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先生の蒸気奇譚  作者: さくらもち


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3/8

#2.カケルと鉱石ラジオ 前編

お待たせしました

第二話の前編です。

よろしくお願いします

 珍しく青空の見える、よく晴れた日。

 石畳の上をコツコツと小気味よい音を鳴らしながら、僕はいつもの工房へ向かって歩いていく。

 

 家の用事があって、三日ほど休みをもらっていた。

 工房の扉の前に着くと、ふぅ、と小さく深呼吸する。

 

 「さぁ、今日からまた頑張ろう……!」

 

 心機一転。少しズレた眼鏡を人差し指でくいっと押し上げると、勢いよく扉を開け放った。

 

 「先生! おはようございます! 生きてますかー!?」

 

 …返事はない。

 

 まあ、想定内だ。どこかには転がっているはずである。

 僕は薄暗い工房の中を見渡し、肩を落として深くため息をついた。

 

 「……なるほど。やっぱりこうなるわけですね。」

 

 これはまた、一段とすごいことになってるな。

 

 足の踏み場もない床から、散らばった真鍮の歯車や、何に使ったかも分からない布切れを拾いながら進む。

 作業カウンターの向こうを覗き込むと、案の定、銀色のボサボサ頭が机の図面に埋もれていた。

 

 「先生、起きてください。」

 

 声をかける。

 返事はない。

 

 「ミツキ先生!」

 

 銀髪の塊がぴくりと小さく動き、やがてゆっくりと顔を上げた。

 

 「おや……ユキナリくん。おはよう。」

 「おはようございます、じゃありません。あーもう、また机で寝て。」

 

 ペンチ、ドライバー、小さなハンマー。

 カウンターの上には無数の工具が散乱し、整理整頓という言葉とは無縁と言わんばかりの有様だった。

 

 「僕がお休みの間、何かありました?」

 「んー。野菜がいっぱい。」

 

 相変わらず言葉が足りない。

 僕はカウンター横の自分用スペースに荷物を置き、そのまま奥の炊事場へ向かった。

 

 ……そして、本日二度目のため息をつく。

 

 飲みっぱなしのマグカップ。

 積み重なった皿。

 そして、紙袋に入った大量の野菜たちは、少しだけ鮮度が落ちてしなびていた。

 

 「珍しいですね。先生が一人で市場へ行ったんですか?」

 「おつかい。」

 

 先生が一人でこれほどの量の荷物を持てるはずがない。

 きっとまた、何か面倒なことに巻き込まれたのだろう。

 詳しくは後で市場の顔馴染みに聞いてみることにした。

 

 「さあ! シャキッとしましょう! まずは掃除からです!」

 「えー。ユッキー、だっこー。」

 「ユッキー言うな!」

 

 こうして、久しぶりの仕事は工房の大掃除から始まった。

 

 まずは水回りから。

 

 三日間の留守に備えて作り置きしておいた皿を洗い流し、少ししなびかけた野菜を蒸気式冷蔵庫へ入れていく。

 何かと雑務の多いこの工房において、庫内を一定の冷気に保ってくれるこの冷蔵庫の存在は、僕にとって命綱のようなものだ。

 ……足の早そうな葉物と果物は、先生の朝ごはんに調理してしまおう。

 

 「続いて風呂場は……うん、キレイなままだな。」

  

 案の定、僕が休み前に掃除した状態のままだった。

 湯桶の位置も、石鹸の減り方も全く変わっていない。

 つまり先生は、この数日間、一度も風呂に入っていない。

 予想通りすぎて、もはや驚きもしなかった。

 

 風呂場を後にして、床を箒で掃きながら先生の元へ戻る。

 

「ほら先生、どいてください。」

 

 カウンターの上で液体のように溶けている銀色の生き物をどかし、その周囲を素早く片付けていく。

 休み前にあれだけ完璧に片づけたのに、なぜ数日でここまで荒らすことができるのか。

 呆れながらもカウンターの水拭きまで終わらせ、僕は額の汗を拭った。

 

 さあ、続いては最大の難関。

 

 お風呂の時間だ。

 

 「さあ先生。観念して綺麗になりましょう。」

 

 皆さんは、泥だらけの大型犬を無理やり風呂に入れたことはあるだろうか。

 

 抵抗する気力すら残っていない銀色の塊を抱え、僕はそのまま風呂場へ直行した。

 服を引っ剥がし、頭からたっぷりのお湯をかけ、泡立てた石鹸でボサボサの髪を優しく、かつ容赦なく洗っていく。

 

 助手を始めたばかりの最初の頃は、たしかに僕だって異性として意識してしまい、心臓が破裂しそうなほど躊躇したものだ。

 しかし今となっては違う。

 これは女性というより、いや、人間というより、野生を忘れた自堕落な小動物の「洗浄作業」なのだ。

 

 洗濯済みの清潔な服を着せ、ドライヤーで濡れた銀髪をサラサラに乾かす。

 その後、買ってきたパンと、先ほど救出した野菜で手早くスープ付きの朝食を作り、先生の口へと運ばせた。

 

 「ふぅ……今日も完璧なケアです。」

 

 先生の助手になって早数年。

 ここまでの介護及び家事は、もはや身体が勝手に動くほどに達している。

 

 「さすがユッキー。」

 

 丁寧に整えられた美しい銀髪と、光を孕んで吸い込まれそうな金色の瞳。

 こうして余計な口を閉じて大人しくしていれば、精巧な西洋人形と見間違える人もいるだろう。

 

 ……ここまで見事に整えれば、誰だって拍手喝采を送りたくなるはずだ。

 

 

 

 ——————

 

 

 

 「先生、僕が休んでいる間に、何か新しい依頼は増えました?」


 念のため、カウンターの帳簿をめくりながら聞いてみる。


 「ない。」

 「ですよね。」

 

 先生が自ら営業活動なんてできるわけがない。


 「じゃあ、片付けの続きですね。」

 「えー。」


 コンコン。


 工房の扉が、遠慮がちに叩かれた。


 「はい、どうぞ———」


 僕が扉を開けると、そこには十歳くらいの男の子が立っていた。

 緊張した様子で、小さな腕には何かを大事そうにしっかりと抱えこんでいる。


 「あ、あの…。」


 工房の中をおずおずと覗き込んだ少年は、カウンターの奥へと目を向けた。


 そこには、今しがた髪を乾かしてもらったばかりの銀髪の少女が、机の上に突っ伏して早くも二度寝の体勢に入っている。


 「……?」


 少年は目をパチクリと丸くした。一歩近づき、ガラス細工のような少女の顔をもう一度見つめる。


 「うわぁぁ!オバケ!!??」


 「誰が。」


 先生が即答する。


 「大丈夫ですよ、ちゃんと生きてます。」


 まあ、少年が驚くのも無理はない。

日の光があまり入らない薄暗い工房の中で、透き通るような肌の銀髪少女が微動だにせず転がっているのだ。端から見れば、アンティークの人形か、さもなければ幽霊にしか見えない。

 苦笑いしながらフォローを入れると、僕は少年を工房の丸椅子へと案内した。


 「失礼な子ども。」

 「な、お前も子どもだろ?」


 確かに先生の見た目は、華奢で幼い。


 そう、見た目「だけ」は。


 「さて、今日はどうしました?」

 

 僕が優しく問いかけると、少年はコクリと頷き、抱えていたカバンを机の上に置いた。

 

 「え、あーと…これなんだけどさ。」


 カバンの中から取り出されたのは、ひどくボロボロに傷ついた機械だった。

 配管だらけのこの蒸気の街で見かけるものとは違う、装飾のない、シンプルで、見たこともない形状をしていた。


 「これさ…。」


 少年はポツポツと語り始めた。


 「市場のおじさんが言ってたんだ。街の外の機械なんだって。」


 「ラジオだね。」


 先生は這いつくばった姿勢のまま、横目でそれを一瞥するなり言い切った。


 「ラジオ?」


 聞き慣れない、不思議な言葉の響きだった。


 「そう!兄ちゃん知ってる!?街の外には『電気』っていう、目に見えないものが空を飛んでるんだって!」


 「飛んでる…?当たったら、痛くないんですか、それ。」


 この街の外の世界については、学校の教科書でかすかに習う。


 けれど、あまりにも現実離れしていて、僕にとってはおとぎ話か、はるか彼方の異世界の出来事のように思えていた。


 「これがその電波を拾う機械。」

 「なんでそんなこと知ってるんですか…。」


 感心半分、呆れ半分で先生を見つめる僕をよそに、先生はすでに起き上がり、机の上の機械を器用にいじり始めていた。


 「電池がない。」


 「デンチ…?またも聞き慣れない言葉ですね。部品か何かですか。」

 「動かすためのエネルギー源。」


 エネルギー源…。なるほど、この街でいう「蒸気石」みたいなものだろうか。


 「蒸気石…ではダメなんですか?」

 「無理。」


 先生は容赦なく指先を動かし、少年が持ってきた機械は、すでに半分ほどバラバラに分解していた。


 「オレの…ラジオ…。」


 その見るも無惨な半壊の姿に、少年は半べそをかき始めている。


 「でも。鉱石ラジオなら作れる…かも」


 その言葉に、少年は身を乗り出して叫んだ。


 「ラジオ!?姉ちゃん、ラジオ作れるの!?」


 「電気信号を人間の耳に聞こえる音声に変換するだけの機械なら。たぶん。」

 

 「元々のそれとは何が違うんですか?」


 先生は棚から革の切れ端を取り出すと、机に転がっていた短い配管に巻きつけ始めた。


 「電気も電池もいらない、不思議受信機。」


 ただでさえ元の機械の仕組みが分からないのに、先生の拙い説明ではさらに全容がわからない。


 「えーっと…つまり。それが作れれば、外の世界の音が聞こえると?」


 少年が目を輝かせて覗き込むのを気にも留めず、先生は配管に細い銅線をぐるぐると一定の感覚で巻き続けていく。


 「方鉛鉱が無いから、蒸気石で代用してみよう。」


 「それでも出来るんですか?」


 「たぶん。」


 たぶん…って。


 「……お茶を淹れますね。」


 僕はため息をつきながら立ち上がった。


 お茶を淹れている間も、少年は片時も机から目を離さず、かじりつくように先生の手元を見つめていた。


 「なー、ほんとにできるのかよ。」


 「たぶん。」


 いつもなら何でも完璧にこなす先生にしては、どうにも歯切れが悪い。


 「先生でも外の機械は難しいですか?」


 熱いお茶を机の端に置く。

 先生は少し大きめの蒸気石に、針のように細い銅線の先端を、探るように慎重につついていた。


 「………。」


 「なぁなぁ。まだできないのかよぉ。」


 その時。


 ——ザッ…ザザッ!


 突如として、木枠の本体から伸びた、蓄音機の真鍮製のラッパから、擦れるような金属音が響いた。


 「鳴った!」

 「先生!今の音って!?」


 先生は無言のまま、さらにミリ単位で銅線の針先を動かしていく。


 「機械はできた。でも。」


 「でも?」


 「場所が悪い。」

 

 

後半は夕方ごろ更新予定です。

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