皇女宮
皇女宮というのは、どうやら皇城のかなり奥まったところにあるようだった。
私がそう言うと、案内人が
「元々は後宮として使われていたのですよ。
最近は皇后さまお一人しか娶らない皇帝が多くて使わなくなったものを、再利用しているのです」と言う。
「昔は、そんなに妃が多かったの?」
「そうですね。皇后がいる時に迎えた妃を龍妃として皇后と同格に遇していましたが、今思えば龍の娘だったのでしょうね。
豪華絢爛なので、現在は皇太子宮として使用されています」
「では、後宮は?」
「色好みの皇帝がいた時代の名残ですね。
何人もの妃を囲っていたらしく、部屋数だけは多いのです。
ソラ皇子の時に大幅に改装されて、半分は執務室として使われており、秘書官や文官たちの部屋や、部屋を与えられていない者の仮眠室も多いのですよ。
ご心配なさらなくても、私室と執務室の間は門で隔てられているので、私室は皇族のみが使用しています。
侍女やメイドは全員が通いで、部屋を持つものも、外宮に部屋を持っております」
「それって皇女宮というより、ほぼ仕事部屋なのじゃないかしら?」
私の抱いた疑問は、あっさりと黙殺されてしまった。
連れていかれた執務室はとても広くて、大勢の文官が仕事をしていたから、平素から利用されているのが判る。
案内人は、廊下から、窓越しに執務室の様子を見せてくれた。
イメージは学校の教室が、延々と繋げてあるといえばわかりやすいと思う。
必要に応じてパーテンションで区切っている。
中央は大きな空間で、長テーブルのみ置かれているのは、会議用だろう。
最近、会議は立って行う方が時間短縮できると言われているから。
ドンドンと廊下を進みながら、案内人が食堂や休息室、娯楽室、仮眠室からリラックスルームまで見せてくれた。
中央が執務室。
回廊になっており、西側に公共施設。
東側に個人の居室と、図書館を兼ねた資料室が配置されている。
居室が与えられるのは高官だろうから、近くに資料室や図書室があれば便利だろうね。
そして最南端に、私の執務室があった。
応接室がいくつかと、待合室も複数。
どれだけ陳情に来るのだろう?
もうこれ、立派なカンパニーじゃないだろうか?
公共施設を見る限り、福利厚生は充実しているようだ。
食堂や喫茶ルームは何か所もあって、気分によって選べるらしい。
しかも24時間いつでも無料で利用できるらしい。
お風呂が無いので聞いてみると、ちょっと驚いた顔をした。
「成る程、異世界人マニュアルに書いていた通りだ。
異世界人が風呂を偏愛しているというのは本当なのだな。
魔法使いは洗浄の魔法で清潔を保つので、風呂の習慣はございません。
しかし、ご安心下さい。
皇女さまの私室には、無駄に見事な風呂がございます。
常に入浴できる状態になっておりますから。
何でも黒龍さまが、温泉をお引きになったとか」
「温泉。温泉があるの? 嬉しい! 楽しみだわ」
「ところで聞きたいのだけれど、その異世界人マニュアルって見せて貰えないかしら?」
「いえ、これは先人の単なる覚書で、お見せするようなものではございません」
きっぱりと断られてしまった。
怪しい。怪しすぎる。
私は心のメモに、異世界人マニュアルを確認すること!と太字でしっかりとメモしておいた。
ようやく私の仕事部屋に入ると、中にいたのは女官ばかり3人だった。
「お初にお目にかかります。
筆頭秘書官のリリス・フォン・アシュリーでございます。
隣が次席秘書官のエリス・フォン・ソーントン。
その横が秘書官のメイプル・フォン・アズール。
本日より皇太子殿下の命により、ナナミ皇女殿下にお仕えいたします」
そうして3人揃って美しい礼をした。
「ありがとう。
お兄さまが選んで下さったなら、皆さま優秀なのでしょうね。
全力で支えて頂けると信じているわ。
早速なのだけれど、あと1時間半しかないのでしょう?
ノアロー自治区の区長が陳情に来るまでに。
まず、ノアロー自治区の区長について。
次にノアロー自治区の現状。
最後に本日議題にあげられそうな案件についてレクチャーして欲しいの。
そうね。
そこのソファーに座りましょう。
案内ご苦労さま。
お帰りになるついでに、こちらにお茶を用意するように伝えて下さる?
お兄さまに、優秀な側近を手配頂いて感謝いたしておりますと、お伝えしておいてね」
案内人は初めて首肯の意思を示し、深々と礼をして戻って行った。
やっぱりお兄さまの目だったのね。
本当に嫌になってしまう。
異世界にきてのんびりしたことがあったかしら?
船旅とリリアとの食事くらいだわ。
なんて事でしょう。
「皇女殿下。
こう申し上げては失礼でしょうが、感心いたしました。
私共はまだ教育前の皇女殿下には重責過ぎるのではないかと危惧いたしておりました。
しかし、さすがは皇太子殿下が認めた皇女様だけはありますね。
見事でございます」
「あなた達の危惧は正解よ。
無茶振りすぎるもの。
本来なら公女としてフィクトス公爵家に入る筈だったのよ」
「それは認識にずれがありますね。
青龍さまが、異世界から伴侶を攫って来たとお聞きしてすぐに、皇太子殿下は閉めていた皇子宮を皇女宮として整えさせましたから」
何という事だろう。
セレスは完全に皇太子の手のひらの上だったのだ。
まぁ、あのセレスと皇太子じゃ最初から勝負にもなりはしないけれど。
「教えて下さってありがとう。
これからは運命共同体なのだから、堅苦しくては仕事にならないわ。
ファーストネームで呼び合いましょう。
少なくともこの部屋ではね。
かまわないわよね。リリス。エリス。メイプル」
「畏まりました。ナナミさま。
まずはノアロー自治区の区長ですが、名前はダリウス・フォン・シュタイン伯爵。
ノアロー自治区成立直後からノアロー自治区を任されて来たシュタイン一族の出身です。
実直で不正を嫌います。
信頼できる人物ではありますが、最優順位が国ではなく人民なので、過度な予算申請が多く油断すると毟り取られます。
お判りとは思いますが、国の予算は有限です。
福祉政策だけに優先して予算を廻すことは出来かねます。
だというのに、あの狸親父ときたら……」
「判りました。相当痛い目にあってきたようね。
お兄さまからも、くれぐれも言質を取られるなと厳命されております」
私がそう言うと、三人揃って胡乱そうな顔をする。
どれだけ剛腕なのだろう。ダリウスと言う男は!
「ノアロー自治区は元々貧民街だったのです。
魔力を持たない民の吹き溜まり。
それがノアロー街でした。
ソラ皇子が、ここに魔力を持たなくても出来る仕事を次々に作り出したのです。
貧民街を整備し、保育園や学校を作りました。
そして貧民街にノアロー街という名前を与えたのです。
ノアローというのは、持たざる者だそうです。
魔力も仕事もお金もない。
そんな人たちが、仕事を得たことで、他の地域も巻き込んで、お年寄りの見守りサービスを始めました。
驚いたことにそのサービスの提供役を買ってでたのもお年よりだったのです。
自分たちの街を自分たちで守る。
そんな好循環が生まれたのです。
すべてソラ皇子の功績でした。
シュタイン伯爵家は元平民。
ソラ皇子の側近としてノアロー街に尽くして、伯爵にまで昇りつめました」
「成る程ね。
それならダリウスが、ノアロー自治区への思い入れが深いのも分る気がするわ」
「それで今回はどんな難題を吹っ掛ける気かしら?」
「見守り制度から新たな事業が興りました。
引退した老人による有料ボランティア活動です。
無償では続けるのが難しいボランティア活動も、僅かでも賃金が発生することで、社会参加が容易になります。
引退者にとっては生きがいにもなりますし、利用する企業側にも安価な労働力は魅力です。
正規の仕事ほどではないけれど、少し手伝って欲しいということは沢山ありますからね。
登録者は、魔力の有無。
得意な魔法や得意とする業務。
参加できる日数や仕事内容などを登録します。
それに従って仕事を斡旋するのですが、希望の多い仕事は公平に分配する必要があり、管理が大変なのです。
それで管理費を国で補填して欲しい訳です」
「でも、本来それは企業の賃金から何パーセントか協会が貰うことで、賄うのではないの?」
「はい。収入の20%が協会の取り分です。
そこから協会の運営費や協会員の給与を賄います。
しかしそれはあくまで本体の運営費用。
今回の事業は、ひとりひとりに合った仕事を割り振るのですが、
貰う給金は少なく、当然協会の取り分も少ない。
だというのに、手数は他の事業の数倍かかる。
完全に赤字なのです。
でも取り組みとしては、ウインウインの良い関係を構築出来ているので、赤字だからとやめられない
そこで補助金という訳です」
「状況はよくわかったわ。
ありがとう」
そう言った時、ノアロー自治区の区長の到着が知らされた。
いよいよ初仕事だ。




