2話「初めての国外。それからお酒も」
婚約破棄から一ヶ月が経ち、私は隣国ランドテールを訪れていた。
婚約破棄後、家族である父だけは変わらず接してくれていたが、一歩家の外に出れば腫れ物扱いを受けていた。
買い物に行くだけでも、遠巻きに寄せられる視線が体中に突き刺さるのだ。
私としては普通に接してほしいが、あちら側にも受け入れるのに時間がかかるのだろう。
そんな居心地の悪さが原因で、私は日に日に外に出なくなっていた。
すると父から、ある提案を受けたのである。
『一度、国外へ遊びに行ってみるのはどうかな?』
目から鱗だった。
幼い頃に王宮入りしてからは、国外に行くなんて選択肢がなかったから。
書物を読んで、外の世界に興味を持った時期もあったが、私が行けることなんてないと思っていた。
けれど今は違う。
用済みとなって王宮から追い出された私は、自由の身なのだ。
どこへだって、好きに行けるではないか。
私はすぐに旅支度をして、旅行に出かけた。
初めての国外ということで、まずは一番近くにある隣国ランドテールを目指して。
──そうして到着したランドテールは、とても活気にあふれていた。
エバーグリムは聖女信仰が強く、聖女の張る結界がすべて。それが国境を守ってくれるため、国民自体は割と穏やかな空気がある。
それに比べて、ランドテールは鎧をまとっている人や腰に武器を下げている人がよく目につく。そのため、ある種攻撃的とも取れる空気を感じる。
……確かランドテールには聖女がいないのよね。それで、国民一人一人が国を襲う脅威と戦う術を身に着けているという感じかしら。
武器や鎧を身に着けている姿は、初めてみると少し怖く感じた。だが、街は賑わいみんなが笑顔で暮らしている風景を見て、怖さは徐々に薄れていく。
私はまず、数日泊まれる宿屋を見つけてから、あとは自由に歩いて回った。
観光地と言われるスポットへ行ってみたり、広場のベンチに座ってぼーっとしてみたり。
人はたくさんいるが、誰も私のことを知らない。
誰からも見られず、後ろ指も指されないこの場所は、なんだかとても居心地が良い。
夜には民衆酒場を訪れてみる。
初めての酒場に内心ドキドキしながらも、入ってみたらはつらつとしたエプロン姿の女将さんが元気な声で迎え入れてくれて、すぐに馴染めた。
「もう一杯飲むかい?」
「はい。じゃあ、同じものをお願いします」
一人で入店した私はカウンターに案内されたので、女将さんがカウンター越しにちょこちょこ話しかけてくれて、オーダーもしやすくて助かった。私は女将さんにおすすめされた地元の果実酒を、ちびちびと飲ませていただいた。
年下のクリフに合わせてこれまで一度もお酒を飲んでいなかったが、せっかくなのでこの旅行でお酒も解禁してみた。
初めてなので、飲みやすいらしい果実酒を。
ほとんどジュースのようだけど、それでいてちゃんとお酒の風味も感じられて美味しい。
気づけばおかわりも頼んでしまった。
「飲みやすいでしょう? それ、杏の香りがしつつ甘くて美味しいから女性客の間で特に人気なんだよ」
「はい! 本当に美味しいです。教えてくださりありがとうございます」
──果実酒を数杯飲んで頭がほわほわしてきた頃、私の隣に一つ席を空けて男性のお客さんが座った。
「女将、いつものを頼む」
「はいよ」
『いつもの』という頼み方ができるということは、常連さんのようだ。
ちらりとそちらに目線をやると、あちらもこっちを見ていて目が合ってしまった。
ハッとして、私は思わず顔を逸らした。
……ちょっと気まずい。
私が何も話さずにいると、あちらから話しかけてきた。
「見ない顔だな。観光客か?」
「あ……えっと、そうです……」
「女が一人で観光なんて珍しいな。傷心旅行か?」
「……まあ、そんなところです」
初めて会った男性と話すのは、少し緊張してしまう。
だが、話しかけられているのに、顔を逸らしたままでは相手に悪い。
たとえ相手が初対面で『傷心旅行か?』なんて人のプライベートにずけずけ踏み込んでくるような少々失礼な人であっても。
私は少しずつ相手の方に顔を向ける。
チラッと目を合わせると、その人はフードを被っていた。
フードの中に隠された髪の色はおそらく黒。そしてこちらをジーッと見つめている瞳の色は、透き通るほどの深い紅。
年は同じくらいで、かなり整った顔立ちの青年である。
……わ、カッコいい人。
この時すでに、私は少し酔っていたのかもしれない。
一目見て、彼に対してそんな風に思ってしまった。
口に出さなかっただけ偉いと思う。
「はいよ。お待たせ」
「ありがとう女将」
女将さんが彼のいつもの飲み物を届けに来て、彼はグラスを手に持つと、くいっと一口お酒を飲んだ。
その姿をチラッと見ていると、彼に捕捉されてしまう。
「なんだ? お前もこれに興味あるのか?」
「……それ、美味しいですか?」
「美味しいよ。とっても」
彼に笑顔でそう答えられて、私は好奇心に負けてしまった。
初めに女将さんからおすすめされて飲んだ果実酒があまりにも美味しかったから。
彼が美味しそうに飲んでいるお酒も、飲んでみたくなってしまったのだ。
でも、飲まなければよかったと後になって思う。
だって、私の記憶はここで途絶えてしまったのだから……。




