ダリウス・フォン・シュタイン伯爵との対峙
ダリウス・フォン・シュタイン伯爵は、いつもの応接室に案内されているようだった。
「ダリウスと交渉経験のあるものはいるかしら?」
「何度が折衝した経験がございます」
答えたのは、やはりリリスだった。
「他の秘書官も面識はあるのかしら?」
今度は3人とも首肯した。
「ございます」
「ダリウスは、いつも同じ応接室を使うのかしら?
待合室ではなく?」
「はい、シュタイン伯爵が来られると、担当者がすぐに第一応接室にお通しする手筈になっております」
「分かりました。
それでは今回は、秘書官3人とも同席してください。
ダリウスは、小娘が保護者をぞろぞろ連れて来たと侮るでしょうから」
「侮られると分かっていて、どうして全員同席させるのですか?
交渉が難しくなるのでは?」
「逆よ。リリス。
相手はベテランの交渉人なのでしょう?
小娘だからと気を抜くことはない筈。
けれど、如何にも物慣れぬ様子で側近を全員連れて行ったらどうかしら?
さすがのダリウスだって、少しは油断するのではなくて?
油断して貰う必要があるの。
今回の交渉は、私にとっても正念場。
お兄さまに満足していただける結果を出さなければね」
「殿下!本気でダリウス卿と張り合うおつもりですか?」
「あら?私はその為に皇太子に呼ばれたのではないの?」
「それはそうなのですが」
秘書官たちの顔色は悪い。
戦う前から敗北している。
でもこの方がいい。
ダリウスは、きっと油断してくれる筈。
今回はね。
次からはそうはいかないだろうけれども。
そんな訳で、私はぞろぞろと3人の秘書官を引き連れて、応接室に赴いた。
クラウスは、何度も来てすっかり見知っている筈の応接室で、着席もせず絵画などを眺めている風を装っている。
着席せずに立ったまま貴人を迎える。
その為に応接室には、高価な絵画や壺などを置いているのだ。
そしてその絵画などは、会話の糸口として利用できる。
そうは言っても、実際にそのように行動できる人は少ない。
ましてダリウスは、いつもこの応接室に通されている。
いわば勝手知っている場所。
使用人たちも戦々恐々としている。
そんな状況であるのに、まるで始めて来たかのように絵画を眺める。
相当な強者だ。
大丈夫かしら?
私は、少し不安に駆られてしまった。
いいえ、弱気になっては駄目よ。
皇太子殿下の顔を思い出す。
失敗は絶対に出来ないわ。
ダリウスは丁寧に礼をして、私を迎えた。
「この度は拝謁を賜りありがとうございます。
皇女殿下の麗しきお姿を拝見し、このダリウス恐悦至極にございます」
私は、少し驚いたようにダリウスを見つめた。
「ありがとう。ノアロー自治区の区長さまですよね。
どうぞお座り下さい」
私が着席し、両隣にリリスとエリス。
そして末席にメイプルが座ると、ようやくダリウスは着席した。
「いやぁ、さすがは皇女殿下の応接室。
素晴らしい絵画をお持ちですね。
目の保養が出来ました」
「あら、そうなの?リリス」
「はい、殿下。
シュタイン卿の言葉通り、青い貴婦人の肖像は皇太子殿下から、皇女殿下への下賜品のひとつです。
絵画については、私共で配置致しましたが、殿下が宮に入られたのですから、模様替えはこれからいくらでもお申しつけください」
「あら、私はそういう事は、分からないもの。
私の側近なのでしょう?
皆さまの良いように計らってくださいな」
ダリウスの目が、キラリと光った。
掛かった。
ダリウスは私を、何も分からない小娘だと思ってくれたようだ。
「シュタイン卿。今日はどうしてこちらに来られたのかしら?」
私の質問に、ダリウスはリリスからレクチャーされた内容を嬉々として話しだした。
いかに今回の有償ボランティア組織がすぐれた役割を果たしているか。
そしてダリウスたちが、どれだけ苦労しているか。
存続のためには、どうしてもお金が必要なことまで、全部だ。
ダリウス。
手の内を全てさらけ出すのは、素人相手には有効な手段ではあるけれど、交渉相手には悪手であることを知らない訳ではないでしょう?
すっかり気が緩んでしまったのね。
「素晴らしいお仕事をなさっているのね。
一線を退いたとは言っても、長年の経験がありますものね。
その方たちは、きっと役に立っているのでしょうね」
「そうですとも。皇女殿下。
この事業は、絶対に存続させなければなりません」
「ええ、私もそう思うわ。
何よりもご年配の方々の生きがいにもなっていますもの。
健康寿命を延ばす役割も果たしてくれそうだわ」
「健康寿命とは?
初めて聞く言葉ですな」
「寿命が長くても、寝たきりになり自由に動けない状態になってしまっては、つまらないでしょう?
いつかは、介護を受けることになるにしても、その期間を限りなく少なくする。
健康で自分で自由に動ける時間を健康寿命と言うのよ。
これを長くすることは、行政にとってもメリットが多いの。
介護や病院にかかる費用を節約できるでしょう?
しかもシュタイン卿が、その潜在労働力まで発掘してくれたわけだしね」
ダリウスの顔がみるみる変わったけれど、少し遅かったみたいね。
「ダリウス卿。赤字額はいくらかしら?」
シュタイン卿の顔色が戻った。
当然だ。
相手が金額を聞いてくれば、交渉は成功したのも同然だから。
普通の場合、購入の気持ちが全くないときに金額を尋ねないものだから。
リリア達もハラハラし始めているのが分かる。
「殿下。我が協会の赤字額は年間2千万ダルクでございます。
登録している引退者は1万人。
1人当たり僅か、2000ダルク。
2000ダルクと言えば、1日分の生活費ぐらいではありませんか。
たったそれだけで、この事業が憂いなく継続できるのです」
「何を言っているの!ごまかさないで!
年間2千万ダルクは決して簡単に捻出できる額ではありません。
殿下が若いからと、ごまかさないでください」
リリスが、思わずというように叫んだ。
大丈夫よ。リリス。
罠に掛かったのはダリウスの方だから。
「リリス。失礼でしょう。控えなさい。
シュタイン卿、本当に1人年間2000ダルクでこの事業が円滑に運営できるのですね」
「そうでございます。ナナミ殿下」
「分かりました。
それでは、登録者から毎年2000ダルクを登録料として徴収しましょう。
それで解決ですわね」
「そんな!ありえませんぞ。
仕事の斡旋を受けるために、本人に金を支払わせえるなど!」
「シュタイン卿。よく考えてみてください。
登録料を支払うことで、登録者は財団からの支援を受けて社会参加が出来るのです。
しかも、これは仕事の斡旋ではありません。
ボランティアの登録料です。
例え登録料を支払っても、志の高い登録者はボランティア活動に参加して下さると信じております。
しかも登録料は、僅か2000ダルク。
これは1日分の生活費に過ぎないとシュタイン卿は説明してくださいました。
本当に貧しく、1日の糧にも困る方が、この活動に参加している筈はありません。
そのような方々は、正規の賃金が貰える職場で、必死に働いている事でしょう。
例え年齢が高くてもね。
さすがに登録者が、全て生活にゆとりがある方だとは申しません。
けれど、この活動のために、年間2000ダルクが支払えないという方は、いないのではないでしょうか?
そして登録料を支払うことで、登録者のステータスはあがります。
なにしろ彼または彼女たちは皇国の援助ではなく、自分たちの力だけでこの事業を運営しているのですから。
違いますか?ダリウス卿」
ダリウス卿は、少し考えていたが、やがて頭を下げた。
「申し訳ありません。皇女殿下。
私は皇国からの援助有りきで事業を行うところでした。
殿下は私の傲慢さを指摘してくださいました。
これからは安易に援助に頼ることなく、民間の力を結集していこうと思います」
「分かってくださって、ありがとうございます。
皇国が福利厚生を重要視しているのは、本当のことです。
困ったら遠慮なく訪ねて来て下さい。
皇女宮の扉は、いつでもシュタイン卿の為に開けておきましょう」
「いやぁ。殿下が異世界人だと聞いて警戒していたのですが、殿下は更にその上を行かれましたな。
異世界人マニュアルに書いてあった通りだ」
「シュタイン卿。
その異世界人マニュアルと言うものを、一度見せては頂けませんか?
私が今日、皇女宮に入ってその言葉を聞くのは2度目です。
とても気になるのですが?」
「いやいや。殿下にお見せするような代物ではございません。
ただの雑記帳を、我らがそのように呼んでいるだけのこと。
きちんとした書類ですら無いのです。
どうかお許し下さい」
そう言って頭を下げられては、無理も言えない。
異世界人マニュアルへの疑問は深まるばかりだった。




