1話「円満な婚約破棄」
「婚約破棄……ですか?」
私、ナタリー・モニークは、今まさに婚約者からそう告げられた。
突然のことに、戸惑いが隠せない。
「……ごめんナタリー。父上がそう決めてしまったんだ。反対したんだけど、その……」
私の婚約者であるクリフ──クリフォード・ハイウィンドはこの国の王太子。
自分は王太子妃になる運命なのだと思っていた。
7歳の頃、前聖女である母はこの国を守るために命を落とした。
そのため聖女の血を引き、次代の聖女になるであろう私は、瞬く間に当時わずか4歳だったクリフと婚約させられた。
私もクリフも、あまりにも幼く、自分に何が起きているかは分かっていなかったと思う。
でも時がたつにつれて、自分の置かれた状況は分かってくる。
私は将来聖女兼王太子妃となり、この国のために尽くさなければいけないのだと悟った。
この国は好きだし、クリフも優しい人。
大人に無理やり課せられた状況ではあったけれど、それでも何不自由ない生活が送れているので大きな不満はなかった。
……いやまあ、妃教育はちょっと辛いこともあったけど。
それ以外は何も言うことはなかった。
はずだったのに。
「ニーナと婚約なさるのですか?」
クリフが言いづらそうにしていた内容は、見当がついた。
ニーナとは、何を隠そう私の可愛い妹だ。
父親に似て茶色の髪に黄金色の瞳を持つ平凡な見た目の私とは正反対で、聖女だった母に似て愛らしい淡いピンク色の髪にサファイアのような美しい瞳を持つ妹。
もうじき17歳になるので縁談の話は数多く来ているのに、いまだに誰からの申し出も受けていない理想の高い妹。
一体誰が彼女のハートを射止めるのかと思っていたが、ここにきて真打登場である。
「……そうだね」
クリフの表情は、とても辛そうだ。
長年、彼の隣にいた私へ別れを告げるのが申し訳ないのだろう。
でも仕方ない。こればっかりは。
「本当にごめん。僕としては君と結婚するつもりだったんだよ。本当だ」
「分かっています。大丈夫です」
そう。分かっていたことだ。
なにせ、聖女となるはずの私が20歳になった今でも、扱える神聖力はごくわずか。
母が命を賭して国境に張ってくれた結界を補強をするのが聖女としての主な役目だが、神聖力が弱すぎて結界は弱っていく一方だった。
『これでは何のために息子と婚約させたのか分からない』
と、王様からは面と向かって言われる始末。
王様としては、私には大いなる聖女となって国を守る盾になって欲しかったのだろう。
何も王太子と婚約させなくても、という意見もあったらしいが、そのまま放っておいて外国に嫁がれてしまっては困るという意見があり、物心もついていない幼い息子の婚約者に私を指名した。
誤算だったのは、私の神聖力が極貧だったこと。
そして、当時3歳だったため大人たちが目もくれなかった妹のニーナの神聖力の方が強大だったこと。
……つまり、ニーナこそが真の聖女だったことだ。
先日、いつものように結界の補強に行った私の元に、ニーナが昼食を届けてくれた。
一緒に楽しくランチをして、ニーナは何の気なしで結界に触れた。
ただ触れただけだった。
なのにその瞬間、一帯の結界が補強できてしまったのだ。
私も、そしてニーナ本人も目を丸くしてその場で固まったのを覚えている。
そんなことが起こるとは思ってもいなかったからだ。
でも少し考えれば考え着くことでもあった。
私だけじゃない。
ニーナだって、聖女の娘なのだから。
ただあの当時のニーナは私以上に幼く、まだ神聖力を扱えるような年齢じゃなかっただけなのだ。
賢いニーナは最初、もしこれが発覚したらどうなるかを察知して『黙っていよう』と言った。
でもきっと隠し通せることではないし、ニーナであれば母が残した結界を守れるのだ。
国のためにはどうするべきか、私もニーナも分かっていた。
だから私たちは正直に、王様へこのことを伝えた。
するとすぐに、ニーナこそ真の聖女だということが国中に広まり始めた。
そうなるとどうなるか?
……私は用済みだ。
「このこと、ニーナには話したのですか?」
「……今頃、王宮の使いが迎えに行っているはずだから、そこで話を聞いていると思う」
「ニーナはこの国が大好きだから、国のためならこの話を受け入れるでしょうね」
これまで誰との縁談も受け入れなかった妹であっても、生まれ育った母国を守るためとあれば受け入れるだろう。
もしニーナが受け入れない選択をするのであれば姉として一緒に逃げる覚悟もあるが、彼女はそんな行動をとらないはずだ。
「ニーナが受け入れるのであれば、私も婚約破棄を受け入れます」
私はクリフに笑顔を見せて、そう答えた。
クリフは顔をぎゅっとゆがめて、辛そうな表情をする。
まるでいまにも泣き出しそうな顔だ。
優しい人だから、私を王宮から追い出すのは気が咎めるのだろう。
「必要なものがあれば言ってほしい。これまでの君の働きへのお礼はしっかり払うつもりだから」
「大丈夫ですよクリフ。実家に戻れば父がいますし、物だってあります。お金だって今までもらった分を貯めてありますから」
「そう、だよね……」
……嫌だわ。
しょぼんとうなだれた彼は、捨てられた子犬のよう。
彼の頭の上に垂れた犬耳が見えるもの。
実際、捨てられるのは私なのにね。
いつも優しく、私を気遣ってくれたクリフ。
クリフの父である王様は、常に威圧的で神聖力の弱い私には冷たかったけれど、クリフがいたから耐えられた。
年下だからかクリフは時々子犬のように見えることがあったけれど、いつも私の味方をしてくれた。彼にはとても感謝している。
「クリフ、今までありがとうございました。あなたのおかげで、王宮での暮らしもそこまで苦じゃありませんでした。これからはニーナの味方でいてあげてくださいね」
「……こちらこそありがとうナタリー。僕が言うことじゃないかもしれないけど、君の幸せを願っているよ」
「ふふ。ありがとう」
最後にはお互いに礼を言い、笑顔を見せながら別れを告げた。
これは円満な婚約破棄と言えるだろう。
……私に神聖力がなくて、ニーナには神聖力があった。ただそれだけ。それだけだけれど、私の運命は大きく変わってしまったわね。
荷物をまとめて、王宮を去る。
そして、大きな城門を抜けて城下町の端まで来たら、人知れずスッと路地裏に入った。
ここならば、誰もいないからだ。
暗い路地裏。
私はその場にゆっくりとしゃがみ込み、横にトランクを置き、顔を伏せる。
俯くと、目の前に見える地面。
そこに向けてふーっと大きく息を吐くと、堪えていた言葉もこぼれ落ちてきた。
「ああ私……ちゃんと好きだったんだなあ」
乾いていた地面に、水滴がぽつぽつと垂れ始める。
言葉とともにあふれ出た、自分の涙が地面を濡らしているのだ。
始まりは大人に決められた婚約だったけれど、一緒にいる時間が長くなるにつれて、きちんと自分の心も彼に向いていた。
優しい彼に、私の心は惹かれていた。
けれど運命は、彼と結ばれることを許さなかった。
だから彼への気持ちは諦めるしかない。
この恋心は、ここで吐き出して、終わりにしよう。
『仕方ない』
何度も口にしたその言葉は、自分で自分を言い聞かせるための言葉でもあったのだ。
私は誰もいない路地裏でひっそりと泣き、気持ちが落ち着いてから家に帰った。
家に帰ると、傷心の私を父が迎えてくれた。
帰るのが遅くなったので、少し心配そうな顔をしている。
「大丈夫か?」
「大丈夫。これは円満な婚約破棄だから」
きっぱりと答える。
後腐れも未練も無いようにきっぱりと。
吹っ切れた様子の私を見て、父は安心したようだった。




