#3. ゲンジと古い義手 前編
蒸気奇譚、第三話です
よろしくお願いします
ゴウン、ゴウン、と蒸気機関の重い音が工場中に響いていた。
真鍮を削る匂い。
機械油の臭い。
何十年と嗅ぎ慣れてきた臭いが、身体中に染み付いている。
今日の作業ノルマは、シャフト十本。
旋盤機械のレバーを握り、棒状の金属をホイールにセットする。
蒸気機械のスイッチを入れ、勢い良く回転する金属へ慎重に刃先を近づけていく。
削りすぎず、かつ正確に…。
シャーというけたたましい切削音が耳を刺す。
正確に…。正確に…。
何度も心の中で自分に言い聞かせた。
………クソっ。
また失敗だ。
力を入れすぎてしまって、わずかに深く削りすぎてしまった。
原因は分かっている。
この左手だ。
「おいおい、また失敗かぁ?」
隣で作業をしていた同僚が話しかけながら、転がった失敗作のシャフトを拾い上げた。
「うるせぇ…。」
「いい加減新しい義手に変えろよ。手が震えてちゃ仕事にならねえだろ。」
そう、この義手が思うように言うことを聞かない。
もちろん同僚も貶めているわけでもなく、本気で心配して言ってくれているのは分かっていた。
だが、どうしても変える気になれなかった。
「こいつじゃねえと、馴染まねえんだよ…。」
言い訳混じりの言葉を吐き捨てる。
そう、言い訳だ。
そりゃあ新品のほうが精度も効率も上がるに決まっている。
だが、これまでこの手で積み上げてきた経験や勘まで、綺麗さっぱり失われてしまいそうで、一歩踏み出せずにいた。
シャーッ———……。
鈍い感覚を誤魔化しながら作業を続けるが、神経をすり減らす作業に精神はじわじわと追い詰められていく。
ようやく半分。
お世辞にも満足のいく出来とは言えなかった。
「……ちょっと一服するか。」
作業場から外に出て、冷たい水を一口飲んでから煙草に火を点けた。
「いつまで続けられるんだろうな。」
紫煙の向こうに広がる遠い空を見上げる。
「石、温まってる?」
ふいに足元から聞こえた小さい声。
視線を落とすと、そこには見慣れない小さい子どもが立っていた。
「…おいおい、お嬢ちゃん、どっから入った。」
たしかにここは工場の敷地内。
「ここはガキの入っていい場所じゃねえぞ。ケガする前に帰りな。」
それでも子どもは俺の注意を無視して、左手の義手をじっと見つめたまま、動かない。
「……そんなに義手が珍しいか?」
たしかに五体満足の人間から見れば不気味だろう。
だが、ここは蒸気と鉱山の街。
義手や義足のやつなんて掃いて捨てるほどいる。
「ちょっとズレてるね。」
ポツリと子どもはつぶやいた。
……ズレてる?何がだ?
首をかしげながら、かまわず煙草を吸い続けていると、奥から慌ただしい足音が近づいてきた。
「先生!こんなところにいたんですか!」
「あ、ユッキー。」
子どもを探していたらしい保護者が現れた。親にしてはまだ随分と若そうだが、まあ俺には関係ないことだ。
「おう兄ちゃん、ここは危ねえからガキにもう入るなって躾けときな。」
「あぁもう!すみません!ご迷惑をおかけしました!」
そう言い残すと、青年は子どもを抱えて姿を消した。
翌日。
今日も作業はシャフトの旋盤加工だ。
溝も飾りもない、単純な削り作業。本来なら新人がやるような仕事だった。
工場長の取り計らいでこんな簡単な仕事を回してもらってるのに、それすら満足にこなえない自分に苛立ちが募る。
「ちくしょう…。」
ホイールを止め、出来上がったシャフトを外す。
左手の指先の動きを確認すると、ギギギ…と嫌な金属音が鼓膜を擦った。
「石、温まってる?」
「うおっ!?ビックリした!?」
作業を止めた瞬間、またしても昨日の子どもが現れた。
おいおい、工場の中まで入ってきちまったのかよ…。
そう思うと、深くため息をついた。
「お嬢ちゃん、ここはマジで危ねえんだ。俺みたいに腕なくなっちまうぞ。」
子どもは言うことを聞く素振りも見せず、左手の義手にばかり注目していた。
「石は…大丈夫そうだね。」
「石?蒸気石か?それくらいは毎日充填してるからな。」
そういえば「温まる」なんて、ずいぶん古い表現を知ってるな…。
別に充填しても温度が上がるわけではない。かつて内部の光度が増す様子をそう呼んでいた名残だ。
「ゲンさん、お疲れさん。」
「あ、お疲れッス。」
工場長が、昨日の兄ちゃんを連れて現場に降りてきた。
「ゲンさん、今日はもう作業上がっていいぞ。この人たちに義手診てもらいな。」
「はい?診てもらうって…。」
唐突な言葉に頭が追いつかない。
「この人たちな、街一番の蒸気技師さんなんだよ。」
こいつらが?
どう見ても職人にも業者にも見えない。
当の子どもはというと、俺の返事を待たずにベタベタと義手を触り始めている。
状況がまったく理解できないまま、俺は流されるようにタイムカードに早退の印を押した。
——————
工場長は「好きに使ってくれ」と言い残し、保全室へ二人を案内した。
休憩室を兼ねた、小さな修繕室。
油の染み付いた作業台。
鈍く光る万力。
綺麗に磨かれた工具類。
どれもこれも、先輩の代から大切に受け継がれてきたものだった。
「道具、借りるね。」
子どものほうがそう言うと、作業台の工具に手を伸ばす。
ドライバーにヤスリ、ペンチ。
必要なものだけを的確に選び取り、机の上に静かに並べていく。
「じゃあ、見せて。」
こんな子どもにいったい何ができるというのか。
半信半疑のまま椅子へ腰掛け、義手を台の上に差し出した。
目の前の子どもは丁寧に義手の外装カバーを外すと、内部機構を傷つけないよう慎重にネジを一本ずつ緩めていく。
カチャ。
カチャカチャ…。
静かな部屋に、繊細な金属音だけが響いている。
沈黙に耐えかねて、隣に立つ青年へ小声で話しかけた。
「なぁ兄ちゃん。このガキ、いったい何者なんだよ。」
青年は眼鏡のフチをクイッと上げながら答えた。
「先生は一流の蒸気技師ですよ。見た目は、その…こんなですが。」
「失礼。」
聞き逃さなかった子どもが、作業の手を止めずにボソリと言った。
こんな子どもが蒸気技師?そんなことがあるのか?
疑問は尽きなかったが、手際よく左手を分解されていくのを黙って見つめるしかなかった。
「……古いね。」
「…だろ?」
無理もない。型は初期型で、もう何十年もお世話になってる骨董品だ。
ボロボロになりながらも文句一つ言わず動き続けてくれた相棒の姿に、思わず口元が緩んだ。
「でも。」
子どもは少し間を空けつつも、作業を続けながら言う。
「良い手。」
良い手、か。
ただのオンボロが?
あちこち錆びつき、金属は摩耗している。
予備のパーツだって廃盤になっているような骨董品が。
「ここだ。」
先生と呼ばれる子どもが指を示す。
「指先のピストンがズレてる。それに尺骨も経年劣化。もう少しで折れる。」
経年劣化って。
「そんなことまでわかるのか。」
自分でもわからない機器の悲鳴。
「いろいろ部品を変えないとダメだね。」
眼鏡の青年が口を挟む。
「先生、いっそ新品に買い変えたほうが早くないですか?」
その言葉に俺は諦めたようにフッと自嘲の笑みを漏らした。
「やっぱり…そうだよな。」
「ダメ。」
子どもは即座に否定する。
「え?」
「それじゃあこの義手にならない。新品にしたら、積み重ねてきた歴史がリセット。それじゃあ意味ない。」
言われた瞬間、思わず左手へ視線を落とした。
傷だらけの金属外装。
何度も交換したネジ。
削れて丸くなったボルト。
すべて、俺が現場で働いてきた時間そのものだった。
これまで周囲からは散々買い替えを勧められてきた。
自分でもそろそろ潮時だと諦めかけていた。
だが、長年の相棒を見捨てるような後ろめたさから踏み切れずにいたのだ。
その鬱屈した想いを、この小さな子どもが見事に言語化してくれた気がした。
「そう…だよな。」
こいつになら、俺の相棒を預けていいかもしれない。
「先生、俺からもお願いします。」
気づけば、初めて自分から頭を下げていた。
後半は夕方更新予定です
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