言い張るの。
龍ならば、それも許されるかもしれません。
何しろ長命ですからね。
けれども人間の寿命は100年も無いと言うのに」
「まぁ、それではローラン皇子には、前世の記憶が残っていると?」
「たまに前世の記憶を持って生まれる赤ん坊がいるけれど、大きく成るころには忘れるものなのに。
あの子は番を求め続けるつもりだわ」
あの皇太子が、それほどロマンティックだったなんて。
とても現実的な方の様に見えたのに。
私はそんな風に呑気に考えていた。
「それで、ナナ。学院には3年通う予定だったわよね」
「はい、お母様。 そのつもりです。
プロイセン王国のリリア王女と親友になったのです。
一緒に学院に入学するので楽しみなの」
「ナナはもうすぐ13歳なのですってね」
「はい。今は12歳ですけれど、学院に入学するころには、13歳になっていますね」
「そう、それなら1年後には14歳。
結婚してもよい年ごろよね」
「お母さま。
いったい何をおっしゃりたいのですか?」
「龍は結婚すると、最低半年は伴侶と蜜月を過ごすの。
だからナナ。あなたは1年で学院を卒業なさい。
学業なら心配ないわ。
あなたなら1年で十分に卒業資格を取れるはず」
「そんな!無茶ですよ。お母さま。
普通最低でも3年かかると聞いていますわ」
お母さまはにこりとほほ笑んだ。
「もし、貴方が1年で卒業すると言うのなら、あなたの仕事を大幅に削減してもいいのよ。
どうかしら?」
「仕事をしなくてもいいのですか?」
「全部は無理よ。
そうねぇ。
福祉事業のうち、経済活動に関する部分だけ受け持つと言うのはどうかしら?
残りは今まで通り、皇后宮で受け持つわ」
「やります。1年で学院を卒業します」
私は、いつの間にかそう返事をしていた。
皇后陛下が、満足気にほほ笑んだ時、私はどうやら罠に掛かったらしいと思ったけれども、それが何の為の罠なのかは分からなかった。
内心、なんだかとんでもない約束をしてしまったのではないか?
そう考えてうじうじ悩んでいると、リーゼロッテが話しかけてきた。
「昼食会は和やかに終わりましたし、皇后陛下も殿下に良い印象を持たれたようです。
何をそんなに悩んでいるのですか?」
「うーん、さっきの約束。
なんとなくだけれども、私より皇太子殿下にとって、有利な約束のような気がしてならないのですよね」
「あんがい鋭いところがあるのね」
リーゼロッテが、小さい声で呟いた。
聞こえていますけど。
確か「朝三暮四」って言葉があったなぁ。
甘い言葉に騙されるけれど、実際には何も変わっていないのだ。
もしかして早まった判断だったのかしら?
3年学院に通うと言うことは、自由な時間は3年あると言う事だ。
お仕事は1年間だけ減るけれども、その後すぐに結婚したら、子育てと仕事を両立させることになる。
それぐらいなら、お仕事と学業を両立させた方がよかったのでは?
もう決まったことなのに、私は今更ながら自分の流されやすさを嘆いていた。




