第23話「分類不明と、体調と、四人の来客」
三十八日目の朝、廊下の掲示板を見た。
「未食バーガー管理表:好代さん用」——秩序ちゃんが作った表だ。食べた分が増えるたびに、秩序ちゃんが静かに更新している。
今日の更新で、未食が二十六種類になっていた。前に確認した時より減っている。好代が気づかない間に何かを食べていたわけではなく、摩天ちゃんとの訓練の中で少しずつ消化されていたらしい。
ただ——一番下に、新しいカテゴリが追加されていた。
「分類不明(未分析):4種」
赤い字で書いてある。
においを想像した。まだ嗅いだことがないにおい。
「……これを見てたんですか」と摩天ちゃんが横から来た。
「今日のバーガーを確認していました。「分類不明」が四種類あります」
「ある」と摩天ちゃんが短く言った。「どういう世界線から来たか、秩序でも判定できていないやつだ。食べてみないと何が入るかわからない。今日、一つ試してみるか」
「いつですか」
「午後の訓練のあと。フロアが始まる前の時間に」
好代はうなずいた。
【第一章】午前——フロアの準備と、混在さんからの連絡
午前中、フロアの準備をしながら無常ちゃんに昨日の話をした。混在さんが友人を連れてくる予告があったことを。
「今日来ます」と無常ちゃんが言った。「昨夜、予約が入りました。四人、全員指名なしで。「はじめてバーガーを食べるかもしれないので、担当クルーにお任せしたい」という連絡でした」
「……混在さんから聞いてきた方たちですか」
「そうだと思います。なので今日の午後のフロアは、あなたを中心に組みます。あなたが最初に話して、状態を読んで、他のクルーに割り振るか自分で担当するか判断してください」
「……私が割り振るんですか」
「今日はそういうポジションで」と無常ちゃんが言った。「困ったら横にいます」
好代は少し考えた。初めての役割だ。自分でテーブルにつくだけでなく、他のクルーとの連携を調整する。
「わかりました。やってみます」
無常ちゃんが「よし」という顔をした。言葉ではなく、顔だけで。
【第二章】午後——分類不明バーガー
午後の訓練が終わったあと、摩天ちゃんが小さな保冷ボックスを持ってきた。中にバーガーが一つ。包み紙が少し変だ——色が決まっていない。見る角度によって色が変わる。
においを嗅いだ。
知っているにおいが、何も来なかった。
正確に言うと、においはあった。でもそのにおいが「何のカテゴリか」を棚が判断できなかった。いつもは嗅いだ瞬間に「力系」「感覚系」「感情系」という大まかな方向性がわかる。今日のは何もわからなかった。ただ——深いにおいがした。
「……カテゴリが読めません。ただにおいがします」
「それが分類不明の特徴だ」と摩天ちゃんが言った。「私が嗅いでも判断できない。食べてみるまでわからない。止まる理由があれば言え」
「ないです」
「では」
好代は一口食べた。
情報が来た。
——最初の一秒は、普通だった。
棚に何かが入ってくる感触。どんな形かはまだわからない——という段階で、
体の中で、何かが動いた。
喉の奥だ。熱くなった。
ほんの一瞬、体がそれを「拒絶しようとした」感触が来た。十七年間、アレルギーとして続いてきた「受け入れない」という反応が、一瞬だけ顔を出した。
でもすぐに収まった。棚が受け取った。拒絶は途中で止まって、知識として格納された。
全体で三秒ほどのことだ。
「……大丈夫か」と摩天ちゃんが言った。好代の顔を見ていた。
「はい、大丈夫です」と好代は言った。「最初の一瞬、少し喉が熱くなりました。でもすぐ落ち着きました」
「……何か入ったか」
「入りました。「境界を感知する」知識です。物と物の間の境界、においとにおいの間の境界——そういう「間」を感知する知識だと思います。形がはっきりしないので、まだうまく言語化できないですが」
摩天ちゃんが少し間を置いた。
「「喉が熱くなった」というのは、今までにあったか」
「……なかったです」と好代は言った。「ただ、今日は朝から少し、のどが渇きやすかったので。体調かもしれないです」
摩天ちゃんが何も言わなかった。
ただ手帳を出して、何かを書いた。
好代はそれを見なかった。
◆ 廊下でのこと
バックヤードに戻る廊下で、渾沌ちゃんとすれ違った。
渾沌ちゃんが好代の顔を見て、一瞬だけ足を止めた。
「すきよちゃん、なんか——」と言いかけた。
「ちょっと」と秩序ちゃんの声がした。秩序ちゃんが渾沌ちゃんの横にいた。いつ来たのかわからなかった。「姉さん、今日の外部配送の申請書、まだ確認できていませんが」
「え、あっ、そうだっけ」と渾沌ちゃんが振り向いた。「今いく! すきよちゃん、またあとで!」
渾沌ちゃんが走っていった。
秩序ちゃんが好代を一秒だけ見た。
いつもと変わらない目だった。何も言わなかった。そのまま渾沌ちゃんの後を追っていった。
好代は廊下に一人残った。
——何だったんだろう、と少し思ったが、よくわからなかった。フロアの時間が迫っていたので、先に進んだ。
【第三章】夕方——四人の来客
フロアが始まって少しして、四人組が来た。
昨夜の四人組とは別の——混在さんが連れてきた友人たちだ。混在さん自身は今日は来ていない。「友人たちだけで来させた」ということらしかった。
四人、それぞれ全員が違う見た目をしていた。
一人目は、体の輪郭がぼんやりしていた。どこで始まってどこで終わるかが少しわからない。
二人目は、目が四つある。縦に二列だ。普通に瞬きしていた。
三人目は、体の半分が常に別の場所にいるような感触がした。座っているのに、気配が二方向から来る。
四人目は、声が出るたびに少しだけ場所が変わっていた。喋るたびに微妙に右にずれて、また戻る。
好代はにおいを嗅いだ。
四人とも、緊張のにおいがした。でもそれ以上に——「来てよかったのかもしれない」という期待のにおいが混ざっていた。混在さんに「ここはにおいで読んでくれる人がいる」と聞いてきた、という緊張とは少し違う種類の緊張だ。
「いらっしゃいませ。今日はよく来てくれました」と好代は言った。「混在さんから聞いてきてくれたんですよね」
「はい」と一人目の輪郭のぼんやりした方が言った。「怖くて来られなかったんですが、混在が「食べる前に説明してくれる」と言ったので」
「今日は急がなくていいです」と好代は言った。「バーガーを食べたくなかったら食べなくて大丈夫です。ここに来て、話して、それだけでも構いません」
四人が少し肩の力を抜いた。においが変わった。緊張が少し薄まった。
◆ 一人ずつ話す
好代は今日、一人ずつ丁寧に話した。
一人目——輪郭のぼんやりした方。においを嗅いだ。「形が定まらない」ことに、疲弊しているにおいがした。何かに変容して「形が固まる」ことを望んでいるかどうか確認した。「固まりたい、でも変わることも怖い」と言った。試食して、「形を選べる感触」の軽いバーガーを出した。食べた後、「少し、輪郭が来た気がします」と言った。
二人目——目が四つある方。におい的には安定していた。「バーガーを食べるのは二回目」と言った。一回目は別の場所で食べて、目が一つ増えたらしい。今日は「増やしたくはないが、何か変わってもいい」という方向だった。試食して、感覚系の穏やかなものを出した。食べた後、「色の見え方が少し変わった気がします」と言っていた。目の増減はなかった。
三人目——気配が二方向から来る方。これが一番難しかった。二つに分かれている体が、バーガーを食べるとどうなるかが予測しにくい。好代はいくつか試食した。どれも「どちらか一方に引っ張る」感触があった。それは多分、今は合わない。
「……今日は、バーガーよりサイドメニューにしませんか」と好代は言った。「バーガーを食べると変容が起きます。二方向に分かれている状態でどちらかに引っ張られると、それが今のあなたに必要かどうか、私には判断できないです」
三人目が少し止まって、「……そういう判断をしてくれる人、初めてです」と言った。「いつも「食べてみたらわかります」と言われていた」
「今日は深淵コーラか、記憶のアップルパイにしませんか。変容はほぼないです。ただ感触が来るだけです」
「……アップルパイにします」
食べた後、三人目が「来た記憶、二つ分来ました」と言った。「どちらも違う人の記憶でしたが、どちらも——存在していた記憶でした。どちらが本当かじゃなくて、どちらも本当だった」
好代は黙ってうなずいた。
四人目——喋るたびに少しずれる方。これは途中で気づいたが、「ずれ」自体はバーガーと無関係だった。その世界線では声が空間を少し動かす、という物理法則があるらしい。今の状態の話を聞いたら、「特に変容は求めていない、ただ一度ぱんでむに来てみたかった」と言った。
好代は終末フライを出した。変容がほぼない、しずかなポテトだ。食べた後、四人目が「……「終わりの手前の感触」というのが、うちの世界線の雰囲気に近くて、懐かしかったです」と言った。
◆ 他のクルーとの連携
三人目に「バーガーではなくサイドメニューを」と判断した時、好代は一度無常ちゃんを見た。
無常ちゃんが小さくうなずいた。「その判断でいい」という顔だった。
二人目のバーガーを出す時、涅槃ちゃんが近くにいたので「目が増えるかもしれない変容が気になっていたお客さまなので、食べた後の様子を少し見ていてもらえますか」と声をかけた。涅槃ちゃんが「……わかった、ちゃんと見る」と言った。
帰り際、四人が「また来ます」と言った。一人目が「次は指名してもいいですか」と言った。残り三人も同じような顔をしていた。
好代は「もちろんです」と言った。
四人が帰った後、無常ちゃんが来た。「今日、上手くやりました」と言った。
「……三人目にバーガーを出さなかったのは、判断が難しかったです」
「難しい時に「わからない」と言えることが、フロアでは大事です」と無常ちゃんが言った。「わからないまま出して変容させてしまうより、今日は出さない方がいい、と判断できることの方が重い」
好代は少し考えた。
「……「出さない」という接客は、今日が初めてでした」
「そう。でも混在さんが連れてきた三人目が「初めて正直に判断してもらえた」と言っていました。涅槃から聞いた」
それを聞いて、少し、胸の中が温かくなった。何も届けなかったことが、届いた日があった。
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【クルー視点モノローグ】
摩天 ── 三十八日目の記録
今日、分類不明バーガーを試食させた。
喉が熱くなった、と言った。
三秒ほどで収まった。知識として格納された。
私には、喉が熱くなった瞬間の好代さんの顔を、記録している。
表情の変化は微小だった。でも確かにあった。十七年間のアレルギーが、一瞬だけ顔を出した——そういう顔だった。本人は気づいていないかもしれない。
「体調かもしれない」と言った。
多分、そうではない。
でも今は何も言わない。データが一点では何も言えない。次の分類不明を食べる時、また確認する。
記録する。「摂食三秒後、軽度の拒絶反応様の喉部熱感。三秒で自然消失。知識の格納に支障なし。本人はアレルギー反応として認識せず」。
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秩序 ── 姉さんへの対応、記録
今日、姉さんが廊下で好代さんを見て「なんか——」と言いかけた。
止めた。「申請書の確認」という口実で。
姉さんは感知している。正確に何を感知しているかはわかっていないが——好代さんの何かに引っかかりを感じている。
今は止める。
理性ちゃんとも確認した。「今の時点での開示は時期尚早」という判断で一致している。
好代さんのフロアでの成長は順調だ。今日、バーガーを出さないという判断を自分でした。分類不明バーガーの軽度の反応も、自力で収めた。
全部が積み重なっている。
急がない。
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渾沌 ── 廊下でのこと(非公式メモ)
なんか言いかけて、秩序ちゃんに止められた。
申請書のことは、正直あとでよかった。
でも秩序ちゃんが「今じゃない」って顔をしていたから、やめた。
私は秩序ちゃんに止められる時、大体において止められた方が正解なことの方が多い。だから信頼している。
でもすきよちゃんを見た時の感触は——
普段のすきよちゃんのにおいと、少しだけ違うものが混ざっていた。分類不明バーガーを食べた後だったからかもしれない。でもそれだけじゃない気がした。
なんというか——もっと前から、すきよちゃんの中に「ぱんでむのにおい」があった。来た最初の日から。
最初の日に気づいていたが、別に変なことでもないかと思っていた。でも——今日、少しだけ違う意味で思い出した。
今は考えない。秩序ちゃんが「今じゃない」と言ったなら、今じゃない。
でもなんか——なんだろう。
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千姿 ── 三十八日目
分類不明バーガーを食べた。
喉が熱くなった。
三秒で収まった。
好代はそれを「体調かもしれない」と言って流した。
——そうね。
そうやって、全部流してきた。十七年間も。




